深夜に仕事から帰って来た主を出迎えて、明日の予定を聞きながら自室までの道を付きそう。明日は特に早い予定は無いから昼過ぎぐらいまで寝る。朝食は必要ない。昼は外で食べるからお前も付き合え。送ったらそのまま仕事に向かう。帰りは今日ほど遅くはならないはずだ。

一つ一つ言われることを頭に入れながら「はい」「はい」と繰り返し返事をする。言われることが多かったらメモに取るけれど、頭に入れられる範囲のことばかりなので大丈夫。

真っ暗な屋敷、窓の外の月はとっくに頂点を越え降り始めている。黒ばかりを身に着けている私の主。見失い闇に紛れてしまったら大変だ、と一生懸命になって主の後ろを追いかける。コツコツと鳴る革靴の音が速い。足が長く歩幅の広い主と比べ私の歩幅はあまりにも狭い。

闇に同化してしまいそうになる背中に焦りを覚えた。



「‥‥、」

「‥、‥ザン、ザスさま‥?」



突然ピタリと立ち止まった主に驚きを覚えるが、見失わずに済み安堵する。背が高く顔を伺うように見上げれば緋色の瞳が私を見抜いた。が、すぐに視線は外れ、再び歩き出す主の足。

今度こそ離れぬように、と意を決して私も足を踏み出すがコツコツと鳴る革靴の音は先程よりも遅く、私の狭い歩幅でも余裕を持って主の背中を追いかけることが出来た。





部屋に入るなり一直線にベッドへと向かう主に少しだけ戸惑いを覚える。いつもなら黒の大きなコートを私に預けるとシャワーを浴びに行く。主がシャワーを浴びてる間にコートを掛けベッドを綺麗に整えるのが私の役目なのだが‥。

どうしよう。このままザンザス様が寝てしまうのなら私の役目は無い。部屋を出て、明日の朝食の準備でもすることにしよう。‥ああ、でもザンザス様、朝食はいらないって言ってたな‥他の方々の分はスクアーロ様が作ってくださるし‥‥そうだ明日は早くに起きてスクアーロ様のお手伝いをすることにしましょう。きっと喜んでくださるはず。

考えをまとめると扉へと手をかけた、が。「名前」と後ろから名前を呼ばれ振り返る。そこにはベッドの傍らをぽんぽんと叩く主の姿。首を傾げベッドへと近付く。ザンザス様の手の届く範囲まで近付けば軽く腕を引かれ、ぽすんとベッドに腰を下ろす形になった。



「あ、の‥なにか?」

「どこに行く」

「部屋に戻ろうかと‥」



明日の朝食の準備を手伝いたいですし、と言えば「そんなもんカスにやらせておけばいい」と一蹴される。普段、私は命令どおりザンザス様の食事だけしか作らないけれど、他の皆さんの食事全てを作っているスクアーロ様は大変なんですよ、とは言葉にせず心の中だけで呟く。けれど、私の思ってることなんて主にはお見通しなのか、酷く眠そうな緋色の瞳に捕らえられた。

観念して「分かりました、手伝いません」と言うと満足したように閉じた緋色。



「眠いのですか?」

「‥いや、」



そう呟く声がどこか掠れている。余程眠いのか、いつもなら威厳のある瞳すらもぼんやりとしている。こんな主の姿を見れることは滅多に無い。呼び止めてくれたことは嬉しいけれど眠いのなら寝て欲しいというのが本音。



「ザンザス様、私やっぱり部屋に‥‥」

「‥」

「‥、‥?」

「‥」

「眠って、しまわれましたか‥?」



気付けば閉じられた瞳。そんな眠かったのか、と一人溜息をつく。決して人前では隙を見せない主がこうやって私には隙を見せる。自惚れとかじゃなくて本当に私にだけ、他の方々にも見せないような顔を見せてくれる。

それは信頼されているということ。信じてると言われたわけじゃないけれど。ただ傍にいられることが嬉しい。言葉を交わせるのが嬉しい。本当は今日も話したいことはたくさんあったけれど所詮それは私のわがままで、主を付き合わせるほどの内容じゃない。



「また、今度‥時間があるときにでもお話しすることにしましょう‥」



何でもない、ただの世間話のような内容だけど。時間があけば話したいことも増えているかもしれない。‥ふう、と小さく息を吐き腰掛けていたベッドから立ち上がった。



「今話せ」

「!?‥わ、」



突然後ろから服を引っ張られガクンと体勢を崩す。引き戻された場所は立ち上がったばかりのベッドで、見れば上半身を起こした主と目が合った。



「た、狸寝入りですか‥?」

「いや、寝かけてた」

「寝てくださって構いませんから‥!」

「話すことがあるんだろ」

「それはただの世間話程度のことで、急ぎの用ではなくて‥!」

「話せ」



言葉に詰まる。私の主は言い出したら聞かない。ずっと使えていたのだからそれぐらい分かる。今だって凄く眠そうで、私のために無理なんてしないで寝てほしい、と‥そう思うのに。



「体調を崩されても知りませんよ」

「そこまで柔じゃねえ」

「そうでしょうか?」

「どうしてそう思う」

「ザンザス様はお食事に偏りがあるので」

「そうでもないだろ」

「お肉ばかり食べていらっしゃるくせに」

「‥お前が肉しか出さねえからだ」

「まあ、私のせいですか?」

「‥」

「では、お野菜を出せば文句を言わず、食べてくださるんですね?」

「お前が作ったやつならな」



私の話に耳を傾けて、言葉を返してくれる主の行動が嬉しいから。もっと話していたい。もっと、もっと、と欲が溢れてしまう。嬉しいんだ。事務的な話しじゃなくて、何でもない話しを主とできるのが。

こんなメイド風情が主のベッドに腰掛けたり、私事の話しに付き合わせたりするのはご法度なのだけど。やってはいけないことだって分かっているけれど。隙を見せたり、引き止めたり、話しを聞いてくれたりするから‥‥そうやって、









(私はどんどん)
(欲張りになってしまうのです)




結局、先に眠ってしまったのは私。

最後の最後まで話しを聞いてくれた主を置いて先に意識を手離すなんて、と一人申し訳ない気持ちに駆られるが。

起きた時、私の身体に掛けられていた黒の大きなコートに、申し訳なさ以上の嬉しさを覚えた。





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ボスとメイドさん。
それにしてもボスが優しすぎる…ぞ。

20101022