「あ、あのですね、綱吉さん‥っ」

「マスターは?」

「え?あ、マスターなら買い物に‥」




「‥そっか」と返事をしてカウンターに手をつく綱吉さんは私に背を向けたまま。この空気をどうすればいつもの和やかで穏やかなものに戻すことができるんだろうか。必死になって頭を巡らせるけど目ぼしい答えは出てこなくて、私はスーツの背を見つめる。

綱吉さんが今何を考えているのか分からなければ、一体どんな表情をしているのも分からない。何だか切なくなった。


お兄さんはもういない。綱吉さんが現れるなり私の頬から手を離し何か納得したように「ふーん」と呟くと、いつもの人のいい笑みを浮かべ「また、ね」と言って帰っていった。

正直言うと帰る前に綱吉さんに説明して欲しかった。そうすれば今頃こんなにチクチクした空気になってなかったのに。二人で笑いながら軽く世間話をしたりしてマスターの帰りを待つことができたのに。全部全部、お兄さんのせいだ。


‥‥なんていう、他力本願でみっともない気持ちは捨て、綱吉さんのスーツへと手を伸ばした。




「‥」

「‥、」




背に軽く触れるとピクリと彼の身体が揺れた。

確かにお兄さんが来なければこんなことにはならなかったかもしれない。だけど、そういうことじゃない。『来なかったら』とか『説明してくれれば』なんて、たらればの話しをするのはやめる。誰かに誤解を解いてもらうんじゃなくて、自分の口で誤解を解きたいから。




「えっと、あの人は仕入れの業者の人でたまに来るんです‥」

「‥」

「性格があれですから私だけじゃなく他の女性にもあんな感じで‥」

「‥」

「あ、でも悪い人じゃないんです‥!ちょっと軽いだけで、ほんとに‥!」




最初は落ち着いて、焦らずゆっくり説明しようと思ってたのにやっぱり何だかこんがらがってくる。

あれ?私はお兄さんと自分の関係を説明しようと思ってたのに何でお兄さんを庇うようなこと言っちゃってるんだろう‥!悪い人じゃないんだけど、今はそんなこと言ってる場合じゃなくて!

言いたいことが纏まらず綱吉さんの背に触れたまま、どうしようどうしよう‥!と冷や汗を浮かべているとゆっくりと彼が動いた。




「ああ、大丈夫。始めから疑ってなんかないよ」

「え‥?」

「ただ、うん‥なんていうか‥」




手を離すとゆっくりと振り返る綱吉さん。困ったような苦笑いを浮かべたあと、すぐに自分の手で口元を隠してしまった。

疑ってなんかいない。その言葉は嬉しかったんだけど、真意が分からず首を傾げていると宙を彷徨っていた綱吉さんの視線が私に向いた。




「その‥自分の余裕の無さ」

「‥え、っと‥つまり?」

「俺だって子供じゃないから、最初は笑って誤魔化そうって思ったんだ」

「‥は、はあ‥」

「でも、そうだよ、な‥名前だってそれなりに知り合いとかいるよな‥」

「‥」

「小さい頃から、とまではいかなくても、隼人達みたいに中学ぐらいから名前のこと知ってたらもっと余裕あったかも、な」




カウンターに寄りかかり頭を掻く綱吉さん。彼は年上だから立ち振る舞いも大人っぽくて、イタリアにいるのも長いから知ってることも多い。おまけにマフィアのボスなんていう未だに実感のわかない職業柄もあったから、私は必然的に私よりも彼は大人だと思っていた。だけど。




「俺が知らない時間が多すぎる。だから余裕が無いんだ」




そう言う綱吉さんは例えるなら同年代の学生のよう。年上なことに変わりないんだけど、なんだか学校の友達と話しているようなそんな気分。目の前で「情けないな、俺」と呟いていつもと違う表情を見せる綱吉さんは新鮮で、ぷ、と思わず吹き出してしまった。




「名前?」

「ふふ、‥綱吉さんがそんなこと言うなんて‥あはは‥っ」

「お前、笑い事じゃないんだからな」

「だって、綱吉さんは私より大人で、そんなこと言うイメージなかったから‥っ」




笑う私を見て綱吉さんはそっぽを向いてしまう。恥ずかしいのか、なんなのか。どっちにしてもそっぽを向くその行為さえ子供のように見えて余計におかしい。




「俺だっていつも余裕でいられるほど大人じゃない」

「はい。でも、それは私も一緒です」




笑いながら言えば彼は視線を私に戻し不思議そうな表情をした。




「私だって、私が知らない綱吉さんの時間はたくさんあります」




私には私の過ごしてきた時間があるように、綱吉さんは綱吉さんの時間がある。

幼いころはどんな子供だったのか。どんな学生生活を過ごしてきたのか。どんな女の子に恋をしたのか‥‥は、あんまり知りたくないけど‥。それ以外にもマフィアになると決意したのはいつだったのか。獄寺さんや山本さんと親しくなったのはいつからなのか、とか知りたいと思ったらきりがない。

過去は決して交わることは無いけれど。




「じゃあ、マスターが戻ってくるまで話そうか、昔のこと」

「はいっ」




0

(話して知って)
(重ねてしまおう)




出合って過ごした時間は自分が生きてきた時間に比べるとほんの一瞬かもしれないけど

これからも一緒にいたいから