空気が冷たくなってきた。ナマエはふうと息を吐き出すと、冷えた指先を摩った。



「…」



不意に見上げた月の位置はだいぶ高い。ここにきてどれだけの時間が経っただろうか。

エルヴィンにエスコートの件を断った後、籠とランプを持って急いでここまで来たが。少し熱中しすぎていたかもしれない。おまけに時計を持って来るのを忘れたせいで今の時間も分からない。

籠の中は既に冬の山菜で満ちてはいるが。そろそろ戻るべきだろうか、戻って準備をしないと、今度はパーティーから戻ってくるリヴァイとすれ違ってしまうかもしれない。

両手を擦り合わせ、どうすべきか悩んでいたら辺りを照らしていたランプの灯火が弱くなっている事に気付いた。



「あ…、」



慌てて立ち上がると岩の上に置いておいたランプの元に駆け寄った。油が少ないのだろう、段々と灯りが弱まっていく。どうしよう、ここで切れてしまったら帰り道が危ない。籠を持って真っ暗な道を歩いて、もし転んだりしたら。それで籠の中身を撒いてしまったら。

焦るナマエの思いとは裏腹に、力ない灯りは弱くなっていき、そのまま消えてしまった。



「そんな、」



熱中しすぎたせいだ。自分はどうしてこんなにトロいのだろう。目の奥が熱くなるのを感じる。泣いてる場合ではない、戻らなければ。足元には十分注意して、食堂に戻り、取った山菜を使って準備をしなければ。

じわじわと込み上げてくる涙が溢れないように両手の甲で抑えつけた、その時。



「ナマエっ」



聞き間違えるはずがない、声。いつも自分を呼んでくれる優しい声に、ナマエは顔を上げた。



「リ、」



目が合った瞬間、ナマエが名を呼ぶよりも早く駆け寄ったリヴァイ。手にしていたランプを置くと、眉を寄せナマエの顔を覗き込んだ。



「オイ、怪我でもしたのか」



目に涙を溜め、一人佇んでいたナマエ。どこか怪我でもしたのか、何かあったのではないかと、リヴァイの表情が心配そうに歪んだ。



「あっ、その……だいじょぶ、です」



そう言って笑みを浮かべたナマエは、どれだけの時間をここで過ごしていたのか頬も鼻も赤く染まっている。リヴァイを心配させまいとしているのか、いつものように暖かな笑みを浮かべて見せた。



「それより、リヴァイさん、どうして…?」

「どうしてじゃねえだろ」

「え?」

「声をかけろって言ったの忘れたのか」



次、山菜を採りに行く時は必ず俺に声をかけろ



リヴァイの言葉にナマエは驚くと同時に、また目の奥が熱くなるのを感じ、少しだけ顔を俯かせた。胸の奥が嬉しいのと切ないのと、二つの感情のせいで騒めいてどうしようもない。



「リヴァイさん、」



呼んで、目を合わせる。

いつも声をかけてくれる、いつも心配してくれる、ふとした瞬間に傍にいてくれる。一緒にいると嬉しくなってしまう、大切な人。



「大好きです」



いま伝えるとしたらどんな言葉が良いのか、何を伝えたら良いのか、考えるよりも先に口にしてしまった想い。

本当はもっと落ち着いた空気で言おうと思っていた。お祝いの料理を作って、ダンスパーティーから戻って来るリヴァイの元へ行き、日を跨いでしまう前に渡せたら、その時に伝えられたら、と思っていたが。本人を目の前にしたらどうしても伝えたくなってしまった。



「…お前な、」



不意を突かれたのはリヴァイの方。予想もしていなかったナマエからの言葉に目を大きく開き、それから口元を片手で覆う。

つい先程まで胸に立ち込めていた遣る瀬無さや不快感が、嘘のように溶けていく。



「リヴァイさんの事、お祝いしたいんです」

「…、」

「今日は大切な人の特別な日なんです」



変わらず暖かく、けれどどこか照れたように笑むナマエに言葉が出てこない。触れたくなる衝動ばかりが駆け巡る。



「本当は料理を作ろうと思っていたんですが、色々ありまして材料が届かず…、遅い時間でもご迷惑じゃなければ、私すぐに戻って作りますので、あの、」

「俺は」

「…、」

「俺は、お前から祝って貰えるならなんだって良いんだ、言葉だけだって良い」



知らないだろ、どれだけ想っているか。

リヴァイの言葉にナマエが寒さ以上に頬を真紅させた時、どこからか聞き慣れない音楽が耳に届いた。



「ワルツ…」



ポツリと呟いたナマエにつられるようにリヴァイも耳を澄ますと、小さい音ではあるが流暢なクラシックが響いている事に気付いた。この音は間違いなくダンスパーティーの会場から響いてくるものだ。



「こんな所まで聞こえるのか」

「ふふ、本当ですね」



そう言って少しだけステップを踏んだナマエ。月明かりの下、彼女が普段から身につけている白いエプロンが緩やかに広がる。それから足を止め、リヴァイを見て、また照れ臭そうに微笑むナマエは。



「…天使、か」

「え?」

「いや何でもねえ」



ナマエの事を食堂の天使と最初に言った奴は見る目があるのかもしれない。

そんな事を思いながらリヴァイは口元に薄く笑みを浮かべるとナマエの正面に向かい合うようにして立った。



「ステップを覚えていたのか?」

「はい、一応…エルヴィン団長に恥をかかせてはいけないと思い…」

「…」

「断ってしまう事になりましたが」



そう言って複雑そうに眉を寄せたナマエは、まだエルヴィンに気圧されているように見えた。エルヴィンのフォロー等、言うか言うまいか悩んだが。ナマエの表情が曇るというのなら話しは別になってくる。

ナマエの事なら何でも知っている、と言うようなエルヴィンの口ぶりを思い出し、舌打ちをしたくなるが、なんとか抑え込む。



「…エルヴィンの野郎が謝っていた」

「え?」

「誘い方が悪かった、ってな」

「あ、…そんな、謝るなんて、それは私の方で、どうお詫びをすれば良いのか…!」

「悪いのはアイツだ、気にするような事じゃねえ」

「ですが、」

「もう良いだろ、アイツの話しは」



まるで、嫉妬をしているような。自分に集中しろと言わんばかりのリヴァイの言葉に、ナマエは言葉を飲み込んだ。



「それよりも、ナマエ」

「はい」

「もう一度、誘ってもいいか?」



僅かに聞こえてくるワルツ。リヴァイの言葉の意味を汲み取ると、ナマエの頬はぽっと赤く色付く。



「あら、その……お誘い、頂けるんですか?」

「俺は最初から自分の好きな奴しか誘う気が無くてな」

「、…ふふ、嬉しいです」



言葉だけじゃない、心の底から嬉しそうに微笑むナマエを見て、リヴァイも自分の頬が緩むのを感じた。



「まあ、カッコはつかねえがな」

「あら、どうしてです?」

「こんな服だろ」



リヴァイは調査兵団の兵服、ナマエはいつもの白いエプロン。確かにお互いこれからワルツを、という服装ではないが。



「ふふ、そんな事はありません」

「…」

「少なくとも私には、リヴァイさんはどんな服装をしていても、素敵で大切な男性なんです」



少なくとも俺には、この手は他よりも女らしく見えている

リヴァイが言った言葉をまるで返すように呟くナマエ。ああ、本当に彼女が愛おしくてたまらない。

真っ直ぐにナマエへと差し出したリヴァイの手。



「ナマエ」

「はい」


「踊って頂けますか?」


「喜んで」




Shall we dance



言い慣れねえな、と自分の言葉に眉を寄せたリヴァイ。ナマエはクスと小さく笑うと差し出された手に自分の手を重ねる。

優しく手を引かれると自然と近付く身体。視線を合わせれば、ずっと近くにいるリヴァイに胸が高鳴るのに、頬は緩んでしまう。

僅かに聞こえる音楽。目の前には大切な人。特別な日、特別な夜。



(さあ月明かりの下で)
(二人だけの時間を楽しもう)