辺りはもう暗い。

兵団内に響く声も無ければ、人の気配もない。ああ今日はそうか、と改めて気付くとリヴァイは足を止め、窓の外に見える月を見上げた。

結局、あれからナマエとは話せぬまま今日が訪れてしまった。ナマエは今頃、ドレスを着てエルヴィンの横にいるのだろうか。考えて溜息をつく。

着飾ったナマエなど見たことがない。そういえばリヴァイはナマエが兵士として調査兵団にいた頃の事も知らない。彼の中のナマエはエプロンをつけていて、少しトロく、そしていつも微笑んでいる。

それで良かった。いや、それが良かった。どんな服装よりも、どんな着飾った女達よりも、微笑むナマエは女性らしく、そしてとても愛おしかった。



「…ナマエ」



呼ぶとすぐに振り返る瞳は、今エルヴィンを見つめているのだろうか。

そう思うと胸を圧迫されるような、やりようのない想いが溢れ、月を見つめたままリヴァイは顔を歪めた。



「、……誰だ」



その時、コツコツと音を鳴らしこちらに向かって歩いてくる革靴の音。リヴァイは月から視線を外すと、目を細め睨みつけるように回廊の先を見た。



「誰がいるのかと思ったら、リヴァイお前か」

「…エルヴィン」



ぼんやりと姿を現したのは、先程までリヴァイの胸の内を不快にさせていた原因の男。ナマエをダンスパーティーに誘い、彼女を遠ざけさせたエルヴィン本人だった。



「こんな所で何をしているんだ、もうパーティーは始まっているぞ」

「そいつは俺の台詞だ、どういう理由で此処にいる」



リヴァイの問い掛けにエルヴィンは「フン」と微笑混じりに溜息をつき、視線を窓の外へとやった。



「満月にはまだ少し早いようだな」

「あ?」

「単純な理由だ、土壇場で彼女にエスコートを辞退された、それだけの事だ」



エルヴィンの言葉にリヴァイは目を見開いた。

そんなリヴァイの反応を横目で伺ったあと、エルヴィンは再び自嘲するような笑みをこぼして見せた。



「ナマエが調査兵団の料理人になって、もうどれくらい過ぎた?」

「……」

「リヴァイ、お前は知らないだろう。調査兵団に所属した頃の彼女の事を」



リヴァイとナマエがお互いを知り、距離が近付いたのは、ナマエが兵士を退役し食堂勤めになった後の事。エルヴィンの言う通り兵士だった頃のナマエの事は何も知らないのが事実だ。



「俺は、知っている」



どこか語気の強いエルヴィンの声にリヴァイは返す言葉を見つけられず、ただ眉間に皺を寄せた。

エルヴィンはまるで思い出すように、ポツリポツリと言葉を紡ぎ始めた。



「自由の翼に憧れた少女が、何の違和感も感じずに料理人になる事を了承したと思うか?」

「…」

「勿論ナマエの料理の腕は確かだ。そこは俺も認めている。だが彼女は料理人としての道を進められた時、自分の力不足や、兵士としてのセンスの無さを感じずにはいられなかった」



エルヴィンは知っている。ナマエがまだ食堂に入ったばかりの頃、彼女が悩んでいた事を。

今だからこそ、その存在が受け入れられているが、最初の頃は周りからの心無い言葉がナマエをずっと苦しめていた。



「ナマエはすぐに了承し後悔していないと笑っていたが……心はそうもいかないだろう」

「…」

「陰で巨人から逃げた兵士と言われ続けるのは、どんな気持ちなんだろうな」

「…っ」

「自分で選んだ道でもないのにだ」



どんな気持ちで、いつも食堂に立っていたのか。どんな気持ちで、兵士達の食事を作っていたのか。どんな気持ちで、いつもそこに居たのか。彼女の暖かい笑顔の裏に押し込まれた気持ちを、初めて考えた。

考えて、思い出すのは彼女の料理と、目が合った時に微笑んで駆け寄ってくるその姿。



「団長である俺が彼女をエスコートすれば、多少なり棘のある声も減るかと思ったが……ナマエはそんな声はどうでも良いみたいだな」

「…何、」

「今日はどうしても外せない用事があるから、と外に食材を採りに行った」



考えて胸に募るは、愛おしさと、触れたくなる衝動。



「どうやらこの聖夜は、ナマエにとって大切な存在の、とても特別な日らしい」

「……っ、」

「そういえば、リヴァイ。今日はお前の誕生日だったな、珍しい偶然もあるものだ」



今すぐに、彼女の元へ。

衝動のままエルヴィンに背を向け走り出そうとした時「リヴァイ」とエルヴィンの声が引き止めた。



「彼女に謝っておいてくれ」

「何をだ?」

「あんな誘い方をして悪かった、と」

「……お前ナマエに何を言いやがった」

「何て事は無い……ただ軽く脅しただけだ」

「オイ、」



ナマエの様子がおかしかった理由が分かりリヴァイの目が鋭くなる。が、エルヴィンはそんなリヴァイの視線を軽く笑って交わすと、再び視線を窓の外の月へと戻した。



「行け」



たった一言。たった一言だったが、リヴァイの耳は確かにその言葉を聞き取り、エルヴィンへの恨み言は飲み込むと、静かに背を向けその場を立ち去った。

残されたエルヴィンは一人、夜空に浮かぶ月を眺めた後、軽く目を閉じ、ふうと小さく息を吐き出す。

今日は月の綺麗な夜だ、と心の中で呟いた。