「いや参りましたよ、久しぶりだったせいか千歳さんも私のことが分からなかったみたいでね」



千歳。



「でも変わりなくお綺麗な方ですね千歳さんは」



千歳?



「また折を見て、話しがしたいのですが……ああ、そういえば変わらずあのネックレスをつけてくれているようで、まったく仲睦まじい」



商人が千歳の名前を呼ぶ度にリヴァイの眉間にはシワが深く刻まれていく。まさか、まさか、と胸の内に例えようのない不快感が募る。



「どこか体調が悪そうでしたが、千歳さん大丈夫なんですかね…」


問われた瞬間だった。リヴァイの手が商人の襟首を掴み、力強く締め上げた。

「ぐっ、」と息を詰まらせた商人は抵抗するようにリヴァイの腕に自分の手を添えるが、リヴァイの手は離れるどころか力強さを増していく。

その様子をエルヴィンは静かに見つめていた。



「へ、兵長、殿っ」

「言ったのかっ」

「なに、を…?」

「アイツに、名前にその名前を言ったのか!その名前で呼んだのか!?」



周りの兵士達が驚いて振り返るほどの怒号。しかし、リヴァイの手は離れず商人の首を締め続けた。

殺気にも似た視線を向けられた商人は名前という聞き慣れない名前を問うことも出来ず、「ひっ」と短く悲鳴をあげリヴァイを恐れた。



「リヴァイ、よせ」



そんな二人の間に割って入ったのは、黙って様子を見ていたエルヴィンだった。リヴァイの腕に己の手を添えると、少し力を込め商人から引き剥がした。ようやく首元が緩んだ商人は苦しげに二、三度咳払いをすると、よろよろとリヴァイと距離を置いた。



「な、何なんですか、突然!」

「すまない。壁外から戻ったばかりでリヴァイも気が立っていたんだ」

「だからと言えど、こんなっ……、そもそもエルヴィン団長、あなたが日程を間違えなければ私とて、こんな日にここに来ることはなかったんですよ!」



苛立ちをぶつけるかのようにエルヴィンに食ってかかる商人。商人が不意に放った言葉を聞いてリヴァイは目を見開くと、ゆらりとエルヴィンを見た。

「すまない」と穏やかに商人に謝罪するエルヴィン。以前から察してはいたが、この男も間違いなく名前に惹かれていたはずだ。彼女と千歳に対する対応を比べれば誰が見ても分かるほど、差があったからだ。

ハンジからも聞いていた。エルヴィンが自分の休日を割いてでも名前との時間を優先していると。そんな馬鹿な、とその時は一蹴したが。もしもリヴァイの想像通りなら合点がいく。



「…オイ、エルヴィン」

「リヴァイ、お前らしくないぞ。無関係のものに手をあげるとは」

「エルヴィン!」

「……何だ」

「テメェ、わざとか?」

「何の事だ?」

「わざと、こいつと名前が鉢合わせするようにしたのかと聞いてる」



商人と名前が鉢合わせれば。千歳の事しか知らない商人は間違いなく勘違いをする。そうしていつもの調子で世間話をするだろう。

リヴァイからの刺すような視線を受け、エルヴィンは向き直る。しばらくリヴァイの視線を受け止めていたが、やがてゆっくりと口元に弧を描いた。



「そうだとしたら、お前はどうする」

「ッ!!」



名前に、自分から話そうと思っていた事を。千歳との事を全て伝えられてしまった。

自分の手を一切汚さず。行商人達に対する日程調整のミスという形で、他所の人間に千歳の存在を伝え、名前を傷つけさせた。



「どういうつもりだ!」

「…さあ?」



リヴァイからでなく、他者の口から話しを聞く事で、どれだけ気分を害すか。悪く想像して自分を追い詰めるか。元々気にしすぎる名前の事だ。商人から千歳の話しを聞き何を思ったか、どう感じたかくらい、容易に想像できる。

名前がそういう性格であることを知った上でこの方法を選んだというのならば。

咄嗟に拳を握りしめた。そんなリヴァイの手が出るか、出ないかの所でエルヴィンは穏やかに口を開いた。



「お前が今すべきは俺を責め、殴りつけることか?」

「…っ!」



リヴァイさん



名前が頭を過ぎった。

胸に感じた言い難かった感覚を、ようやく理解した。力のない微笑み、どこか消えてしまいそうな表情。

消えてしまいそうな



ごめんなさい、……私で、ごめんなさい


じゃあ私、…もう帰りますね




どこへ、

ハッと目を見開くとエルヴィンや商人に目もくれず、真っ直ぐに走り出した。

向かうのは彼女の部屋ではない。

向かうのは、彼女と最初に出会った場所。



「…もう遅い」



リヴァイの背を見送りつつポツリとこぼしたエルヴィンの言葉は誰の耳にも届かぬまま。


手に入れる為なら、どんな手だって使う。それが例え、彼女が涙する方法だとしても。