「リヴァイ兵長!先程お伝えした今回の調査に関する支持母体への報告の件ですが、」

「後にしろ、負傷者が最優先だ」

「はっ!」



慌ただしく心臓に手を当てると走り去っていく部下を見送りながら一歩踏み出した途端「リヴァイ兵長!」と再び声を掛けられ足が止まった。



「、…何だ」



次から次へと。壁の中に戻って来てから一体どれほどの兵士達と言葉を交わした事か。死傷者が、憲兵団が、上への報告が、と目まぐるしくなるのはいつもの事だ、仕方がない。そう思う一方で心はもう一つ別の方向を向いている。

名前。

彼女を頭に思い浮かべては、目の前の現実に目を向ける。遠征に行く前に少しだけ言葉を交わしたきり。遠くからでも分かる程、今にも泣きそうな顔をして、それでも必死に笑顔を浮かべていた。

無事だと知らせてやりたい。自分だけじゃない、彼女が親しくしていた者達は全員無事であると伝えたら、彼女の事だ。また泣きそうな顔をして安堵するのだろう。



「リヴァイ兵長!」



またか。

仕方がないと振り返った瞬間、見慣れた背中が遮るように視界に入った。



「どうかした、丁度手が空いたから私が聞くよ」

「ハンジ分隊長…!」

「オイ、ハンジ。てめえどういう」



言いかけて止めた。ハンジは前を向いたままだが、手をヒラヒラと振り「行け」と合図している。

まるで何事も無いように目の前の兵士と言葉を交わすハンジの表情は見えないが。彼女の背を一瞥するとその場を後にした。

サクサクと草を踏み、足早に彼女元へと歩を進める。自分の立場を考えると今の行動が間違っている事は分かっていた。壁外調査の後処理を放り出して私情を優先するなど。分かっているのだが、彼女という存在はそれほどに。

そこまで考えて、ふっとため息混じりに空を仰いだ。もう陽が傾きかけている。壁の外から戻ったのは早い時間だったというのに。耳を澄ますと喧騒は遠く、つい昨日まで壁の外で命を削っていたのが嘘のようだ。

そんな嘘のような静けさの中。



「リヴァイさん」



彼女は、不意に現れた。



「名前?」



何故ここに。

呆気に取られた顔がそんなに面白かったのか、彼女は控えめに笑って見せた。そうして真正面から目を合わせる。名前は暫くじっとこちらを見つめた後、少し顔を俯かせ、再び顔を上げるといつものように、絆されるような笑みを浮かべた。



「ご無事で、良かった」

「、ああ…俺だけじゃねえ。お前の知り合いは全員無事だ。今は調査の後処理に追われてここには来れねえが」

「そうですか、そう、みなさんも………良かった、本当に、良かった…」



胸元で両手を重ね、安堵の溜息を吐き出す。どこか泣きそうな、弱々しい笑みを浮かべるのは、彼女がそれだけ心を砕いていたという証なんだろうか?

ゆらゆらと風で揺れる淡い色のスカート。桜の花のようなその色は名前が初めてここに来た時は身につけていた服だと気付く。



「リヴァイさん、驚かせてしまいましたね」

「あ?、ああ…そうだな。お前がここに来ると思わなかった」



一人で出歩くなんざ、どんな風の吹き回しだ?

いつも、揶揄うように口にすれば名前は表情を転がせる。赤くしたり青くしたり、けれど最後には笑んでくれる。今日もそうだろうと、そう思っていたが。



「…」

「名前?」



彼女は視線を落とし、力なく笑むばかり。

ぼんやりとした視線が何を捉えているのか分からない。口元は弧を描いているのに、どこか消えてしまいそうな表情。言い様のない感覚が胸の内を覆い始める。



「名前。どうした何かあったか」

「っ……いいえ、大丈夫です。皆さんがいない間ずっと気が気ではなかったので、安心してしまったというか…」

「…」



言葉なく、名前の真意を探ろうと瞳を見つめれば、目が合い「本当ですよ」と微笑まれる。普段とは違う、有無を言わせない彼女の笑み。

何かが、おかしい気がした。



「名前、正直に」


「リヴァイ兵長!リヴァイ兵長!どちらにいらっしゃいますかー!」


「っ」



背後から自分を探す兵士の声に勢いよく身体を返す。このままここにいては名前の存在が見つかってしまう。

とは言え、ようやく会えた名前にまだ何も話せていないのに、ここを離れるのは。



「リヴァイさん、私は大丈夫ですから行ってください」

「だが」

「みんながリヴァイさんを待ってます」

「っ、ち…分かった今は一旦戻る。遅くなるかもしれねえが終わったら必ずお前の所に行く」



言って、背を向ける。

一体誰が何の用事で自分を呼んでいるのか知らないが、さっさと済ませて名前の元へ戻る事にしよう。そう思い一歩足を踏み出した時。



「…リヴァイさん」



名前の声が優しく引き止めた。



「どうした?」

「ごめんなさい」



突然の謝罪に、眉を寄せた。



「ここに来てしまって、ごめんなさい。きっと困らせてしまいましたよね」

「困っちゃいねえ、元々お前の所に行くつもりだったんだ」



何を気に病んでいるのか。謝罪する名前を見るのは初めての事ではない。彼女は出会った時から謝罪してばかりで、小さな事も気にしては謝っていた。

やはり壁外調査の時に一人にしたのが間違いだったのだろうか。名前の性格を考えれば、知り合いが自分の知らない所で命のやり取りをしているというのに平然としていられるような人間ではない。

気に病んで、悪い事を想像し、それを振り払い。そうして追い詰められてしまったのだろうか。



「ごめんなさい、……私で、ごめんなさい」

「はっ、何だそれは。お前は何もしてねえだろ、おかしな事を言うな」



鼻で笑い飛ばせば、名前はまた泣きそうな、溶けるような顔で微笑んだ。



「じゃあ私、…もう帰りますね」



くるりと背を向けた名前。きっと部屋に戻るのだろう。

もう一度、彼女の名前を呼ぼうかと思ったが、それよりも早く後ろから呼ばれた「リヴァイ兵長!」という自分の名前のせいで、彼女の名前を呼ぶことは叶わず。

ふわりとスカートを揺らしながら去って行く名前の背中を少し見つめた後、自分も背を向け兵士達の元へと急いだ。

そろそろ陽が暮れる。夕暮れ時には無理だが、月が登る頃には名前の元へ行けるだろう。

そんな事を思いながら。