最初は慣れない味に抵抗があったものの、毎日繰り返し食べているとさすがに慣れてくる。千切ったパンを口の中で咀嚼しながら名前はそんな事を考えた。

兵団にはそれぞれ専用の大食堂があるらしく、調査兵団にもそれはある。けれど名前が使用するには容姿が目立ち過ぎるという理由から、名前はそこでの食事は出来ず、毎日部屋へと運ばれてくる物を一人で食べていた。

日本人というのは珍しさと同時に、肩身の狭い身分でもあるのかもしれない。

最後の一口を放り込んだと同時にコンコンとノックされた部屋の扉。ナプキンで口元を軽く拭うと椅子から立ち上がり部屋の扉を開けた。



「やあ名前!おはよう!」

「おはよう、ございます…ハンジさん」



満面の笑みを浮かべたハンジに少し圧倒されつつも挨拶を返す。見れば彼女の手には朝食の乗ったお盆が持たれており、名前は僅かに首をかしげて見せた。



「あ、朝食なら先ほどモブリットさんが、」

「ああ、彼にあなたの部屋に食事を運ぶよう頼んだのは私だからね!で!私は一緒に食事をしようと思って来たわけだ!」

「えっ」



はた、と目を見開かせた名前。ちょうどいま食べ終わったところだ、と正直に言うことも出来ず「あの、その、」と言葉を濁した。そんな名前の肩口から部屋を覗き込むと空になった朝食のお盆を見つけ、ハンジは「遅かったみたいだね」とのんびり口調で答えた。



「すみません、私がもう少しゆっくり食べていれば…!」

「いいよいいよ、次からはもう少し早く来ることにするから」



へらっと笑って見せたハンジに名前少しだけ安堵する。せっかく来てくれたのだからこのまま帰すのも申し訳ないと思い、名前は部屋の扉を大きく開いた。



「せっかくですし、中で食べていきませんか?」

「いいの?」

「もちろん。食後のお茶も用意しますよ」



「じゃあお邪魔しちゃおうかな」と嬉しそうに入ってきたハンジを椅子へと促すと、名前は茶葉の缶と簡易的なティーポットとカップを取り出した。



「なんだか押しかけた上にお茶なんて申し訳ないね」

「いいえ、一人で時間を持て余していましたし、気にしないでください」

「そう?それならよかった!」



そう言って早速朝食に手をつけ始めるハンジに少しだけ笑みをこぼしながら名前もお茶の準備を始める。

ハンジとは初めて出会った日からなんだかんだと世話になっている。

あれ以降名前の風呂の世話をしてくれるのもハンジだ。最初は申し訳ないと思い遠慮しようとしたが、滅多に風呂に入らないハンジがこうやって清潔にいられるのは名前のお陰だから遠慮はしないで欲しい、とモブリットに熱弁をふるわれたのを思い出し、小さく笑った。



「今日はなにか予定でもあるの?」

「今日も勉強ですよ。この前ミケさんが私でも分かりやすい本を貸してくれたのでそれを読もうかと」



おそらくこの本だろう、とハンジは机の端に置いてあった本を手に取るとペラペラと捲った。確かに内容が分かりやすい。挿し絵と共に簡単に噛み砕かれた内容の評論本はミケが貸してくれたと言ったが。ミケの私物にしては本の内容が簡単すぎる。理由はやはりこの多すぎる挿し絵だ。

さては名前の為に買ってきたな、と察するとハンジは込み上げる笑いが抑えきれない。



「にこにこして、どうしました?」

「いや!ご飯が美味しいなと思って!」

「そうですか」



楽しそうに笑うと名前は「少し茶葉を蒸らしますね」と言ってハンジの向かいの椅子に腰掛けた。



「名前の淹れてくれるお茶が美味しいってよくエルヴィンが言ってるよ」

「え、ほんとですか?」

「勉強会の度に名前が淹れてるんでしょ」

「はい。本当はもう少ししっかりとしたお礼が出来れば良いんですけどね」



苦笑いした名前に「本人が喜んでるなら良いんじゃないかな」とハンジはからりと笑って見せた。



「あっ、そういえば明日はお時間をとってもらえるみたいで、久しぶりに勉強会をしてくれるんですよ」

「エルヴィンが?」

「はいっ」



そんな余裕あったっけ?とハンジは声には出さないまま考える。近々壁外遠征もあるせいでそれなりに調査兵団自体は忙しいはずだ。その中で団長であり多忙のエルヴィンが時間を取れるはずがない。取れるとしたらそれは彼にとっての数少ない休日だろう。

カップに紅茶を注ぎ始めた名前の背中を見て考える。そうまでしてエルヴィンが名前に構う理由を。

いや、そんな、まさか。



「いやいやいや、さすがにそれはないか、ないよね、ないはず…」

「え?」

「あー、こっちの話!」



浮かんだ答えを即座に消すと名前が持ってきてくれた紅茶に口をつける。エルヴィンが絶賛する意味が分かる。特別な味というわけではないが。なるほど、これは確かに美味しい。



「リヴァイとは最近話してる?」

「え、あ…最近はあまり…」



表情を暗くした名前の様子に「何かあった?」とハンジが尋ねると名前は曖昧に笑って見せる。



「いえ、話すことが少なくなったな、と思って」

「うーん…元々リヴァイは気難しい男だし、一応忙しい立場でもあるからね!あなたがどうこう、って訳じゃないと思うよ」



そう言えば心なしか安堵した笑みを浮かべる名前。

元気付ける為に言ったものの、少々引っかかりを感じた。気難しい男というのは事実だが確かに名前を気にかけていたのも事実。ハンジのところに名前の風呂の世話を頼んできたのもリヴァイだ。それなのに。

名前の胸元で太陽の光を淡く反射させるネックレスを見て、ハンジは僅かに溜息をついた。



「今度、夜中の誰もいない時間に大浴場でも行ってみる?」

「えっ」



口では「それはだめですよ」と言いながらも、嬉しそうに口角を上げる名前はとても分かりやすく、同時に可愛らしいと思う。

これ以上名前の顔が曇ることがないように。そう思うとハンジは自然とリヴァイの話題を遠ざけ、また懐古の念を催させる記憶を押し流すように、まだ暖かい紅茶を一口含み、飲み込んだ。