私のおばあちゃんはとても綺麗な人だった。

いつも和服を着て、年を取ってもピンと伸びた背中。凛とした声に、強い眼差し。誰に対しても媚びたり物怖じもせず。だからと言って自ら目立つ事もせず。男性を立てるのもすごく上手だったおばあちゃんは、どれだけ歳を重ねようと大和撫子と周りから言われていた。

そして最後まで凛とした態度で逝ってしまった。



「もう千歳さんが亡くなって二年経つのね」



親戚の誰かがそう呟くと、周りは呼応するように「もうそんなに経つのか」と口にした。

私はそんな年配の方々を横目にしながら次から次へと食事やお酒を運んでいた。慶弔事では若い女が動くものだと言うのは分かっているけれど。まるで召使いのように酒だツマミだと動かされていたせいで私の足と腰はそろそろ限界を迎えそうだ。



「名前、少し休んできなさい。喪服も疲れるでしょ?もう着替えてもいいわよ」

「え、でも悪いよ…まだ長引きそうだし…」

「良いから、あとは母さんがやっておくわ」



母はカチャカチャと静かに食器を洗いながらそう言うと、追加分のお酒の準備をし始める。私と同じように。いやそれ以上、朝からずっと動いていた母親に休んでこいと促されても素直に頷く事が出来ず、躊躇した。

確かに長時間喪服を着ていたせいで肩も凝っているのだけど。大広間にいる年配達はまだまだ飲んで食べてをしそうだし、どうしたものかと悩んでいたら、ふと聞こえた声。



「千歳さんの孫の名前ちゃんだっけか?あの子は見ためだけなら千歳さんに似ているんだがな」

「あら、そうかしら?千歳さんの方が若い頃うんと綺麗だったじゃない」

「それに見た目が同じでも身振り手振りも、言葉遣いもあの子は千歳さんには遠く及ばないよ」



「名前、休んできなさい」



母の低い声にハッと振り返る。

先程とは打って変わり、ガチャガチャ大きな音を立てて熱燗を用意する母。笑顔だけど怒ってる。こうなったら私が何と言おうと母は止まらない事を知っている。



「じゃあ着替えて離れにいるから、何かあったら呼んで」



それだけ言うと私は大広間へ挨拶はせず、足早に母屋から出た。

私が出たと同時に大広間から「あっちいぃ!!」とか、母の「あらぁ、手が滑ってしまいましたわぁ、ごめんなさいねぇ」と言うわざとらしい謝罪の声が聞こえるけど、振り返らない事にした。



・・・



白のブラウスに白のカーディガンを肩から羽織る。ふんわりと揺れる淡いピンクのスカートを履くと縁側に腰掛けた。

春独特の暖かい風が吹き抜け、揺れる髪の毛を優しく抑えつけた。

風と一緒に舞い飛んできたのは淡い桃色の花びら。縁側に落ちたそれを指先で摘み上げると太陽の光に透かしてみる。

離れの庭に生えた大きな桜の木。生前おばあちゃんがずっとお世話をしていたものだ。おばあちゃんが亡くなってしまってからお世話をしていたのは私だけど、虫は集っていないし、花びらも綺麗な色をしている。

お世話の仕方は間違っていなかったと少しホッとした。



「いい天気…」



花びらから手を放し、そのまま両手をぐっと上に伸ばす。

朝早くから始まったおばあちゃんの三回忌。最初はみんな喪服で、厳かな雰囲気だったけれど、会場をこの本家へと移してからはあの雰囲気はどこへやら。全員おばあちゃんの思い出を肴にしてお酒を飲むだけの会になってしまった。

一周忌の時も似たような感じだったから覚悟はしていたけど。



「やっぱり今回も言われちゃったか」



苦笑い混じりに親戚の言葉を思い出す。

おばあちゃんと比較され傷ついた事はない。だって本当に綺麗で凛とした女性だったから。

まだおばあちゃんが生きていた頃。大掃除をした時におばあちゃんの娘時代の写真を見た事がある。袴を着て後頭部に少し大きめのリボンを付け、一輪の百合の花を手に微笑むおばあちゃんの姿。

試し撮りを頼まれただけよと言っていたけど、試し撮りなんて次元じゃなかった。どうして私がおばあちゃんと似てると言われるのか不思議に思うほど綺麗で清廉な人。

見ためだけなら似てる。

親戚の達がそう言うたびに母は私に対して失礼だと怒るけれど、私からしたらあのおばあちゃんと見ためだけでも似てるという事がすごく嬉しい。



「あ、そうだ」



ふと思い出して立ち上がると首に付けたままだった真珠のネックレスを外し、カバンにしまっておいた桜色の石の付いたネックレスを取り出した。

このネックレスを見つけたのも大掃除の時だった。

ホコリの被った小袋に入れてあったネックレス。何だろうとおばあちゃんに見せたら少し驚いた顔をして失くしたとばかり思っていたらそんな所にあったのねと懐かしそうに頬を緩めて見せたのだ。



「このネックレス可愛いね、おばあちゃんの宝物?」

「宝物、そうねえ…宝物だった物かしら」

「今はもう宝物じゃないの?」




私の言葉におばあちゃんは困ったように微笑んで、ネックレスを見つめていたのを覚えてる。



「昔、ある人から…」



そのまま押し黙ってしまったおばあちゃん。

愛おしさと、悲痛さが混ざったような。

何とも言えない感情を表情に滲ませながら、ネックレスを見つめるおばあちゃんの横顔。私はなんとなく目が離せなかった。

そんな私の視線に気付いたのか、おばあちゃんは静かに微笑むと私の手を取りネックレスを握らせた。



「貴方にあげるわ」

「え、え?貰えないよ、今は違くても大切な物だったんでしょ?想いの入ったものを簡単にあげたらダメだよ」

「ふふ、そう言う名前だからこれをあげたいの。それにおばあちゃんには、おじいちゃんから貰ったこのネックレスがあるから、これはもう必要無い物なの」




いくら断っても、笑顔のまま意見を曲げないおばあちゃんに結局折れたのは私で。今となってはこのネックレスは形見のような物になっている。

ネックレスをつけ、パンプスを履くと庭へと出る。

さあっと穏やかに吹き抜ける暖かい春の風。

桜の季節と同時に逝ってしまったおばあちゃんが最後にこの桜を見れたのかは分からない。何を想ってこの桜を大切にしていたのか私は知らない。聞いてもはぐらかされてしまっていたから。

最後の最後まで魅力的で、凛とした人だった。

ネックレスに触れながらおばあちゃんの記憶を辿ると、もう片方の手で桜の木に手を触れた。



「…、…?」



その瞬間、くらっと揺れた頭。

なんだろう?貧血かな、それとも今日一日動き回っていたから疲れちゃったのかな…?

とりあえず縁側に戻って身体を休めなければ。そう思うのに、動く事が出来ず。次第に酷くなっていく目眩に表情を歪めた。

このままでは倒れてしまう。その前になんとかしなきゃ、なんとか。誰かを呼ばなきゃ。

その思いも虚しく、私の意識は暗闇の中へと引きずり込まれていった。


最後に見えたのは満開の桜と、舞い散る花びら。