カッフェ 「お、お疲れ様です、お先に失礼します…」 どこか遠慮がちに帰っていく社員達。リヴァイはチラと目線だけ向けると「ああ」と小さく返事をし再びパソコンに向き合った。 時間はもう定時を過ぎている。家族が待っている社員たちは早々仕事を切り上げ、この後予定のある者は軽やかな足取りで身なりを整える。けれど、その誰もが未だデスクにいるリヴァイを見て目を見開き、表情を強張らせた。 この会社内においてリヴァイの評判と言えば、効率が良く無駄を嫌う男。確実な業務処理と無駄のない指示を飛ばし、手本となるような行動をする。 そのリヴァイが、定時になるというのに未だデスクに腰掛けているのだ。その姿に社員は全員息を詰まらせた。 仕事納めが近づき、鬼のように業務が増えた時も定時までに終わらせていたリヴァイ。普段から残業など一切せず、特に週末は確実に仕事を終わらせていたというのに。 誰もが驚き、困惑し、そして小さな声で挨拶をする事しか出来なかった。 そんな社員達のどよめきに気付いたのはハンジ。ひょこ、とリヴァイのいるオフィスを覗く。週末、おまけに今日はクリスマスだと言うのにキーボードを打ち続けるリヴァイの姿にハンジは少しだけ首を傾げた。 「やあ、お疲れリヴァイ!珍しいこともあるもんだねえ!」 「…何しに来やがった」 「いやあ周りがお化けでも見たような顔でこの部屋を見ていたから気になってね!」 「悪かったな」 「そうしたらまさかリヴァイがいるなんて!あなたともあろう人間が残業をしてるなんて珍しいね!何かあった?」 「何もねえよ」 「ふーん、おかしいなあ、私の手帳によると今日は週末のクリスマスで、リヴァイの誕生日だった気がするんだけどなぁ」 カバンから取り出したシステム手帳をわざとらしく見るハンジにリヴァイは小さく舌打ちをした。 「何が言いてえ」 「それはリヴァイ自身が一番理解してるんじゃないの?」 「……」 「何でここにいるのさ、イタリアンな彼女と約束は?」 「そんなもんしてねえよ」 苦虫を噛み潰したような顔でパソコンと向き合うリヴァイを見て、二人に何かあったんだとハンジはすぐに気付いた。今年の春から週末には必ず会っていた二人が、こんな特別な日に会わないのはきっと訳があるのだと。 「喧嘩でもした?」 「してねえ」 「じゃあ彼女の方に用事が入ったとか?」 「、さあな」 一瞬言葉を詰まらせたリヴァイを見て、ああ彼女に予定が入ったのか、と声には出さず納得する。 「この時期だと忘年会とかクリスマスパーティーかな」 「……」 「男性も来るんだろうね、お酒も入るから大変だ。酔った勢いで変な事されなければいいけど」 リヴァイの鋭い瞳がハンジを捉えた。苛立ちと不快感の両方を混ぜたような瞳をするリヴァイ。その様子を見て少しだけ笑うと、ハンジは溜め息まじりに言葉を続けた。 「まあこれで向こうに恋人でも出来たらリヴァイの週末は空く訳だし、そしたらまたエルヴィンや私達と飲みに行ける訳だから良いんだけどね」 「じゃお疲れ、他の社員が動揺するから残業は程々にしてね」と言い残すとオフィスを出て行ったハンジ。段々と人の声が少なくなっていく社内で、リヴァイの手は止まっていた。 パソコンと向き合っているのに、頭の中はぼんやりとし別の事を考えている。 男が出来れば良いと言ったのは自分の癖に、今はその言葉を酷く後悔している。あの時のナマエの声は顔を見なくても分かるくらい動揺していて、無理に明るく繕っていた。 もしも言った事が本当になったら。男が出来たら、週末のあの時間はもう二度とやってこない。 そうしてお互いの記憶から段々と消えていくのだろうか、段々と薄れていくのだろうか。 「……情けねえな」 一言、自分に悪態を吐くと少し強い力でパソコンを閉じた。 日を跨ぐまで、まだ六時間ほどある。ナマエは確かリヴァイの家の最寄り駅から二つ離れた駅で同窓会をすると言っていた。最近出来たイタリアンだと。 思い出せる限りの情報を携帯に打ち込み検索をかけると、レストランの情報はすぐに出てきた。 ナマエは今ここにいる。そう確信を持つとリヴァイはコートを羽織り荷物を纏めると少し早足でオフィスを出た。 ・・・ 「二次会もあるのでここで全力を尽くさないように!乾杯!」 高校時代、学年一目立っていた男性の挨拶で始まった同窓会。 レストランの中にある宴会室を使った立食形式のパーティー。クリスマスという事もあり貸し切りは出来なかったが、新しく出来たばかりの清潔なレストランの中で行う同窓会に誰も文句は言わなかった。 一通り挨拶を交わし、それぞれの近況を話すとナマエは一人壁際に行き、ぼんやりと会場を眺めていた。 何となく食べる気が起きず、用意された食事に手を付けていない。手の中でシャンパングラスを揺らすと、パチパチと小さな音が響いた。 「ナマエ、どうかした?」 「えっ、あ、いや…なんでも」 「何でもないって顔じゃないし、何より食事をしないナマエなんて気味が悪いわ」 「ペトラの中の私って何?」 「食欲のおばけ」 「おかしいよね」 クスクスと楽しそうに笑うペトラにつられるようにして笑うと少しだけ気分が楽になった。 どうしても考えてしまうのはリヴァイの事。けれど考えていても仕方がない事は分かっていた。何か自分からアクションを起こさないと何も変わらない。 いま間違いなく自分はリヴァイの恋愛対象ではない。そういう目で見られていない。だからあんな風に言われてしまったんだ。 それなら、見てもらうにはどうしたらいいのか。ただの週末の食事仲間じゃなくて、リヴァイの特別になるにはどうしたらいいのか。相手の性格を考えるとあからさまに色恋を向けられるのは嫌いそうだ。 媚びない意思表示の仕方はどうしても難しく、「うーん」と悩むナマエをペトラは覗き込むようにして見た。 「食べたら?」 「えっ」 「食べたら吹っ切れる事もあるでしょ」 「そうかな?」 「そうよ、ナマエの場合は特にね」 また楽しそうに笑ったペトラを見て、ナマエはふと思い出した。リヴァイに「美味そうに食う奴だな」と言われた事。その時のリヴァイの表情がとても柔らかかった事。 不意に。会いたくなった。会いたいと思う気持ちが膨らんでどうしようもない。好きで、どうしようもない。 「ペトラ、ごめんね…私実は今日用事があって、最後までいられないんだ、」 「そう。それなら、会費分の元は取らなきゃね」 「はいっ」と皿の上にあったレバーペーストの乗ったフランスパンを渡される。決して深く聞かず、言わなくても分かってくれる友人。その存在をとても嬉しく感じ、ナマエはふにゃりと笑みを浮かべた。 手に持っていたシャンパンを一気に飲み干すと「よしっ」と小さな気合いを入れる。 「これ食べて、他のも一通り食べたら私行くねっ」 「はいはい」 手始めにペトラから受け取ったフランスパンにかぶりついた時、ナマエは目を見開いた。 もぐもぐとゆっくり咀嚼すると、鼻を通っていくハーブの香り。覚えのある味に「あっ」と声を上げかけた時。トントンと肩を叩かれ振り返る。そこには遠慮がちにナマエを伺うウェイターの姿。 「すみません、お楽しみの所失礼いたします」 「はい?」 「ミョウジさんという方はどちらにいるかご存知ですか?」 「ミョウジは、私ですけど…?」 「ああ、そうでしたか」と安堵の笑みを浮かべるウェイターにナマエは何だろうと軽く首を傾げた。 「外で恋人の方がお待ちですよ」 「へ?」 ウェイターの言葉に間抜けな声が出た。 |