「…身体は?」

「…あ、えと…大丈夫、です」

「そうか」



そして、沈黙。

たったこれだけの会話なのに、お互いの胸は酷く熱くなる。緊張、高揚、歓喜、哀切、色々な感情が絡まり過ぎてうまく言葉を紡げない。

そよそよと吹き込む風。少しだけ乱れた髪を、ナマエは誤魔化すように整える。



「…っ…」

「…、」



ふ、と盗み見れば交わる視線。カッと熱くなる頬を誤魔化すため、ふらふら視線を彷徨わせるナマエを、リヴァイはただただ見つめていた。

いつまでも続いてしまいそうな沈黙を破ったのは、見つめられ困惑したナマエの方だった。



「あ、の…っ」

「何だ?」

「助けて、いただいたみたいで、その…ありがとうございました…」

「いや、気にするな。俺は」

「…?」



俺は、ただお前を


言いかけて口を閉ざしてしまったリヴァイ。

そんな彼をナマエは不思議そうに伺い見る。下から、そっと。どこか遠慮がちに覗き込む彼女の視線を受け、リヴァイは触れてしまいたい衝動に襲われる。

だが拳を握り、ぐっと耐えた。



「聞きたいことが、ある」

「はい…?」

「何故、あの女を助けた?」



その瞬間、ナマエは表情を強張らせた。すぐに、顔を俯かせ黙り込んでしまう彼女に、リヴァイは眉を寄せる。

どうしても、気になった。

元より穏やかで優しいナマエではあるが、そこまで、底無しに慈しむ心を持っているとは思えない。

何を想っての行動だったのか。



「関係を、理解して助けたのか?」



不貞の関係を結んだ相手。自分の生命を賭けてでも助ける相手では無いはず。むしろ真逆。

リヴァイにそんなつもりは無かったとしても、リヴァイと女でナマエの心を酷く傷付けたのは事実。全て理解している。これはリヴァイの単純な疑問だった。



「…、悪い…俺が聞く事じゃ無かったな」



忘れてくれ、と言いかけた時だった。



「…大切な人なんじゃないかと、思ったから」



静かな声。

顔は俯かせたまま、けれどハッキリと言い放つナマエの声。



「あの女性は、あなたにとって…もしかしたら、大切な人なんじゃないかと…っ」

「…」

「これから、先を…共にする人なんじゃないかと…っ…思ったから」



だから、と言葉に詰まる。ナマエの声が段々と震えて行くのが分かる。彼女がギュッと握りしめたシーツに深くシワが残る。

唇を重ねるほどの関係。経験のないナマエからすればそれは例えようのない行為。そこに伴う気持ちを想像したからこそ。



「…俺の、為か…?」



あの時、女が捕食されかけた時。ナマエの頭を過ぎったのは間違いなくリヴァイ。女が死んでしまったら、彼が悲しむのでは、と。ただそれだけを思い浮かべた。

そこに打算的な想いは無く。

ただただ、リヴァイの為に。リヴァイから離れる原因を作った女を助けたのだ。

だからこそ、女が兵団を抜けたと聞いた時、ナマエは動揺した。リヴァイは、どう思っているのか。もしも大切な人ならと。

何を想っての行動か。それはただ、リヴァイを想えばこそ、



「…、ナマエ違うっ…俺は、」



身を乗り出し、シーツを握り締め続ける彼女の手に触れようと手を伸ばした瞬間、パッと顔を上げたナマエ。

笑うこと無く、無表情のまま。リヴァイとしっかり目を合わせると、静かに口を開いた。



「私は、あなたに、お別れを言わなければと思いました」


「…っ」



ぎゅうと締め付けられる。このまま潰れてしまうんじゃないかと、錯覚するほどの痛みがリヴァイを襲う。口の中が乾いて、何か言おうと思うのに言葉が上手く紡げない。



「壁外調査が終わったら、二人で話そうって」

「…」

「ちゃんと、さよならをして…終わらせようと、思って…」



そこまで言った瞬間。

無表情だったナマエの顔が崩れる。耐えていたものが決壊していく。もう耐えられないと心が叫ぶ。

眉を下げ、困ったように笑った。



「思ったのに…でも、…だめです…っ」



泣くまいと思っていたのに。情けない姿を見せまいと必死に笑顔を作るのに、上手くいかない。



「全然、だめ…全然うまくいかない…っ」



瞬間、

瞳からポロと溢れたそれ。一度溢れたら次から次へと溢れてしまい、ナマエは咄嗟にリヴァイから顔を逸らした。

けれど行動とは反して、剥き出しになった心が止まらない。



「もっと、ちゃんと…しようって…」



真実を伝えるにしても、せめて落ち着いて話そうと決めていたのに。

リヴァイの顔を見た瞬間から、本当の心が顔を覗かせて、ぼろぼろと鈍っていく決意。

本当に伝えなければいけないことが、胸の内に溢れてどうしようもない。言いたいこと、言わなければいけないこと。



「ずっと、言えなかったこと…嫌われるんじゃないかと、思うと怖くて、…言えなかったことが…、あって」



蓋をした気持ち。

ずっとずっと隠してきた本当の気持ちが、言葉になる。



「わたし、あなたを誰にも取られたくない…っ」

「…!」

「傍にいたいからっ…だから、……あなたにも、傍にいてほしい…っ…他の人の所になんて行って欲しくない、こっちを向いてほしい…微笑んで欲しい…っ」



ずっと、ずっと、想っていた。

さようならなんて、言えるわけがない。どんな時でも、彼のことばかり考えていた。

一人で夕飯を食べている時も、深夜リヴァイがどこかに出掛けていく時も。取られたくないと、束縛以上に重く、独占欲よりも貪欲に。



「、好きです…大好きなんです…っ」



でもこんな事を言ったら重いと思われるんじゃないかと、嫌われるんじゃないかという恐怖心が、自分を守ろうとする防衛本能が。

想いを殺してきた。

心に蓋をして、ぎこちない笑みを浮かべるだけの女になっていた。

もうそんな事はしないと、約束するから。



「お願い…っ…どこにも行かないで…っ」



悲痛な、悲鳴に近い言葉。止まること無く、ぼろぼろと溢れる涙を両手で覆い、必死に抑えようとするナマエの姿。

その痛々しさ、愛おしさ、



「…、」

「っ!?」



衝動的に腕を掴むと、強く引き、傾く彼女の身体を両腕でしっかりと抱き締める。

息が出来なくなるほど強い力に、ナマエは涙で真っ赤な目を見開かせる。



「あ、の服が、汚れ…っ」



そう言って離れようとすると、一層両腕の力が強くなる。こんなに近付く事が初めてで、どうすればいいか分からない。

ぱちぱちと瞬きを繰り返していたら、リヴァイの片手がまるで抱え込むように、ナマエの頭に添えられた。



「…俺は、お前に何て言ったら良い…?」

「…え?」

「俺の悩みは、こんなにも簡単なことだった…」



どこか悔しそうに、ギリと歯を食いしばる音が聞こえる。

この気持ちの為に、どれだけの遠回りをしただろう。どれだけ彼女を傷付けただろう。こんなにも簡単な事だったのに。



傍にいろ…俺の一番近くに



きっと、初めから少し違っていたんだ。望むばかりではいけなかったのだ。



「ナマエ、」

「…はい、」

「俺は、お前が一番大切だ…自分以上に大切だと、そう言える」



初めから想っていた。気付いた時にはもうどうしようも無いほど膨れ上がり、自分自身の気持ちに自制が出来なくなりそうなほど大きくなっていた。

触れたいと、思うようになったのはいつからか。怖くなったのは、距離が開き始めたのは、いつからか。

考えるよりも早く、こうやって引き寄せる事が出来たなら、違っていたのだろうが。

ああ、でもそんな事よりも、後悔する事よりも、今伝えなければいけないのは。



「俺は、お前の傍にいたい…出来るのなら、一番近くに…」

「っ!」

「いさせてくれないか?」



傍にいてほしいと願ったのは、自分が彼女の近くにいたいから。

傍にいたいから、傍にいてほしい。

彼女と同じ、気持ちは同じ。



「…ナマエ?」



反応をしないナマエが心配になり、リヴァイは少し身体を離すとそっと顔を覗く。その瞬間、目に映ったのは。

目も、顔も、真っ赤にしたナマエ。



「み、見ないでください…っ」



咄嗟に顔を覆わんとしたナマエの腕を、反射的に掴む。

リヴァイの行動に、ナマエは身体に力を入れるが、力の差は歴然で、動かない。



「何故、隠す」

「だって…っ」



嬉しい、なんて言葉では表現しきれない。

ずっと、ずっと、待っていたのだ。夢見ていたのだ。その言葉を。リヴァイからの愛情を、身心全てで感じたくて。ずっと、ずっと焦がれていた。



「だって……私は、ずっと、ずっと…っ」



言葉にならない。言いたいことが上手く伝えられない。喜びで、ただただ泣きそうになる。

そんなナマエの気持ちを、理解しているから。リヴァイは掴んでいた腕を引き寄せると、再び彼女の身体を包み込む。



「悪かった、ずっと…独りにさせた」

「…っ」

「俺が一番大切にしたいのは他じゃない。お前だ」



独り想った日々を、たった少しの触れ合いと言葉が。溶かしていく。こんなにも簡単に詰められる距離だった。嬉しくて、涙は止まらなくて。

応えるように。ナマエは自分の両手をリヴァイの背に添えた。



「私も、あなたが…一番大切です」

「ああ」

「リヴァイを一番好きなのは、絶対…私です…!」



あなたを一番好きだ。

もう、他には負けないと。他からの視線に言葉に。自分の恐怖心には負けないと。潰されることのない気持ちを確かめる。



「ナマエ、呼びにくいなら名前は…」

「…いいえ、私が好きで呼ぶんです」

「…そうか…」



どこか、安堵した声。ぽんぽんと頭を撫でてくれる手。顔が見えなくても分かる。彼はきっといま微笑んでる。

こんなにも理解し合えていたのに。お互いの心だけが重なっていなかった。お互いにバラバラの方向を向いていたのだ。



「ナマエ」

「…はい…?」

「あまり使わない言葉だが、今この気持ちに当てはまるのは…きっと、この言葉なんだろうな」



身体を離しコツンと合わせたのは、お互いの額。

泣き過ぎて涙で濡れ、真っ赤になったナマエの瞳。そんな彼女の頬に手を添えると、親指でその涙を拭ってやった。




「愛している」



優しい顔のあなたがいる。

本物だね、やっと、重ねることが出来る気持ちがあるよ。

再び、涙で歪む視界の中、ナマエは微笑みを浮かべる。それは、ずっと見たかった優しくて穏やかな笑み。

惹きつけて離さない、その微笑み。

もう、迷わないと言い切ることが出来る。遠回りを繰り返したけど、もう目は逸らさない。離れない。傍にいる。

心を寄り添わせると、言い切れる。

だって、



「私もですよ、リヴァイ」






(真実を)
(まごころをあなたに)






今はこんなにも、お互いの心が見えるのだから。