リヴァイが内地に向かって少し経ったころ。

ぼんやりと目を開いたナマエ。

今自分がどこにいて、何があって、どうしてこうなったのか、分からないまま。



「ナマエー!!目が覚めたんだねー!!」

「…た、たい、ちょ…?」



と、ものすごい勢いで駆け寄ってきたハンジに飛びつかれ、ただただ瞬きを繰り返した。

医者が来たのはそのすぐ後。ナマエの診察をする前に中々彼女から離れようとしないハンジを、モブリットと医者の二人がかりで引き剥がすところからスタートした。



・・・



「少しは落ち着いた?」

「もう、それは分隊長のほうですよ…」



苦笑い交じりにナマエが呟くと「いや、だって嬉しかったからさ」とハンジは子供のように無邪気に笑ってそう答えた。



「身体はまだ痛いですし、お医者の方が言うにはまともに動けるようになるまでリハビリがあるそうです」

「うーん、まあ一ヶ月近く眠り続けてたらそうなるか」

「壁外調査にまた出れるのは当分先ですね…」

「え…」

「何ですか?」



壁外調査、という単語に目を見開いたハンジ。そんなハンジをナマエは不思議そうに首を傾げながら見返す。

「いや、その」と言葉を濁しながらガシガシと頭をかくと、ハンジは苦笑いしたまま気まずそうに口を開いた。



「いや…抜けるかと思ったから」

「抜けるって…兵団を、ですか?」

「まあ、うん…壁外調査に出て巨人に襲われたら、大体の人間は調査兵団を…って言うか、兵自体を辞めてしまうからね」



勝てなくなるんだ。壁外に出ると襲われた時の記憶がフラッシュバックして身体が震え動けなくなってしまう。

せっかく繋ぎとめた命を無駄にしたくないと、懇願するようになる。



「ナマエが助けた子…覚えてる?」

「…え…あ、はい…」


リヴァイ兵長とは、お話ししたのかしら?


壁外に出る間際、そう言ってきた彼女の事を忘れられる筈が無かった。それだけじゃない、もっと、別の事でも忘れられない。

どこか重たく呟くナマエの横顔を見ながら、ハンジはゆっくりと口を開いた。



「辞めたよ、彼女」


「え?」

「兵である事を辞め、実家に帰ったんだ」

「う、そ…」

「本当」



目を見開いたまま固まるナマエにハンジは僅かに違和感を感じる。



「何か、想像以上に驚いてるね…もしかして彼女に抜けて欲しく無かった?」

「いえ、ちが……ううん、違う訳じゃなくて…残るもの抜けるも、選択するのは個人の自由ですし…そうではなくて……私じゃなくて…」



どこか思いつめたように、顔を俯かせるナマエ。きっと今、色々な感情がナマエの中で渦巻いていて、収集がつかない事態になっているんだろう。

けれどハンジはそれに立ち入ることが出来ないのだ。兵団を抜けた女性とハンジは直接的に関わりがないのだから。

ナマエの気持ちに立ち入る事が出来るとしたら、それはきっと。ナマエとも女性とも関わりのあるリヴァイだけ。


そう、分かっているからこそ。ハンジはナマエの気持ちに触れようとしなかった。



「兵団を抜ける前、ナマエ宛に彼女から伝言を預かったんだ」

「…え?」


「助けてくれてありがとう、だって」



…別にあの子が目を覚まさなかったり、ハンジ分隊長が忘れてしまったのなら伝えてもらわなくて結構です。一応お礼くらい言った方がいいかなと思っただけなので。

強気にそう呟いた彼女の顔を覚えてる。



「きっと、何か思う事があったんだろうね」

「そう、ですか…」



ぼんやりとした瞳のまま。ナマエが思い浮かべたのは、調査兵団を去った彼女ではなく…



「リヴァイなら今内地にいるよ」



言い当てられ、面白いくらいナマエの身体がビクついた。

反射的にハンジを見ると、ハンジは苦笑いをして「ごめん、全部知ってる」と優しく呟いた。



「知って、しまわれましたか…」

「うん…あのさ、気付かなくてごめんね…相談してくれてたのに」

「え?」

「駐屯兵団の友達って…私には、言いにくかったでしょ」


罰が悪そうに俯いてしまったハンジを見て、ナマエは焦り身を乗り出さん勢いで言葉を紡ぐ。



「いえ、ちがいます!私が何も言わなかったからで、分隊長が気にすることじゃありません…!」



アイツは…自分の悩みに気付いて貰えなかったからと言って怒るような、



ハンジがリヴァイを叱責したあの日、彼が呟いた言葉を思い出した。



「遠回しな言い方をした私が悪いんです」



そう言って。笑う、彼女。


そんな小さい奴じゃねえ


ああ、やっぱりそうだ。

ナマエはそういう子だ。そしてそれを一番理解していたのはハンジではなく、紛れもなくリヴァイ自身だ。



「ほんっとに…もう…!」



こんなにも理解していながら。



「ナマエ」

「はい?」

「ナマエを助けたのは、リヴァイなんだ」

「っ…え…」

「絶望的な状況の中に、一人で切り込んで行って、血だらけのあなたを抱えて戻ってきたんだよ」

「…」

「傷だらけのナマエを目の前にして、このまま失くしてしまうんじゃないかっていう恐怖と焦燥に、自分を見失って感情を剥き出しにしてた…」



こんなにも互いを想いながら。



「あんなリヴァイを見たのは初めてだったよ」

「っ……あれは、自分の都合のいい想像だと思っていました…」

「うん?」

「意識を手離す瞬間、見えた気がしたんです…姿が…」

「…」

「…私の名前を呼んでくれる声が…聞こえた気が、したんです…っ」



こんなにも心を通わせておきながら。

どうして。

こんなにもお互いに、お互いの心をひた隠しにしていたのか。それはすぐそばにあるのに。隠さず向き合えば、すぐ分かってしまうくらい単純明快で。触れてしまえるくらい溢れるほどの気持ちなのに。



「ナマエ…これだけ言わせて」



こんなにも想い。想うあまりに離れていく二人を見たことがない。



「リヴァイって男は、不器用なんだ」

「え…?」

「想えば想うほど。気持ちが膨らめば膨らむほど。愛情が大きくなればなるほど。分からなくなってしまうんだ」

「…」

「傷つけたくないんだよ…だけど本当は触れたいんだ」



眠るナマエの頬を撫でるあの指は。そうだった。どこかもどかしそうに。遠慮がちに。けれどしっかりと。触れていた。

本当は触れたくて仕方ないんだ。でも表現が分からない。



「そういう、男なんだ」

「…」

「もちろん、許してやってくれとかそういうことが言いたいんじゃない」



今は無償の愛でリヴァイを許して欲しい訳じゃない。リヴァイの行動は無理だと、ナマエの中で結論付けるならそれはそれで構わない。

でも、その前に。



「ぶつけて欲しい。ナマエの心を。怒りとか悲しさとか、そういうの全部…当たり散らして構わないから。だから、もっと剥き出して欲しい」



どうか、隠さないで。ちゃんと剥き出して、ぶつけ合ってから答えを出して欲しい。二人だけの答えを。

黙り込んでしまったナマエの頭をポンと一度撫で、ハンジは立ち上がる。



「リヴァイは数日後に戻ってくるし、戻ってきたら必ずナマエに会いにくる」

「私は、」

「待った待った!それは私に言うんじゃなくて、本人に言いな!」



二ヘラと、いつも通りに笑うハンジの顔をぼんやりと見上げていたが、ナマエはやがて、ゆっくりと笑みを浮かべる。弱々しく、どこか無理をした笑顔だったけれど。



「はい」



そう返事をする彼女の声は、どこか決意に満ちているように思えた。