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「夢乙女、」
頭のてっぺんからつま先まで全てを白に染めた男は薄暗闇の中で手を伸ばし、射干玉の黒を髪色に持つ女の頤を持ち上げた。
「どうした、Rocky。」
女は、血のように赤い唇を男の手に寄せて、上目遣いに男を見上げた。
「お前は、今幸せか?」
ほんの一瞬の沈黙が二人の間には落ちた。女の方は問われた問いかけについて思考を巡らせていたためであるし、男の方はじっと女の返答を待っていたからであった。
「…幸せだ。歌仙がいて、みんながいて、子供達がいて、お前がいてくるから。」
「…そうか。」
男がなぜそのような問いかけを発したのか、女には分からなかった。

『げんじ、まりがおみずにおちちゃったの』
夢乙女、と男はどこか夢見心地で女の名前を呼んだ。彼にとっては、幼き日に池に鞠を落としてべそをかいていた少女こそが自身の唯一と言ってもいい信仰であり、神であった。
「山野会長からの伝令だ。山狼会若頭として、『カルデアのマスター』とそちらへ与する者たちを始末しろ、と。」
真っ赤な着物の愛らしい少女は、いつしか黒の似合う女になっていた。彼女が口に銜える花魁煙管の毒々しい朱塗りの赤だけが、あの頃の名残を残している。
「…お前はなんと命じられた?」
「見つけ次第、始末しろと。」
ふぅ、と形の良い唇から紫煙が吐き出される。
「…確かに承った、と。」
どこか憂いたような表情で、彼の女神は呟いた。


「おかしゃーおはなしゃんいっぱいでどこいくのー?」
何本もの花をうんしょうんしょと抱えながら黒髪の幼子は母親を仰ぎ見た。
「…お墓参りだ。」
幼い弟の手を引いて。抱っこ紐でまだまだ一人で歩けない妹を抱えた母はそう言った。
「おはか?…おばけしゃんでゆ?(´ω`)」
不安そうに、弟は顔を上げる。
父に買ってもらったねないこだれだの絵本を読んでから、すっかりお化けが怖くなってしまった弟は途端にどうしよう、と顔を強張らせている。
「今はまだ明るいからおばけも寝てるさ。」
ふふ、と笑う母の顔からは、この数日の間彼の人に覆いかぶさっている憂いの表情は拭いとれない。
「おかしゃ、おしごとしゃんいそがし?(´ω`)」
だから馨はよいしょよいしょと花束を抱えなおしながら心配そうに母を見た。
「おかさんが?どうして?」
「らって(´ω`)らっておかしゃ、たいたいのおかおしてう(´ω`)」
馨がそんなことをいったからなのか、母はひどくびっくりしたようだった。
「おかさんが、痛そうだった?」
「うんとね、あんね、このあいだね、しーくんが、あんよしゃんぶつけたことあったでしょ?」
「…ああ、あったな。」
「あんときのしーくんみたいにね、おかしゃ、たいたいのおかおしてうの。」
一生懸命に馨が言い募れば、母はまたあのどこか寂しそうな表情を浮かべた。
だから、馨はおかさんのたいたいをないないしたくって、なでなでしてあげう!と手を伸ばしかけた。その時のことだった。
ドォン、とすぐ近くから大きな音とグラグラと地面が揺れる地響きが伝わったのは。
馨の手から花束が落ち、無残にアスファルトの上に叩きつけられる。突然のことに幼い妹は火がついたように泣き叫び始め、馨と弟の紫苑はどうしていいかわからずにただ母の服を掴んだ。
音は、ほどなくして止んだ。それでも、つい最前の恐怖に馨と紫苑はぶるぶると震えた。妹の彩綾も泣き止む気配がない。母だけがただ一人、足に根でも生えているかのようにその場にすっくと立っていた。
「どこぞのバカがおっぱじめ始めたな。堀川。」
「はいはいーっと!こんなこともあろうかとこっそりついてきてて正解でした!」
「子供達を頼む。」
「わかりました!さあちゃん、びっくりしたねー。もう大丈夫だよー。」
物陰から現れた青年、堀川は抱っこ紐の彩綾を受け取り、慣れた手つきであやし始める。
「おかしゃ!どこいくの?!」
「様子を見てくる。馨、紫苑を頼んだぞ。紫苑、にぃにと堀川から離れるな。」
馨は、駆け出していく母の背中をただ見つめることしかできなかった。
「大丈夫だよ、かおくん。」
顔を上げると、堀川が微笑んでいた。
「おかさんはすごーく強いから。」


「ジャンヌ・ダルク・オルタ。」
衝撃と爆発音の中心地へと近づきながら夢乙女がそう呟けば、漆黒の炎が沸き起こり、黒き聖女が姿をあらわす。
「あぁら、マスターでもないアンタに呼び出されるなんて。」
「召喚時の契約で私からの呼び出しにも応じるとしただろう。戦闘に割って入る。お前は引っ掻き回せ。」
「ウィ。」
黒炎が渦巻き、激突する両陣営のちょうど中心に炎を纏った槍が突き立った。
「あ、新たなサーヴァント反応ですッ!」
「あー?なに?邪魔しないで欲しいんだけど。」
一方は顔をしかめ、もう一方は面倒臭そうに頭をかく。
「そこまでだ、村山、しのっち。」
煙が晴れ、その場に立つ夢乙女とジャンヌ・オルタの姿があらわになる。
「お義姉、さま、」
灯真が呆然とそう呟くのが藤丸と立香の耳に届いた。
「ちょっとゆめっちちゃーん、邪魔する気?」
「そちらこそ、ここがどこか心得てるか?White Rascalsのシマだ。」
「SWORD全域にカルデアのマスターの抹殺令下ってるでしょ?今更境界線とか関係なくない?」
「…くわえてここは共同墓地のすぐ側だ。」
ぴくりと、明らかにその一言に村山と士乃は動揺したらしかった。
「子供達を連れて墓参りにきてみればこのザマ。SWORDやお父様に協力する連中がどこで戦闘を始めようと私の知ったことではないが、」
死者の眠りを妨げることと私の子供達に危害が及ぶような真似はするな。
「…エミヤオルタ、今日はもうおしまい。村山、今日のところはもう引こう。」
「チビちゃんたちに、怖がらせてごめんねーって言っといて。…とりあえず今日のところは引いてあげるけど、次はないよ。」
「無論だ」
男たちは来た時同様にぞろぞろと立ち去っていく。
「あ、の!」
自身もジャンヌ・オルタを伴って立ち去りかけた夢乙女を立香が呼び止めた。
「た、助けてくださってありがとうございます!」
「…助けたつもりはない。カルデアのマスター、今すぐこの世界から立ち去れ。これは忠告ではなく警告だ。」
「そ、れは、どういう、」
「……この先に、共同墓地がある。そこに行けば理由は自ずとわかるだろうさ。灯真、」
びくり、と藤丸と立香に庇われていた灯真は名を呼ばれ、肩を震わせた。
「最初に始めたのは、お前だぞ。」
「……え?」
「覚えていないか…。まあ、そうだろうな。始めに■■が■■■■の■■を望み、次に■■■が■■■■■■ことを望んだのだから。」
「今、ノイズが、」
「お、お義姉さま!ど、どうして、お義父さまを止めないんですか?!」
「私が『私』である限り、あの人を止めることはできない。灯真、お義父さまは源治も使う気でいるぞ。」
「……ッ!」
顔を蒼ざめさせ、ただただそこへ立ち尽くす少女を尻目に、黒衣の女はどこかへと立ち去った。
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