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ソレがひとときの夢であることは重々承知しているはず、だった。消えゆく事象と事象とがぶつかり合って、気の遠くなるような数の狭間にふつりと浮かんで消える泡沫の時間。そこで、君を見つけてしまった。今日この時ほど、自分が■■■であったことを喜ばしく思ったことはなかった。


−−−これは、『無かったこと』の物語。

「第七の異聞帯の消滅を確認。汎人類史は再び盤石なものとなるでしょう。」
遠見の鏡を覗いていた孫兵の言葉に、そう、と子狼は返した。
「この世界が彼らに発見されるのも時間の問題かと。」
「…どうして放っておいてくれないんだろうねえ。」
「本来ならば、この世界は剪定事象以前にIFでも、選ばれなかった事象でもありません。ソレを分かった上で、■■■■を■■■■のだとばかり。」
「孫ちゃんってあいっ変わらず真面目だね。うん、報告は適当にあげといて。」
「どちらへ?」
「ジェシーのとこ。」
愛らしき麗人は、唇の端を吊り上げて笑った。
SWORD地区とその近隣諸地区は数年前の九龍グループとの抗争以降比較的平穏だった。無論、SWORDを倒して名を上げようとする輩がいなくなったわけではないがSWORD存続を脅かすような事態には未だ陥っていない。
「ハァイ、ICE。ジェシーいる?」
湾岸地区。マイティ・ウォリアーズの本拠地にて、子狼は気安げに手をあげ、マイティ・ウォリアーズを率いる男の名を呼んだ。
「アンタか。ジェシーなら中だ。」
ICEはクラブの方へ顎をクイっとやる。
「ありがと。どう?客の入りは?」
「売り上げと支出、トントンだな。九龍とアンタら山狼が揉めてた時分よりは収益は上がってきてるが。」
「そりゃ結構なことで。…ああ、『また』外からお客が来るかもしれない。」
ぴくり、とICEの目元がわずかにヒクついた。
「そのことをジェシーに言いにきたのか?」
「いや、単に顔が見たくなっただけ。君を脅すつもりはないのだけれど、■■■■が無くなって困るのは君も同じだろう?ICE。」
「イカれたjokeだ。…だが、アンタにはジェシーの件で借りがある。協力はするさ。」
「サンキュー、ICE。」
「うげ、また来たのかよアンタ!」
背後から聞こえてきた声に、子狼はぱあっと破顔した。
「やっほージェシー!遊びに来ちゃった
「何が来ちゃった、だよ。四六時中入り浸りやがって…。」
「んふふ、」
「んだよ、気色悪い…。」
「ひどいなあ。幸せだなって思ってただけだよ。」
幸せだなって。
子狼は眩しいものでも見るかのように、目を細めて微笑んだ。


「ダ・ヴィンチちゃん、一体何が、」
シャドウ・ボーダーの中を慌てて走って来た姉弟にダ・ヴィンチは厳しい表情を向けた。
「至極残念なお知らせだよ、藤丸くん、立香ちゃん。第八の異聞帯が発見された。」
「え。」
「そんな、クリプターは全員倒したはずじゃ、」
「そこが若干不可解なんだけどね。これまでの異聞帯は一応同一時間軸上に各異聞帯が散らばる形だった。今回ペーパームーンが拾い上げたのは、ある種これまで私たちが遭遇して来た特異点に近い。2016年の日本のある都市からの反応だ。」
日本のある都市。
その言葉に、立香と藤丸はびくりと肩を震わせた。
「その都市の名はSWORD地区。地理的に見ると本来は神奈川県が存在していたはずの場所に忽然と現れた新たな都市だ。」


「『お客』が来たんだって」
「またか?」
「今度はいつものとは違うみたいだよ。なんだっけ、特異点じゃなくて、異聞帯?だかに認定されたんだって。」
「なんだそりゃ。」
「俺もよくわかんない。けど孫兵さんが用心しろ、って。灯真の一件もあるし、さ。」
「…なんにせよ、俺たちはあの野郎に借りがある。灯真は、またどっかで泣いてるんだろうな。」
「いつでも戦える用意はしておけ、ってさ。」


「また、哀れな客人が舞い込んで来たのか。」
「今度はいつもと勝手が違うらしいよ、夢ちゃん。なんでも、人理修復を成し遂げた連中らしい。」
「ふうん。」
「…おや、思ったよりは驚かないんだね。」
「驚いてはいる。ただ、」
「ただ?」
「どうして私たちを放っておいてくれないのだろう、と。」
「そりゃあ、■■■が■■■■だからだろうさ。」
「お父様はなんと?」
「これといってなにも。ただ、ギルガメッシュが『こちら』のカルデアを使って出現場所の予測を立てたらしいから、なんなら短刀の子たちとアサシン連中でそっ首掻き切ることもできるようだけど。」
「…こちらから手出しはしないさ。日向にもそう連絡を。ハチの手綱を握っているように、と。」
「わかったよ。雁袮には?」
「そちらも。コブラは静観するかもしれんが、琥珀やセラスが気がかりだ。灯真は…今まで通りに見かけてもアイツらには知らせてやるな。源治は、もはや私では制御できぬ。」
「君は優しいのだか冷淡なのだか時々わからなくなる。」
夢乙女の黒曜の瞳が歌仙の目を捉えた。
「私は決して優しくなどないさ、歌仙。優しくはなれない。」
その瞳に映る一種異様な感情の色に、歌仙は発しようと思っていた言葉を飲み込んだ。
「それじゃあ歌仙、店の方は任せる。私は子供達を迎えにいってくるから。」
黙ってしまった側近に薄く微笑んで、夢乙女は昼下がりのSWORDへと歩き出していった。
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