制服についた


幸村くんは、静かな病室にいた。狭いけれど立派な個室。真田くんがノックをすればわかっていたかのように、どうぞとあの穏やかな声で返してきた。

ドアをスライドさせて中に入ると、ぼんやり空を眺めている幸村訓が目に入った。緩いウェーブのかかった髪の毛、白い肌は儚げな印象で。振り返ってこちらを見て微笑んだ彼に、どうしてだか私は泣きたくなった。

「いらっしゃい」
「調子はどうだ、幸村」
「悪くない」

いつも繰り返されているであろう会話に耳を傾けながら、他の皆は椅子を並べたりお見舞いのケーキを開けたりしている。って、お見舞いのケーキは幸村くんのものだろうに丸井くん、食べてる。

それすらもいつものことなのか、気にする人はいないようだ。

「ほら、座れよ」
「ありがとう、ジャッカルくん」

椅子の前に誘導されて私は座った。幸村くんは真田くんとひとしきり話したあと、私に向き直った。

優しげな瞳が向けられる。目の前で見た幸村くんはあの日、遠くで見た幸村くんと何も変わらない。それでも纏う雰囲気が弱々しくって、折れかけた向日葵のように感じた。

「……君が、高崎湊さん?」
「……はい。はじめまして。幸村くん」

口から発せられた声は柔らかくて、私は少し緊張する。

「この間は、綺麗な絵を有り難う」
「お礼なら、真田くんに。真田くんが提案してくれたんです」
「うん、それは知ってる。でも……、俺は君の絵が嬉しかったから」

コートの隅から眺めた空。去年の冬から入院している幸村くんにはとても懐かしく、恋しい風景だっただろう。ふわりと微笑まれて、私はふと思い出すことがあった。


あの日、私は自分の作品に自信がなかった。写真のように精密に描けるわけじゃない。独創的なアイディアを産み出せるわけでも、独特の色使いでもない。目の前の平凡さを描いた、ただの平凡な絵だったのだ。

そんな作品が飾られている、階段の踊り場。恥ずかしくって、通りたくなかった。ため息をついて降りる階段。飾られている作品を見る、二人の人がいた。片方は知っている、テニス部の部長の幸村くんだった。もう一人は顔は知っているが名前は知らない、そんな人。

『この絵、他の絵に比べてパッとしねぇよな』

自分でも気付いていたけど、人に言われると重さが違う。やはり皆の目にもそう見えているんだろうか。嫌だな。逃げ出したい。今すぐ作品を取って走り去りたい。立ち尽くして強く思った、そのときだった。

今日と何一つ変わらない優しい声が言ったのだ。

『俺は、この絵……好きだな』

物好きだと私は思ったし、隣の人もそう言っていた。それでも幸村くんは変わらずに言うのだ。

『俺、平凡を描けるこの人の絵は……好きだな』

思わず盗み見た彼の顔は、今と同じ微笑みだった。凄く、嬉しかった。嬉しくて嬉しくて、大きな声でありがとうと言いたかった。知り合いでもない人にそう言えるほど私は強くなかったけれど、そのときの嬉しさは今でも覚えている。


顔に熱が集まるのがわかった。幸村くんは額に入れて飾ってある私の絵を取り、穏やかな表情のまま呟く。

「俺にとっての当たり前を思い出させてくれて、ありがとう」
「……幸村くん……あの、」

ギュ、とスケッチブックの上で握りこぶしを作る。手にとって、そっと差し出す。リボンで少しだけ装飾されたスケッチブックを見て、幸村くんは目を開いた。

「……これ、たくさん学校の景色を描きました。教室とか、屋上とかコートとか……思い付く限り、たくさん……」
「……俺に?」
「……私の絵を、喜んでくれて、嬉しいです。……ありがとう」
「……こちらこそ。ありがとう。面識もないのに、こんなに……」

本当に嬉しそうに笑う幸村くんを直視できなくて、私は視線を落とす。わずかに制服についた絵の具にが目に映って、取れるはずもないのにごしごしと擦る。

「なにやってんだよぃ、高崎!」
「照れとるんじゃ、女心は複雑じゃのう」
「違うから!え、絵の具がついてたから!」

私の態度と幸村くんの笑顔に、病室は笑い声に包まれた。



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