逃さないよう


一歩踏み入れるだけで、世界が違った。ピン、と緊張した空間。その緊張を破る真田くんの大きな声、それに続く部員の声。スケッチブックを丸々使ってコートの中の世界を幸村くんに届けようと思ったのだけれど甘かったようだ。とてもじゃないけど描ききれない。

それでもなるべく早くに渡したいし、時間はたっぷりは使えない。もう二度と同じ一瞬は来ないのだ。描いて、描いて、描きまくる。ある程度基盤となる主線を描いて、それを整える。そして、薄く色を着けていく。

ベンチに無造作に置いてある、白いタオル、そのそばに置かれた給水ボトル。夕日をバックに緩められたネット。

その一つ一つを逃さないようにして、世界をスケッチブックに閉じ込める。

気付けばもう、二週間が経っていた。コート以外にも、と校舎や屋上など様々な場所から学校を描いた。スケッチブックはすべて埋まり、あとはこれを真田くんに渡すだけ、となる。少しでも幸村くんを元気付けられたら。

昼休みに、廊下を歩いて真田くんのいる教室へと向かう。中を窺ってみるが、真田くんの姿は見えない。クラスの人に話を聞けば、風紀委員の集会があるようで、おそらく授業開始ギリギリまで帰ってこないだろう、と言われた。

それなら仕方がないか、と方向転換をすると、目の前一面に制服が現れた。

「……え?」
「高崎湊……だな」
「え、あ、はい」

見上げればそこには柳くんがいて、相変わらず閉じた瞳で私を見下ろしていた。どうしているのだろうだとか、真後ろで距離が近すぎないかとか、それなのに気付かないのは私が鈍いからなのだろうかとか、いろいろ疑問に思うことはあった。

けれど、柳くんだから仕方ないのかもしれない、と自分を納得させた。

「お前が今日の昼休憩を利用して弦一郎へスケッチブックを渡すことはすでに予測済みだ」
「そうなんだ……流石だね」
「弦一郎からの伝言だ。“放課後、教室で待っていてくれ”とのことだ」

月曜日は全体ミーティングが行われるため、通常の部活よりも早くに終わる。大抵、レギュラー全員でお見舞いに行くのは月曜日か、練習が午前で終わるときの日曜日だ。つまり、スケッチブックを取りに来る、ということだろう。

ここで柳くんに間接的に渡してもらうのもありだが、伝言通りに待つことにしよう。

「わかった、ありがとう、柳くん」
「問題ない。今日はいつもよりも早くに切り上げる予定だ」
「柳くんがそう言うなら、きっとそうなるんだろうね」

それじゃあまた明日、放課後で。そう柳くんに言って私は踵を返した。クラスに戻れば、ご飯を食べ終えて暇を持て余した友人が机に突っ伏していた。良くも悪くも、私にとっていつも通りの学校の風景だ。

日常。その言葉に、胸が少し、締め付けられるような気がした。


放課後、まだ日が傾く前に真田くんをはじめとしたレギュラー全員が教室にやってきた。この二週間で少し仲良くなったけれど、やはり仰々しいと感じる。なんと言えばいいのだろうか、こちらが気後れしてしまうような何かが彼らが集まったときに放出されるというのか。

皆は教室に入ってきて、私の周りに来る。はい、とスケッチブックを渡せば、丸井くんや切原くんが我先にと見始める。目の前で絵を見られるって、恥ずかしいものだ。

「急いで描いたから、少し雑になっちゃってるけど……渡してくれると嬉しいな」
「は?今日は高崎も見舞いに行くんだぜ?」
「へ?」

予想外の丸井くんの発言に、私は間抜けな声をあげてしまった。私もお見舞いに?いやいやいや、面識もない人間がどうして。

いやでもそれを言ってしまったら面識もない人間が絵を贈るなんておかしいんじゃないのか。いや、でも、それは真田くんに頼まれたのが発端で……。

「部長が、高崎先輩に会いたいって言ってるんスよ!」
「ゆ、ゆゆ幸村くんが?」
「えぇ。是非とも、とのことで……お願いをしたいのですが、よろしいでしょうか」

いきなりで申し訳ないのですが、と付け足す柳生くんに私は困惑する。でも、頼まれてしまえば拒否できない性分であるから、気付けば顔を縦に降っていた。

それを見るとすぐに私を逃さないようにと、丸井くんと切原くんが手を引っ張る。鞄はジャッカルくんに押し付けられていた。スケッチブックは真田くんが持っている。

皆の顔が綻んでいて、あぁ幸村くんは皆に大切にされてるんだな、と嬉しさがじんわり、胸に広がった。



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