ガラス細工の
青春の汗というものは私には無縁だった。
校舎の一番上にある美術室、そこが私の青春の場だ。見晴らしのいいそこは、絵を描くにも立体製作にも最高の場所。この立海大付属中は高校と共に、テニスが全国でも凄い強いそうで、テニス部に入るために入学する生徒もいるらしい。また、テニスだけではなく、体育系の強豪部がたくさんある。
ただ残念なことに私は先に述べたように、青春の汗とは全く無縁であったのだ。夏は冷房が、冬は暖房が部屋を快適な温度に保っていてくれるのである。むしろ青春の汗というよりも青春の絵の具臭というのが私にはあっている。
冷房をつけるには寒く、暖房をつけるには暖かい、そんな春。私は相も変わらずに美術室にいた。窓を開ければ運動部の掛け声や吹奏楽部の演奏が聞こえてきて、どこか寂しい気持ちになる。この部屋は美術部部員でなければ滅多に立ち寄らないところであるし、基本的に自由な活動なので人も疎らだ。
燃えるような西日が窓からよく見える。 衝動が胸を焦がす。
気がつけば私はスケッチブックを開いて一心不乱にその風景を描いていた。
「湊、今日は先帰るねー」 「……うん」 「また明日ね」
友達が帰り、美術室には私一人となった。さして珍しいことでもない。私の意識はスケッチブックとその上を踊る鉛筆に注がれている。頭には強いイメージが残っている。
赤く照らされる校舎、染まる空、光を受けて幻想的に浮かぶ雲、その中にある透明な世界。
西日はもう落ちて、景色は変わってしまったけれど、私の手は止まらなかった。
気がつくともう活動終了時刻で、慌ててスケッチブックを閉じる。先生に終了報告をしにいかなければいけないのだ。海原祭に展示する絵の製作についても話したいことがある。今年は、気合いを入れたいのだ。私は急いで荷物を纏めて美術室を出た。
美術部の作品は、廊下の踊り場や玄関などに展示することが多い。私は立体製作が苦手で、絵をよく描く。今展示されているのは、水彩画の空の絵だ。昼間の、透き通った空を学校のある場所から見たもの。
先生を探していると、私の絵をじっと見つめる人を見つけた。立海で知らない人はいないだろう、テニス部の真田くんだ。誰かが自分の絵を見ているというのは嬉しくも恥ずかしいもので、いたたまれなくなる。その場を離れたかったけれど、真田くんがあまりに熱心に見ているものだから、私は思わず近寄った。見るというよりは、見て何かを思案しているような顔だ。
「あの、」 「む?」 「この絵をさっきからずっと見てますけど……どうかしましたか?」
そう問えば、真田くんは少し慌てて違うんだと言った。何が違うのかはわからなかったけれど、慌てる真田くんは貴重だと思った。
「……この、絵は……」 「えぇ、私が。……気に入っていただけましたか?」
この絵は、女子テニス部がコートを使うときに、コートの端から空を見たときの構図なのだ。校舎や木の角度で真田くんはそれに気付いたのだろう。少し悩んだあとに、小さい声で言った。
「これを……くれないか」 「え?」 「これは、コートで描いたのだろう?」 「えぇ、そうです」 「……幸村に見せてやりたくてな」
幸村。テニス部の部長だ。今は難病にかかって入院中だという話である。遠目に見た彼はとても綺麗で、緑のコートに青い空が似合う人だと思ったことを覚えている。 そう、あの人は夕焼けではなくて青空だ。
そんなことを思い返すと、今幸村くん青空の下にいないことを思い出して、少し胸が苦しくなった。
「……無理ならいいのだが」 「いいですよ。あげます、それ」
口が勝手に動いていた。どうしてだか、嫌だったのだ。幸村くんには青空の下にいてほしい。
病室にいる彼に、コートの景色を届けたかった。
「い、いのか?」 「はい。今日、鉛筆ですが……夕日を描きましたし。幸村くん、喜んでくれるといいですね」 「あ、あぁ!感謝するぞ……えぇと……」 「あ、私、高崎湊です」 「感謝する、高崎。幸村にも伝えておこう」
渡すのは明日になってしまうと真田くんに伝えれば、それでもいいと返された。完全下校時刻が迫っている。
「それじゃあ、私先生に用があるので」 「あぁ。また、明日に」
テニスバッグを背負った真田くんが帰るのをぼんやり見て、ああ青春だなぁなんて思った。
きらきらと光る彼はどんなガラス細工よりも光っているように見えた。幸村くん、元気になるといいな。
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