−273℃の



いつかそんな日が来ると思ってた。あの雨の日から二人はやけに親しくなって、奈津子の口からも日に日に柳生の名前が増えていった。仁王といても、視線は柳生をとらえていた。

もとから彼女は柳生が好きだったんだ。

仁王に対するそれは所謂アコガレという奴で、彼女は自分が持っていないものをたくさん持っている仁王に憧れたのだ。

自然と目で追ってしまう。話していると感じる幸福。

「私……私ね、仁王くんが好きなんだよ」

それらはすべて柳生に当てはまって。

彼女は仁王が好きなはずなのに、柳生に告白されて喜んでいる自分自身に戸惑っていた。それが、痛いほどにわかった。

いつも笑顔だった奈津子が、顔を歪めて泣いている。

「どうして、私……こんなずるいよ、だって……」
「……ねぇ、よく、思い出してごらん奈津子。
奈津子は、いつも視線の先に誰がいた?」

仁王じゃ、ない。

それを言うのはあたしじゃない。奈津子は涙をぽろぽろとこぼして俯いた。そして、あたしにごめんと謝る。

「……奈津子、」
「香織、柳生くんのことが……好き、なんでしょ?
こんな……ずるい、私……」

気付いて、いたのか。だから彼女は、仁王のことを好きだと自分に嘘をつき続けていたの?まるで、あたしのように。

あぁ、あたしは奈津子を憎んだことさえあったというのに、奈津子はこんなあたしのために泣いているの?

あたしは奈津子の頭に手を乗っけて、撫でる。こんな、自己満足の行為はこれで最期にしよう。今まで傷付けてごめん、奈津子。

「……うん。あたし、柳生のこと……」

好きだったよ。

言葉にしたら、すべて終わってしまう気がして。言うのがためらわれたけれど、あたしはしっかりと奈津子の目を見て言う。

けじめをつけなきゃいけない。これが、諦めることが、あたしの選んだ結末なんだから。

「……好きだったよ」
「……うん……」
「一年前から、ずっと……ずっと、大好きだった」

あの人の優しさが。笑顔が。柔らかな物腰が。真面目で真摯なところが。

あの人の、すべてが大好きだった。

今となってはもう、過去のこととなるのだけれど。

「柳生のとこ……行ってきなよ」
「でも、香織……!!」
「柳生が好きなのは奈津子。柳生の背中を押したのはまぎれもないあたし自身。
……最後くらい、かっこつけさせてよね」

背中をそっと押してやれば、奈津子は、涙を制服の裾で拭いて、あたしに笑いかけた。なんて強い姿なんだろう。

「香織、……大好き!!仁王くんより柳生くんより大好き!!」
「……あたしも、奈津子のこと大好き。誰よりも手のかかる親友が、何よりも大切だよ」
「……いってきます」
「……いってらっしゃい」

教室から出ていく奈津子の背中を見る。

幸せになるんだ。幸せにならなかったら、許さないんだから。

絶対、幸せになってよね。

奈津子の姿が見えなくなると、途端にあたしの足は力が入らなくなって崩れ落ちる。

涙が頬を伝う。

どうして、だってあたしが望んだ結果なんだから、こうなって嬉しいんでしょ?

「う……、ふ、ぅ……」

堪えきれない。いくら我慢しても視界は歪んで喉は熱くなって、自分で自分を制御できない。

笑顔でいれただろうか。あたしは、笑っていただろうか。ぐるぐると頭を支配するのはたった一つの事実のみ。

涙が止まらない。

机の間にしゃがみこんで声を殺して泣く。

「……、相澤」

忘れ物をしたのだろう、仁王が教室に入ってきて立ち止まった。そりゃそうか、だってあたしが泣いてる。

泣いたのなんて、あの日以来──一年ぶりだ。人前でなんて、柳生の前でしか泣いたことがないあたし。

仁王は黙ってあたしの隣に腰をおろすと、あたしが泣き止むまで。あたしが自分から話すまで、ずっと黙ってそばにいてくれた。

「……ふ、ひっく、……う、あぁ……ああ……!!」

ありがとう。今まであたしにたくさんの優しさをくれて。貴方と過ごした日々は、何よりもあたしを強くしてくれた。本当に大好きで大好きで、この先他の誰かを好きになってもこの気持ちは、思い出は、色褪せることなんてない。

言葉にならないすべての感情が、涙になってこぼれ落ちることを願いながら。声をあげて、小さな子供のように泣いた。

−273℃の恋心はもう動かない。もう、本当に終わりなんだ。






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