あい・らぶ・ぴーす! | ナノ


きっかけなんてなかったはずだ。昨日はいつも通りに学校を過ごして、帰ってご飯食べて……特別なことなんてしなかったはず。だというのに、私は摩訶不思議な体験を今、している。

「キャーッ!!跡部様!!」

私はおかしいのだろうか。夢を見ている?いやいやそんなバカな。なぜ女の子が私に向かってこんな声援をあげている?私はごくごく普通な善良な一般市民であって、しかも跡部様なんかとは縁もないようなそんな人間で。あれ、私ってこんな目立ちたい願望とかあったっけ。

手を見る。いつもより大きく、きれいな形だ。髪を触る。いつもよりもサラッとしていて傷んでいる様子もなく、短い。首がスースーする。窓を見る。そこにうっすらと映っていたのは、跡部様。

待て。なぜ私はあの有名な跡部景吾さんになっているんだ?

「よく寝てたねー、皐。おでこに跡が残ってるよ」
「……」

だとしたら、あそこにいる私の姿をしているのは誰?

私の体は、私とキョロキョロと辺りを見回して、手をまじまじと眺める。顔をペタペタ触る。窓を見る。ガタッと椅子を倒して立ち上がった。

あれは誰だ。え、まさか私、幽霊に身体乗っ取られて行き場をなくして跡部さんにとり憑いてるの?

それとも、跡部さんの心が奪えないなら身体をーって?私ってそんな陰険な女だったのかな、いやでも正直跡部さんよりも私は忍足さんのほうが……って違う違う。私を呼び出して、塩を振りかけて殴れば幽霊は出てくれるかな。あぁでも自分を殴るなんてやだなぁ。

とりあえず、彼か彼女かわからないけれど幽霊には撤退してもらわなければいけない。席を立って呆然としている私のところまで歩いていく。足が長いせいか見る世界も歩幅も違って少し焦った。

「ぉ、おい」

というか跡部さん美声。こりゃ自分で自分に酔うのもわかる。跡部さんを壊さないように私を連れだそう。さぁさぁ覚悟しろよ幽霊め!

「……あ?」
「(ごめんなさい!!)」

思わず心の中で謝ってしまうほど幽霊は目付きが悪かった。目をあわせたら石どころか化石になりそう。

負けるな私。跡部さんの体があれば多分何かあっても財力で揉み消せる。……やりたくないけど。

「話がある。こい」
「……ちょうどいい。こっちも話がある」

……。なんだか私、すごいオーラが出ているんですが。中に入ってる人は誰ですか、ナポレオンですかエリザベス女王ですか。それともルイなんとか世とかですか。凡人には出せそうにないぞこのオーラ。

廊下じゃ誰かに聞かれる可能性があったので、普段は立ち入り禁止の屋上に続く階段へ向かった。大丈夫、跡部さんなら怒られない。私の後ろをてけてけと歩く私の体。屋上の前にある少し開けたスペース。そこで私は立ち止まる。振り替えって、自分の顔を見下ろす。

「……貴方は誰ですか。それ私の身体なんですけど」
「俺の体と声で女口調やめろ。気持ちわりぃ」
「は?」

俺の、体。俺の、つまり俺のものである体。

え、それってもしかしなくとも私の中にいるのは跡部さんってことですか。

「えぇぇ……落ち着きましょう、夢を見ているんだきっと」
「夢じゃねぇよアホ」
「だって私が跡部さんとか何考えてるんですか生徒会やら部活やら忙しくて寝る時間短いじゃないですかそれに運動というか直射日光嫌いですし外で運動とか嫌ですよ」
「お前思考回路大丈夫か」

大丈夫じゃありませんよ。貴方は大丈夫なんですか。トイレとかお風呂とか現実的に考えて問題山積みでしょう。振る舞いも違えばこの格差社会を説明するにふさわしい財力の差だ。

「どうしますか、お風呂に入らないなんてやめてくださいよ?」
「……とりあえず俺とお前が入れ替わったことにはなんらかの理由があるはずだ。そこを考えよう」
授業開始のチャイムが鳴ったけれど、気になんかしていられなかった。腕を組んだり辺りを見回してもその感覚は私の脳みそに繋がる。それはあまりにリアルで、これが夢だという逃げ道を綺麗に潰していた。

「……もうあれですよ。神様からの試練ということにしましょう」
「非論理的すぎるだろ」
「じゃあどうやって説明すればいいんですか」

込み上げるものは混乱と悲しみと不安と涙。信じたくないけれど、これは現実なのだ。