アフトクラトルの人2












夜眠ることが無い遊真が仮想戦闘室で時間を潰していると、突然通信が入った。

『遊真、ちょっと良いか』
「迅さん?」

珍しいと遊真は仮想戦闘を停止する。
いつも声をかけてくるのは木崎達で、迅が仮想戦闘中に声をかけてくることはない。

「どうしたの?」

訝しむのは声をかけられたことだけではなく、迅の他に別の存在があったからだ。
迅の隣に立つ男、人型近界民のヒュース。
玉狛で捕虜として扱っているため、何度か面識はあるが、なぜ此処にいるのだろう。

「黒トリガー使いがいた方が心強いからな」
「…?」

ヒュースと何か関係があるのだろうか。
他に人はいない。林藤も知らないことのようだ。
迅の様子からヒュースを逃がそうとしているわけではなさそうだが、何か企んでいる事は付き合いの浅い遊真にもよく分かった。
迅が屋上へと向かうので、ヒュースと共に遊真もそちらに足を向ける。

「こんな所に連れてきてどういうつもりだ」
「……そろそろだな」

どうやら何も説明されていない様子のヒュースが業を煮やしたように口を開く。
遊真も理由が知りたかったが、迅はそろそろだと呟いてから何も言わなかった。
屋上に出ても、誰かがいる訳では無かった。
いつも通りの静かな夜。
遊真はぴくり身体を震わせる。
何か、いる。

「居るんだろう、出てこいよ」

遊真が警戒する前に、先の読めている迅がそれに呼びかけた。
状況が呑み込めていない遊真とヒュースを余所に、程無くしてそれは姿を現した。
ゆっくりとあたりに黒い靄が現れ、そして人の形を成す。

「しとど様!?」
「ヒュース」

叫んだのはヒュースだった。
遊真も直ぐに状況を把握した。
角はないけれど、恐らく相手はアフトクラトルの人型近界民。

「なぜここに…!」

狼狽したヒュースはしとどと呼んだ人型に近寄ろうとするが、どうやら鎖付きの手錠を付けられているようだ。片側を握る迅は換装体の為、生身のヒュースは力で対抗できず駆け寄る事は叶わなかった。
しとどはそれを表情一つ変えずに、少し離れた位置から見つめていた。

「しとど様、お逃げください!」

慌てるヒュースの様子から、しとどが立場の高い人間であることは遊真にも推測できる。
迅の言ってた事の意味が分かった。
黒トリガー使いがいた方が心強い、というのはしとどが此処に現れると分かっていたからだろう。

「ヒュース、落ち着きなさい。それと」

ヒュースとは対照的に、しとどは静かに口を開いた。
夜の静けさに溶けるような、澄んだ声だ。

「牙をおさめなさい、白髪」

しとどは遊真を見てそう言った。
遊真はそちらを見つめ返しながら印を結ぼうとしていたのを止める。
先手を打とうと換装体になったことに気が付いていたようだ。

「私は、ヒュースの様子が知りたかっただけだ。手を出すつもりはないし、誰かに害をなす気も無い」
「―――嘘は言ってないみたいだな」

遊真のサイドエフェクトに反応は無い。
本当に様子を身に来ただけの様だ。
この敵が集まる場所に、単身で。
正気じゃないのか、それとも何かあっても対処できるだけの力があるのか。

「此処であなた達に逢った事は誰にも話さない」

嘘は、無さそうだ。
こちらの様子を窺う迅に遊真は頷く。
それを受けて、迅は口を開いた。

「それ以上近寄るのはなしだ」

しとどは迅の言葉に頷く。
ヒュースは茫然とその様子を見ていた。
まさか単身、ヒュースの様子を見に此処までくると思っていなかったのだろう。
事前の作戦ではなく、また、迅が何を考えているかは分からないが、どうやら抗争が起こる展開では無いらしい。

「ヒュース」

しとどがヒュースに声をかけた。
ヒュースはハッとした様子だった。鎖がなければ直ぐにでも駆け寄っていただろう。

「辛いか」
「いいえ、国の為なら、貴方の為なら、俺は辛くないです」
「そうか……」

ヒュースは何を質問されても本国に関する事をもらす事はなかった。
通常であれば捕虜となったものの元へ同国の人間が訪れると言う事は、捕虜を助けるためか、もしくは口封じのために殺すためだ。
けれど、しとどはそのどちらも目的ではなく、本人の言う通り、ただ様子を見に来ただけの様だ。
その証拠に。

「私は、辛いよ」
「っ」

しとどから洩れた声は、とても悲しそうだった。
ヒュースの事を可愛がっていたのだろう、だから心配に思っている。
しかし、連れ帰ることが出来ない、何か理由があるのだろう。
しとどは口を閉ざした。
ヒュースもフードで顔を隠していて、様子は窺い知れない。
ここにいる誰もが、この二人はもう一緒にいることが出来ない事を理解できた。
迅が口を開く。

「あんた、太刀川さんと刃を交えたやつだろう?話に聞いた通りだ」
「太刀川さんと?」
「タチカワ……黒いコートの男?」
「そう」

思いがけない名前に遊真が驚く。
太刀川の事は装甲の厚いイルガーを切ることができるほどの腕前としか知らないが、かなりのトリガー使いと認識している。その太刀川と勝敗が付かなかったということは、相手もかなりのトリガー使いだろう。
しとどは相手の名前には心当たりが無い様子だが、相手の特徴から誰かは把握できたようだ。

「太刀川さんはえらくあんたの事が気に入っているみたいでね、本当は連れて来ようと思ったんだけど…。場合によっちゃ交戦になる可能性があったから、止めたよ。ブラックトリガー使われたら分が悪い」
「そうか」

相手は黒トリガーを所持しているらしい。だから遊真を選らんだのだと合点がいった。
未来の先には、恐らく交戦の道もあった。それを回避したルートが今なのだろう。
それを知ってか知らずか、これまで顔色一つ変えなかったしとどが、少し表情を緩めた。

「あれは楽しかったな」

今まで無色透明な声だったのに、その言葉は色のついた声音だった。
この人は寂しい人だと遊真は感じた。
その寂しい人が太刀川の存在で寂しさを紛らわせている。
少しだけ、この場に太刀川がいない事を怨んだ。

「ヒュース」

しとどは気が済んだのか、ヒュースの名を呼ぶ。
寂しい声だった。
これが最後なのだろう。
だから迅も情けをかけたのかもしれない。

「お別れだ」
「しとどさま…!」

しとどは再び黒い靄となり、そして消えた。
辺りから気配が消えて、遊真も張っていた気を緩める。
ヒュースは項垂れるようにその場で顔を伏せて、迅はそれに気遣い見ない振りしてた。

とても静かで少し肌寒い夜だった。






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