荒船といぬ ※名前変換ないです 何か白い塊が路地から飛び出してきた。 反射的に荒船はそれを避ける。 「うわっ」 「なんだ」 連れ立っていた穂刈の怪訝そうな声に返事をする前に、その塊が飛び出してきた路地から人の声が聞えてくる。 「ごめんなさい!大丈夫ですか!?」 けれど荒船にはその声にすら返事をする余裕は無かった。 でかい。白い。 それは荒船を視界にいれるとぶんぶんと尻尾を振って近づいてきた。 荒船は思わず小さく悲鳴をもらして、穂刈の背中に隠れる。 「ひっ」 「ごめんなさいごめんなさい!」 路地から走って出てきた人が、道路に垂れていたリードを拾って引いて、白い塊の動きを制限する。 白い塊は路地から出てきた人に気がうつったのか嬉しそうに飛びつこうとしていた。 手伝うべきか否か一瞬悩んだけれど、苦手を克服する前にその人が聞きなれない言葉を口にした。 「Сидеть!」 するとぴたっと犬は動きを止めて、姿勢よくその場にお座りをする。 嵐が去った。 荒船はほっとした息を吐く。 「は…止まった…」 「本当にすみませんでした」 路地から出てきた男がその場で土下座せんばかりの勢いで頭を下げた。 荒船は穂刈の背中から出て、白い塊の様子を窺いながら返事をする。 「あ、いえ、大丈夫です」 「いつもは賢い子なので、こんなにはしゃいで行ってしまう事なんて無いんですけど…よっぽど貴方が気に入ってしまったみたいで」 見ず知らずの人に頭を下げられるのは具合が悪い。 しかも、いかにも人畜無害そうな白い塊に、大の男がびびっているとなると通りすがりの人への格好もつかない。 「ごめんなさい、反応からして、犬苦手なんでしょう?」 「あ、いや、気にしないでください」 彼には充分謝ってもらったので荒船は全く腹は立っていなかった。 そう、荒船目掛けて走ってきたのは、白いもふもふとした塊、犬だった。 一部の汚れも無くふさふさの毛に全身を覆われてまるでぬいぐるみのようだ。 通りすがりの人がその塊に癒されるような目を向けているのが分かる。 しかも、でかいのでかなり注目を浴びている。 大型犬が迫りくる恐怖は犬が苦手な人間にしか分からない恐怖だろうけれど、彼はきちんと犬が苦手な人間への理解もあるようで本当にすみませんと深々と頭を下げた。 なんだが一方的に悪者にしてしまうのは申し訳なくなり、荒船は別の話題を振る。 「あの、今のは?」 「今の?」 「突然座ったじゃないですか」 「ああ、コマンドです。座れって言う命令を出したんですよ」 なるほどと納得する。 どうやら彼の言う通り普段は賢い犬の様で、命令にはきちんと従うようだ。 「英語ではないですね、聞き慣れなかったので」 「ロシア語です。この子はサモエドという犬種で、ロシア出身の犬なんです。なので、ロシア語で育てていて」 見かけない犬だと思ったけれど、犬種を聞いてもさっぱりだった。 元々犬には興味がない。 けれど穂刈は違うようで、表情は変わらない癖に少しそわそわして触りたそうな雰囲気を出している。 どうやら彼にもそれが伝わったようで、くすっと笑った。 「Лежать」 「あ、伏せた。今のが伏せのコマンドですか」 「はい」 彼のコマンドにはきっちり反応するようで、白い塊は道路にべたっと腹をつけた。 座ってもでかいなとびびる荒船を余所に、穂刈は耐えられなくなったのか手を伸ばす。 「良いですか、触っても」 「勿論。撫でられるの大好きなので、喜びます」 穂刈がその背へと手を埋める。仏頂面の癖に華が飛ぶような雰囲気を出していてアンバランスさが凄い。当真と影浦がこの場にいたのなら笑い転げていただろう。 しかし、傍から見ても、触り心地が良さそうだ。全く触りたいと言う気持ちはわかないが。 荒船の様子を見て、彼は心配そうな声をもらす。 「あの、大丈夫ですか」 「見てるだけなら」 「すみません」 申し訳なさそうな声に、荒船も申し訳なくなる。 出逢って数分なのに既に何度謝れているだろうか。 今の状況は穂刈が望んだ事なので、彼には全く比は無い。 荒船はいたたまれな気持ちになり白い塊に目を向ける。 「これだけでかいと、色々大変そうですね」 「抜け毛が大変ですかね。今も彼の手にごっそり付いてしまってますし…申し訳ない…」 「あいつは好きでやってるんで気にしないでください」 確かにごっそり抜けた毛が穂刈の服についていた。 けれど穂刈は気にしていないようで、嬉しそうに穂刈の胸に顔を埋める白い塊と戯れている。 大型犬が二匹いるみたいなと他人事のように思った。 「穂刈、そろそろ」 「そうだな」 このままだとずっとそうしていそうな雰囲気があり、荒船は穂刈を急かす。 任務の為にボーダーを目指していたので思わぬところで時間をくってしまった。 穂刈は名残惜しそうな雰囲気を出しつつも彼に頭を下げる。 「ありがとうございます」 「いえ、こちらこそ、とても喜んでました、ありがとうございます」 彼は荒船と穂刈に何度も会釈して、白い塊を連れその場を去って行った。 彼の先を歩く事は無く、ぴたりと隣を歩く白い塊に、本当に躾がしっかりされていることが物語っている。 今回の事は、動物嫌いが動物に好かれるのと同じ原理かもしれないかと思いながら、荒船はもう二度と犬に突進されないことを願った。 しかし、最初で最後の会話だと思ったが、後日また彼の白い塊に突進されて荒船は再び穂刈の背中に隠れる事になるのだった。 |