あわれんでもらわなくていいです。




しとどと奈良坂は恋人になった。1年前の事だ。

二人で並んで歩いた学校からの帰り道。とても寒い日で、しとどはコンビニで肉まんを買いそれを二つに割って、奈良坂と一緒に食べた。奈良坂はいつもと変わらない表情で有り難うと言った。
冬に食べる肉まんは格別にうまいとしとどは思っている。寒さで身体が強張っているので温かさが身に染みるせいかもしれない。

「しとど」
「うん、なに」
「肉まん美味いな」
「うん」
「付き合うか俺達」
「うん……うん?」

随分ふざけた告白でついしとどは聞き流しそうになった。肉まんを咀嚼して、ついでに言われた事も咀嚼して、理解した。
冗談を言うには奈良坂は真面目すぎる。驚いて奈良坂を窺ったが、奈良坂は表情を変えずにしとどと同じく肉まんを咀嚼していた。幻聴だろうかと疑ったが、しとどとしては再度聞き直す勇気は無かった。
なぜならしとどは奈良坂がずっと好きだったからだ。聞き返して、それが本当に幻聴だったら怖い。例え都合のいい幻聴だったとしても、今はこの多幸感に酔いたい。

「俺、任務だから」
「分かった、頑張れ。また明日」
「嗚呼」

やはり幻聴だったのかもれしない。いつもと変わらない場所で行われるいつもと変わらない別れの挨拶だった。ボーダーに所属する奈良坂を背が見えなくなるまで見送ることがしとどの日課だ。寒い日が続いてもそれはずっと変わらず行っている。多分、奈良坂に彼女が出来るまでしとどはやり続けるだろう。いつも、その去っていく背中に縋り付きたかった。追いかけて、好きだと言いたかった。けれど、言えなかった。
いつも通りの別れに、幻聴を確信した。そんなに世の中都合よく、しとどに優しくはできていない。しとどは片手を上げて奈良坂を見送る姿勢に入る。いつもはそこで奈良坂は頷いて去っていくのだが、今日は少し違った。

「しとど」
「ん……」

腕を掴まれて腰に手が回される。ぐいと抱き寄せられて目を白黒させている間に、唇を奪われた。思っていた通りしっとりした冷たい奈良坂の唇に、しとどは言葉を失う。こんなことになるなら事前に言っておいてほしかった、リップぐらい塗っておいたのに。
ぺろりと唇を舐められて、しとどは言いなりになる様にうっすらと口を開いた。そこへ奈良坂の薄い舌が差しこまれる。見た目の印象通り体温の低い奈良坂だが、舌は温かいのだと、その時初めて知った。
唾液を啜られて声がもれる。恥ずかしくなって顔が赤くなった。ぎゅっと目を閉じる。奈良坂がじっと目を開けているのでいたたまれない。
うごうごと咥内を勝手に動き回って、奈良坂は満足したのか唇を離した。しとどは奪われた酸素を取り戻す様に何度も息を吸う。
先程まで寒かったのに、身体がぽかぽかした。

「………肉まんの味だな」
「色気ないね…」

ここが住宅街だと気が付いて焦って周りを見回す。誰もいなくて安堵した。奈良坂はそんなことを気にしていないようで肉まんの味がしたと言う。しとどは色気がないと返したが、よく考えれば味がするほど咥内をまさぐられたと言う事だ。身体がかっと熱くなった。
奈良坂とキスをしてしまった。どうやら付き合うというのは幻聴では無かったようだ。しとどは顔を両手で覆う。許容量を超えた。本当に奈良坂と付き合ってしまった。嬉しい。死ぬ。
奈良坂はそんなしとどには興味がないようで、それじゃあと挨拶してその場からさっさと姿を消した。この日しとどは初めてその背が見送れなかった。



そんな付き合いから1年経った。1年前を思い出したのは、今日もまた寒い日だったからだ。あの日によく似ている。今日は奈良坂が肉まんを買って、半分に割ってしとどにくれた。有り難うと礼を言うと、奈良坂は何も言わずただ頷いた。肉まんは去年よりジューシーで肉汁が冷え切った身体に染みわたった。美味しい肉まんに、暗い気持ちになる。
あの日をなぞるような行動に、しとどは何と無く予感していた。だから今回は聞き逃さなかった。むしろあの日と同じく、幻聴で片付けられればこんなに苦しまずに済んだのかもしれない。

「肉まん、美味いな」
「うん」
「別れるか」
「……、うん」

奈良坂の言葉を、肉まんの咀嚼をせずとも理解できた。涙が出そうになって頬の内側を噛んで耐える。奈良坂が最初からしとどを好きではないことぐらい分かっていた。ただ、しとどが分かりやす過ぎたから、付き合ってくれたのだろう。でも今奈良坂はクラスメイトの大人しそうな女の子が好きなようだった。それくらい分かる。だってずっと見てきた。恋人になってからもずっと片想いみたいだったから、ずっとずっと見て。彼女の事を見た奈良坂の表情が変わることぐらい気が付いていた。
そしてしとどにはもう振り向いてくれない事も分かっていた。それでも今日までずっと付き合ってくれたことに、しとどは感謝していた。夢をくれてありがとう。悪い未来なら、ずっと片想いで終わっていたはずだ。
だから、1年も世迷言に付き合ってくれた事が、嬉しかった。

「…分かった」

なんて嘘だ。本当は絶対嫌だと言いたかった。けれど、口から出たのは了承の言葉だった。しとどには、奈良坂の心を縛る事は出来なかった。しとどが好きな奈良坂はクールでマイペースで、いつも正しい。奈良坂がしたいように動いている姿を見るのが好きだった。だから、別れたいと言うならしとどには何も言えないのだ。
奈良坂が意外そうにしとどの名前を呼ぶ。「しとど?」と呼ぶ声がいつも通りひんやりとしていて、無性に泣きたくなった。元に戻るだけなのになぜこんなに辛いのだろう。ずっと片想いで奈良坂が誰かに興味を持つ所を何度も見てきたのに。今回はその事実がすごく重かった。彼女が居なければずっと奈良坂は一緒に居てくれたかもしれないのに。そんな女々しい事を考えてしまう自分に腹がたった。奈良坂を独占できるはずがないと最初から分かっていたくせに。

「俺は、奈良坂が好きだよ」

隠した所で隠しきれないし、現に奈良坂が意外そうな声を漏らしたのは、しとどの好意が今も隠せていないからだろう。好きなのに了承した事に驚いたのだと思う。しとどは自分を落ちつけようと息を大きくすった。けれど冷た空気が肺にはいって、より苦しくなった。嗚呼、駄目だ―――泣いてしまう。

「それは、報われるか報われない、は、関係無くて……俺は変わらずに、ずっと、ずっと、好き、だから」

奈良坂が好きだ。神に誓っても良い。一生こんなに好きになる人は今後出来ないと思う。それは崇拝に似ていて、とても甘美な感情で。しとどはぼろぼろと涙がこぼれる自覚があった。冷たい頬を伝う涙は温かくて、外気に触れて冷たくなっていく。しとどの気持ちも溢れたら冷めてくれればいいのに、一向に冷める気配がない。苦しくて、溺れそうで、それを救ってくれる唯一の人は、救う気が無くて。
嗚咽を噛み殺す。我慢すると余計に涙が出てきた。別れ話をするなら事前に教えておいてほしかった。そうしたら綺麗なハンカチでも用意しておいたのに。

「だから、どういう形でも、いいんだ」

奈良坂はそうかと呟いた。そしていつもの場所より随分手前で「任務だから」と言った。それが本当の別れだ。多分もう一緒に帰ってもくれないのだろう。ずっと同じ事を繰り返していた日々が終わる。奈良坂が視界にしとどを映していた日が終わる。
しとどは涙を拭う。はしからまた出てきて、それをまた拭う。奈良坂は、既に背を向けていた。遠ざかる背をしとどはじっと見つめた。縋りついて好きだと伝えたかった。それは一度も出来なかった。しとどはぼろぼろと涙を零しながら奈良坂を見送る。姿が見えなくなっても、残影を見送った。

それはしとどにとって、恋の看取りだった。




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