小説 | ナノ

Candied Violet


からんからん、とドアベルが鳴る。

「いらっしゃいま、せ…」

しゃんっ! と音を立てて、名前の手にあった銀のティースプーンが床に転がった。

「今日は査定だと通達は行ってるはずだ」

低い声が淡々と落ちてくる。

「え……? あ、の」
「差し出された物の中に、この店のお菓子はなかった。覚悟の上だな?」

何を言われているのか分からなかった。

「ひっ、ご、誤解です! うちは、お菓子屋さんじゃありません!」

男は不愉快そうに眉根を寄せた。

数週間前、この島の王はビッグマム海賊団の傘下に入ることを決めた。
なんでもビッグマム海賊団は、傘下の島にはみかじめ料としてお菓子を要求しているらしい……そんな噂は聞いていた。
その使者が今日、受け取る価値のあるお菓子がこの島にあるかどうか品定めに来るというのも、常連のレディから聞いてはいたのだ。

「うちは、た、ただのティーサロンで。看板にあるように、お菓子やケーキはパティスリーから卸してるんです!」

「本当に誤解です」ともう一度繰り返した名前は、膝から崩れ落ちそうになる体を木製のカウンターに手をつくことで何とか支えた。

「言いたいことはそれだけか、パティシエール」
「いやっ、ああ!」

左腕を掴み上げられ、カウンターの内側から引き出される。戦いとは無縁の体に未知の痛みが走り、名前は悲鳴を上げた。

「珍しい、美味しいお菓子には価値がある……お前の命よりな。だから店ごと消さず、話してやってるんだ」
「……っ」
「最初の見せしめになるか? 出来るだけ無残に、殺すことになるが」

身に覚えがなかった。
名前の店は、それぞれのお菓子に一番よく合う紅茶を楽しんでもらおうというコンセプトで始めたものだ。紅茶ならともかく、お菓子はゲストが持参したものか、島のパティスリーから卸したものしかない。
腕を握り砕こうとせんばかりだった力がふと緩められる。

「っ…ほ、んと、に……」
「指先から磨り潰されて死ぬのが望みか? たかが花のために」
「……ひっ……え? は、な……?」

床に足がついても立っていられず、名前は床に膝をついて男を見上げた。
花。

「あっ……! え、ス、スミレの、砂糖漬け……?」

脳裏を過った物のある場所、カウンターの端に据えられたガラスケースを見る。

「……こんな目立つ場所に置いておきながら、何をとぼけてやがる」

男の額にビキッと青筋が立ったのを見てしまった。名前の本能が、震えて使い物にならなくなっていた唇に必死の弁解を強要する。

「っ違います、あのスミレの砂糖漬けは、紅茶のために用意したシュガーの一つで! お菓子という意識はなかったんです! 単品では商品にもしていなくて、それでお菓子の査定なら、関係、ないと……」
「……」
「本当です! 逆らうつもりは無くて、本当で、うう……」

ほたほたと涙を落とす名前を見て、男は何を考えたのか再びその体を持ち上げた。

「……っ!」

目蓋を固く閉じる。

「何を勝手に死ぬ気がいやがる。お菓子を差し出すんだろう」

一瞬の浮遊感。

「そろそろ三時だ、あるだけすべて、おれの船に持ってこい。」

そう言って男は名前をカウンターの上、スミレの砂糖漬けの箱の側に座らせた。


そんな最悪の出会いから半年。
からんからん、とドアベルが鳴る。

「いらっしゃいませー…」
「ああ」

査定の日以来、男……シャーロット・カタクリはたびたび名前の店を訪れるようになった。たびたび、というか献上の時期には毎回だ。
おかげで、「ビッグマム海賊団の使者はこの島に来る度、あの通りの角の店に寄るらしい」なんて噂――事実だが――が広がり、カタクリの船が来ている間はいつも開店休業状態だった。

「はあ……」
「客の前でため息か」
「……すみませんね」
「お前もなかなかふてぶてしい態度を取るようになったじゃねえか」

なんでちょっと嬉しそうなんだ、と名前は胡乱げな目でカタクリを見た。
今日も店にはこの男以外は人っ子一人いないし、心なしか猫にまで避けられているような気がする(今朝から一度も店先の植え込みに、くつした猫のアーサーを見ていないもの)。
ちゃんと献上品には十分な量のスミレの砂糖漬けが名前の名前で入っているから、個人的に、ということになるのだろうか。

「どうぞ、カタクリ様。いつもありがとうございます」

名前は一抱えもある大きな化粧箱を両手で抱え、男に差し出す。箱には飾り文字で「シャーロット・カタクリ様」の刻印があった。
カタクリが金を払ったことはない。だが毎回こうして大量に用意させては茶葉が踊り出すような価値のティーカップやナイフを置いて行くものだから、義理を無視できない性質の名前はカタクリを常連客と同じ扱いにしていた。
中身はもちろんスミレの砂糖漬けと紅茶葉、それらを美味しく食べてもらうためのレシピだ。

「……ああ」

箱を受け取り軽く片手に下げた男は、店内を見ている。
ソファに座った!?

「今日はもう店は閉めろ」

言われなくても開店休業中です、あなたのせいで……とは言えなかったし、紅茶を淹れてケーキもあるだけ持ってこいという言葉を断ることも、勿論出来なかった。
唇を少し尖らせる余裕が出来ただけ、慣れたということだろう。

言われるまますべての窓を閉め、嵐の日のための雨戸を降ろした名前は、二人用の丸テーブルを男の前に六つ寄せて何となく丸い形を作り、数種類のホールケーキやティラミス、スミレの砂糖漬け、ティーセットを用意した。
何度もカウンターと自分の前を行き来する名前を、カタクリはじっと見ているようだった。

「どうぞ、召し上がれ?」
「ああ。……そうだな」

カタクリがこちらに手を向ける。次の瞬間には視界がゼロになっていた。

「あっ!」

頭を一周するように細い帯状の物が貼り付き、名前の目を隠したのだ。それは柔らかさを持っているのに、どんなに力を入れてもびくともしない。
咄嗟にもがいた名前はバランスを崩して石の床に倒れ込んだ、はずだったが、何かまた柔らかい物の上に尻もちをついただけだった。

「な、」

柔らかい物は波打ち、名前をいずこへか運ぶ。何かに捕まろうと手を伸ばした刹那、耳元で重低音が響いた。

「静かにしていろ」

伸ばした手が熱い何か…人の…肌に…?

「きゃあ!」

膝から降りようとした時、耳までも柔らかい何かが覆ってしまった。

(…! ……!!)

視覚と聴覚を奪われて我を忘れた名前の抵抗を意に介さず、カタクリはおやつの時間メリエンダを始めた。

「あー、これぞ至福!」

店内にカタクリの緩みきった声が響く。夢中になってケーキや紅茶、甘いスミレを口に運んでいる内に、膝の上のパティシエール……ではない女のぴーぴーという鳴き声はもうしなくなっていた。
ホールのままのザッハトルテ――もちろん上にはホイップクリームがたっぷり――にかぶりつく。美味だ、女はケーキを選ぶ舌も確からしい。

「良い、良いな! 紅茶を淹れる腕はそれこそ一流、ケーキの味が格段に高まる……」

砂糖漬けをショコラと一緒に口へ投げ入れ、表情筋をゆるゆるに緩めて味わう。
明日はショコラ・ショーに入れて飲もう、と閃き、その最高な予定にまた顔が緩んだ。

「弱ェからメリエンダに伴おうとバレる心配もない」

カタクリは一人を嫌がるほど惰弱な精神の持ち主ではないが、他者と共に摂るおやつは彼の心を確かに高揚させていた。

「まあ共にと言っても……ああ、震えてやがる」

急に視覚と聴覚を奪われた名前は、どうやら怒りを買ったわけではないと思いつつも、カタクリのあんまりな振舞いに相手が海賊であることを強く意識し、久しぶりに本気で恐怖していた。カタクリはそれを気にする男ではなかったが。

「お前も食え」

名前の口もとに手ずからザッハトルテの欠片を押しつける。

「……!(も、もぐ…不本意…)」
「ふん」

小さな口に指を差し入れるその姿は傍から見ればそれなりに邪なものだったが、カタクリに邪心はなかった。抵抗を激しくした名前を抑え込むのはもはや無意識だ。
先ほど少し食べたティラミスの続きを楽しみつつ、名前の口にまた一つザッハトルテの欠片を押し込んだ。ちなみに欠片、というのはカタクリの感覚であり、名前にとっては少し大きめの一口だ。
何度か繰り返した後ふと見れば、頬をハムスターのようにぷっくりと膨らませた名前が、もごもごと口を動かしていた。唇や服にはホイップクリームがたくさん付いている。

「鼠か」
「やめ、」

弟や妹たちにしてやったように手でクリームを拭ってやると、体をまさぐられた(と思った)名前はぶんぶんと首を振ってカタクリの腕を制止するように掴み……目が合った。

「!?」

互いの目が見開かれる。
ガッ、と名前の体がソファに引き倒され、カタクリは名前の口を掌で塞いた。

「……ああ。涙か。迂闊だった」

無表情に少し自嘲の色を滲ませながら名前の赤い目元を観察して言う。牙も露わな口から赤い舌が覗いた。

「はあ……悪いな。おれが浮かれたばかりに」

カタクリの手が変化する。目尻から流れる名前の涙では、とても間に合わない質量の何かが首に巻き付いた。

「死にたくないか?」

何度も頷く女をじっと見る。

「……結婚するか」
「!?」
「それがいいな」
「よくない」
「あ?」
「なんでもないです……」


「そういう訳だ。殺すなよ」

クラッカーが眉間に皺を寄せ、スムージーは満足げな笑みを浮かべた。そう言えばスムージーはあのスミレの砂糖漬けをよくドリンクに入れていたか。

「いやいや、兄貴。紅茶が気に入ったならメイドにすればいいだけだろう。結婚する必要などない。……その女、そうなの!? みたいな顔をしてるぞ」
「ママには話を通してある。褒美でな」
「もごもご(そうなの!?)」
「またそうなの!? って面だが……どうして口にモチを」
「クラッカー兄さん、いいだろう。めでたいじゃないか!」

「……名前お前、どうも不満げじゃねェか?死にたくねえと言っただろう」
(こくこく)
「式は来月だ」
(……割とやだ)

その後、相変わらず万国ととある島を往復するカタクリの姿があったとか、命知らずにも彼のプロポーズを蹴り続ける女がいるとか、実はもう二人は結婚してるとかいう噂が聞かれるようになったが、それはまた別のお話。

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