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船鐘


この海岸にはよく難破船が流れ着く。
半年と置かずに現れるそれを不気味だと怖がる人もいるけれど、船が悪さをしたことはない。

「シャンクス、元気かなあ」

彼は私の父さんの知り合いだったらしい。
十数年前、母さんの葬儀の日の夜のことだ。母さんの椅子で一人膝を抱えていた幼い私の前に、彼は突然現れた。
父さんの代わりに来たと言って私の手を引いた初対面の海賊に抵抗しなかったのは、彼の悪意のない雰囲気と、ほんの少しの破滅願望のせいだったように思う。
満月が黄色の道を海に敷く。
導かれたのは海岸だった。彼の足が朽ちた船へと向いていることに気付いた時はとても怖かったけれど、その手の暖かさを失いたくなくて涙を堪えた。

『これが船の命だ、名前』

私を抱き上げて難破船の甲板に上がった彼の視線の先にあったのは、荒れた甲板に転がった、大きなベルだった。従妹が赤ちゃんだった頃はこのくらいの大きさだったかな、と思ったのを覚えている。
青銅の船鐘は周囲と同じ速度で朽ちつつあるようで、お世辞にも綺麗とは言えなかった。

『名前が書いてあるだろう?この船の名だ』

ゆっくりと甲板に降ろされて、二人一緒にしゃがみ込む。
彼が翳したランタンの光を頼ってベルをよく見ると、錆と装飾の凸凹に紛れて分かり辛くなってはいるが、確かに何か、文字が見て取れた。

『名前があるの?私、みたいに?』
『そうだ。だから命もある』

穏やかな声と共に降りてきたシャンクスの手が頭をわしゃわしゃと撫でて、視界が揺れる。

『……いのち……』

父さんが遠くの海で、母さんが病で失ったもの。私がまだ持っているもの。

『でも、このままじゃ』

鐘の文字が完全に消えてしまう前に、島の解体屋に処分されてしまうだろう。

『そうだ。だからお前はこれから──』

ざざん、と白い砂浜に波が寄せる。

「シャンクスは元気なんだろうけど」

私は会いたいんだよなあ。
最後に顔を合わせてから、もう二年が経とうとしていた。
青く澄み切った空に、穏やかな海。初夏の風に揺らされた髪が耳元のピアスに触れた。
誕生日にレッド・フォース号から届いたこの真っ赤なルビーが彼の執着だったらいいのに、と思う。

親を失った私の後ろ盾に名乗りを上げた彼は、数年に一度しか会えないのにも関わらず今も圧倒的な存在感で私の心を守ってくれている。
そんな訳だからシャンクスは気が付いた時にはもう私の『好きな人』だったし、彼の方だって。二年前のお別れのハグは、親代わりと言うには色っぽい雰囲気を帯びていた気がするのだ。

「う……」

力強い腕の感触を思い出すと、途端に頬が熱さを訴えた。
頬の火照りと弾む心を受け止めきれず早足で向かった先には、昨夜までの嵐が運んできた難破船。
大きな船だ、もしかしたら名の知れた商人や海賊の物だったのかもしれない。
傾いで聳え立つマストをじっと見上げていると心は次第に落ち着いたが、沈んだのではなかった。

シャンクスはあの日私に、この海岸に流れ着いた難破船の船鐘を任せると言った。
父さんに世話になったからこの海岸には思い入れがあるのだ、だからここに身を寄せた船が大切なんだと言っていたけれど、あれはきっと私に新しい役目を与えて生かすための言葉だったのだろう。
実際、船の命が船鐘にあるとしても、廃船になった時点でその命はもうここにはないのではないか……とか、今はもうこうやって色んなことを考えられるけれど、あの時の私はそうじゃなかった。
最初の数年は本当に、船鐘を何とか取り外して砂浜を転がし、海の見える家の庭に休ませる度、自分が救われたような気がしていたものだ。

いくらか成長して自分で生きることを望めるようになってからも、儀式めいた救済は続いた。
どうして、と考えることはあったけれど、こうして難破船を見上げる時に実感する。私の生を支えるものを確認する行為なのだ。これは。
すう、と一つ息をした。
鼓動を速める恋情とは違う、透明な愛、優しさに相対する。
自分よりも圧倒的に大きく、強大な存在に包まれる感覚はいつも、私に絶対的な安らぎを与えてくれた。
でも、そんな風に感じる間は、『駄目』なのかな、とも思うのだ。

「……シャンクス」
「なんだ?」
「っ!?シャンクス!?」

振り返ると、もう数歩の距離まで彼は近付いていた。
鮮烈なまでに赤い髪が風に揺れている。
片手に持ったお酒は港の店で買ってきたのだろうか。

「名前、ただいま」
「おかえり、なさい」

にっと笑った彼につられて、私も笑った。
おいでと差し出された手をぎゅっと握ると、彼はまた機嫌よく笑って歩き出す。
朽ちかけた船鐘はすぐに見つかった。彼が重い青銅の鐘を拾い上げる様子から目が離せない。
あんな風に自分も救われたのだと、記憶を第三者の視点から見ているような気分だった。命を拾い上げた彼の手の温かさを、私は知っている。

「シャンクス、ありがとう」

私を救ってくれて。育ててくれて。
ん?と首を傾げた彼は、『親代わり』の顔で優しく笑った。
もちろんそこに二年前の別れ際のような恋情は見えなくて、私は自分で想いの成就を遠ざけてしまったかなとも思ったけれど、多分まだ、これでいい。

「よし、名前。帰るか!」
「うん!……ね、今回の航海は……」

シャンクスは会話の合間に、一度だけ私の真っ赤なピアスに目を遣った。家に向かってゆっくりと歩き出す。
これからのことは分からない。けれど、きっと彼は待っていてくれるような気がするんだ。
都合のいい妄想と切って捨てるには強すぎる確信が、私の心を温かくしていた。

彼の赤髪が揺れる。
やっぱり格好いいなあ、世界一だよと冗談交じりに褒めてみたら、笑いながら言われてもなァ、と彼も笑った。


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