またね









「ああ、そっか」

悠仁はストンと憑き物が落ちたような顔をして、判子を押すように手のひらを拳でポンと叩いた。
唐突な納得。忘れ事でも思い出したのだろうか、それとも名案でも浮かんだのだろうか。人に疑問を植えつけておいて、彼はひとり「そっかそっかーそういうことだったのか、なるほどな」としきりに頷いている。

「俺、嫉妬してたんだ」






――




悠仁との出会いは中学校時代まで遡る。学年も部活も趣味もまるきり違う後輩君。共通の友人を介して仲良くなった彼は、地元では噂の人物だった。“アイツ、両親居ないんだって”。
噂を裏付けるように悠仁の授業参観には誰も来なかったし、運動会や学習発表会にはお爺さんが観に来ていた。そのお爺さんも体調が悪化して来られなくなり、彼を取り巻く憐憫、同情、好奇、偏見の目は一段と強さを増した。
それでも悠仁自身の人望は噂に流されず根強い。荷物を運んでもらったお婆ちゃんをはじめとして、娘と付き合わないかと手ぐすねを引く近所のおばちゃんたち、裏表のない性格を好くクラスメイトや彼を慕う後輩に、可愛がる先輩。私もその内の一人だ。彼はひとりではあったが孤独ではなかった。
それでも、ふとした時に彼が背負う孤独の気配を感じることがあった。それは西日に照らされる横顔であったり、大笑いしたあとにすうっと戻る真顔であったり。
私が彼の生い立ちを知っているからそう見えてしまうのかもしれなかったし、眩い青春だからこそ影が濃く見えたのかもしれなかった。実際のところどうだったのか、答えは彼の中にしかない。

私と悠仁は別々の高校へ進み、いつでも連絡が取れるが故にないがしろにしがちだったメッセージを久々に交わして、こうして週末二人で会う事になったのだ。
待ち合わせの公園でベンチに座る私を見、「あれ、先輩早いね」と目を丸くした後輩は、記憶とあまり変わっていなくてほっとする。

「なんか先輩には話しておかなきゃいけない気がして」

前置きをして語られたのは、彼の近況だった。
お爺さんが亡くなったこと、呪いの指を食べちゃったこと、呪いとよばれる厄災が実在していること、自分は呪いを払う術師になること……。
要点を掻い摘んで話された内容はきっと、大事な事はぼかされているのだろう。数カ月会わないうちに、以前と変わらない爛漫さだけではなくどこか大人びた雰囲気が交じる彼は一体どんな経験をしてきたのか。呪いだなんて現実離れした事情からは想像もできない。

「ってことなんだけど……」

説明を終えた悠仁は頬を指で掻きながらこちらの様子を伺っている。信じてもらえるか?という不安より、桜の木を倒してしまったことを親に告白したジョージ・ワシントンのようだった。期待に応えねばならない。私はそのためにわざわざ口から息を吸った。

「ばか!!」
「うっ、先輩声でか」
「悠仁は無茶しすぎ!一人で突っ走りすぎ!もっと自分の身を考えて!それからえっと、えっと」
「わかった、わかったから!耳元は勘弁!」

悠仁はベンチからずり落ちそうになっていた。怒りに任せて立ち上がった私をおそるおそる見上げている。
大変なことになっているのに何一つ教えてくれないで、重荷を背負って。たったひとりで。

「……生きてて、良かった。話してくれてありがとう」

きっとこの打ち明け話をした旧友は私だけなのだろう。なんとなくそんな気がした。

「次にまた何かあったらまた連絡すること」
「あー……それはできなくて」
「なんで?Wi-Fiない田舎に行くとか?」
「そうじゃないけど、連絡取っちゃダメって。そんで、先輩と会うのはこれが最後になるかも」

彼はははは、と力なく笑う。明るい口調で告げられた内容に耳を疑った。

「……それは誰かに言われたの?」
「言われたのは先生だけど、でも俺もそう思う。危ないし、先輩を巻き込みたくない」
「そんなに危ないの、呪術師って」
「危ないよ、すっげー。……と思う」

即答の後に気休めに取って付けられたMaybe。嘘をつくのが上手くないのは彼の美点であり弱点だ。
もしかしたらすでに危険な目に遭った後なのかもしれない。だからこうして別れを告げに来たのかもしれない。彼なりの覚悟で。

「あ!でも先輩がなんか困ったことあったら、連絡して!これ連絡先……呪術被害相談窓口だけど、俺の名前出したら話早いと思う、たぶん」
「……悠仁に会うには呪いの被害に遭わなきゃいけないわけね」

真面目な切り返しのつもりだったのに悠仁が笑うものだから、こちらもおかしくなって笑ってしまった。ひとしきり笑われて笑って、どちらともなく息を吐く。

「冗談じゃないのに」
「ごめん、先輩自分から呪い探しに行きそうな雰囲気だった」
「それはいいこと聞いたわ」
「ヤメテ。ゼッテーダメ」

軽口の応酬もこれが最後かもしれない。ふと差し込んだ思考に寂しさが湧き立つ。
唯一の身寄りである祖父を亡くして、危険な世界で生きることになって、この先誰が悠仁を護ってくれるのだろう?先輩として、私は彼に何をしてあげられるだろう。

「……先輩さ」

風向きが変わる。ざあっと葉擦れの音がして、生きたままの葉がばらばらと落ちる音がした。

「いま好きな人とかいる?」
「質問が彼氏いる?じゃないのはナメてんな」
「わーごめんなさい!いや居ないと思ってたわけじゃなくてどっちかっていうと居てほしくないなって思ってつい!」
「……悠仁、やっぱりばかだね」

もうほとんど告白しているようなものじゃないか。

「気になる人はいるかな。放っておけない年下がひとり」
「そか」
「高専……だっけ。新しい高校は楽しめそ?」
「まーね。先輩は?」
「こっちもちゃんと楽しいよ」
「なら、良かった。……いや、でも、なんつーか……そっか〜気になる年下かぁ……」
「なに、嫉妬してるの?」

相手はこの場にいるのに、と内心で付け加える。 
一方、抱えていた頭から手を放した悠仁はストンと憑き物が落ちたような顔をしていて、判子を押すように手のひらを拳でポンと叩いた。

「ああ、そっか」

唐突な納得。忘れ事でも思い出したのだろうか、それとも名案でも浮かんだのだろうか。人に疑問を植えつけておいて、彼はひとり「そっかそっかーそういうことだったのか、なるほどな」としきりに頷いている。

「俺、嫉妬してたんだ」

嫉妬。あっけらかんとした彼には到底合わない響きだった。
驚いて見上げると目が合う。彼は赤い頬でしばし固まったあと、目尻を下げて「へへ」とはにかんだ。覗く白い歯が爽やかな、純真な照れだ。

「好きだよ、先輩」



――




「……えー。どうしよっかなあ」
「ええ!?そこはスッパリ断るか嘘でも“うん、私も”って言う場面じゃないの!?」
「返事したらそこで終わっちゃうでしょ。だから返事してあげなーい」
「ええ……返事もらえたら俺めっちゃスッキリしそうだったんですけど。ずっと先輩への感情持て余してたから」
「さらっと爆弾発言するよね、君」

悠仁は「いや、好きなのは分かってたんだよ?でもなーんかモヤモヤするなーと思って……」などとよく分からない言い訳のような何かを並べ立てている。

「……返事は、次に会ったらしてあげるよ。放っておけない年下君?」

スッキリなんてさせてあげるものか。
未練を抱いて、何度でも楽しかった過去を振り返って、何がなんでもしがみついて。そうして、諦めなければいい。

「せっかく先輩のこと素直に応援するつもりだったのに……そこまで言われたら俺、また先輩に会いに行くから」

私の宣戦布告を受けて、別れ際の笑顔というには闘争心の滲んだ笑みが作られる。彼の瞳にいくつもの星のような光が宿り、煌めいた。
こんなしょうもない約束でも、彼の生きる未来に理由が出来たらいい。
今日の別れの言葉はもう、決まっている。