悪意の脳髄を啜る




(※夢主が外道)






 目覚めは痛いほど冷たい水だった。勢いよくかけられたのも相俟ってそれなりの衝撃。寝起きの愛おしい微睡もない、強制的な寝覚め。目蓋を開ければ、重力に従って髪の先端からぽたぽたと滴る水が見えた。床は水溜まり、下着まで水が染みてキモチワルイ。

「…目が覚めたか」

 顔を上げれば二人の男に見下ろされていた。うち背の低い男が錆びたバケツを持っており、水を掛けたのはそちらだろうということが分かる。煤け、ほつれた衣服。暗い色のそれらは、敵の目を盗んで奇襲するためのもの。――エクシーズの残党。
 敵に捕まってしまうとは少し油断し過ぎたかと、後ろで手首を縛る麻縄の感触を味わいながら口を開く。

「レディの起こし方も知らないの?随分荒っぽいね。そんなんじゃモテないよ」
「キミ……いや、貴様の話に付き合う気はない。……単刀直入に訊く。アカデミアの目的はなんだ?何故ハートランドを襲撃した」

 言いながら、男はバケツを床に置いた。てっきりそのバケツで一殴りするかと思ったのだけれど。捕らわれてしまったからにはエクシーズの残党主催・怒りに身を任せた歓迎パーティーを楽しもうというひとまずの目的も無くなり、拍子抜けして首を傾ぐ。周囲には拷問具も自白材も見当たらない。    
 私が女だから躊躇しているのだろうか?それとも捕虜にでもして取引の交換材料にでもするつもりだろうか?あまり期待されても、私は所詮一介の兵士に過ぎない。

「ねえねえ、貴方達って拷問しないの?」
「あまり手荒な真似はしたくない。貴様が素直に答えてくれれば……だが」

 その返答で、先の疑問は解消される。自分達は拷問するほど非道になっていないと言う心積もりらしい。そうして「自分達はアカデミアとは違う」と精神の高潔さを保っている訳だ。透けて見えた自衛を、鼻でせせら笑う。

「へえ?随分と甘っちょろいんだ。良いの?」
「貴様の戯言に付き合う気はない。質問に答えろ」
「さあ、知らない。負けた人間がどうなるかなんて、キョーミないもの」
「なら、次だ。俺達の…」
「瑠璃をどこへやった!」

 問いかけを遮ってもう一人の男が声を荒げる。冷静を努めようとしている男に対し、先程からこの長身の男は苛立ちを隠さないでいる。
 激情に駆られた表情と声音。その真っ直ぐさに、ひねくれ者の私はついからかいたくなってしまう。

「瑠璃ぃ?だれそれえ、貴方の彼女?」

 焦った様子の男にわざと間延びした口調で答えれば、案の定怒気が跳ね上がった。
 襟を掴まれて引き起こされ、間近で顔を突き合わせる。怒りに燃える瞳。食いしばった歯は砕けてしまいそうなほど力んでいる。これだから直情型は扱いやすくて面白い。予想通りの反応を見ることができた満足さに笑みを深めれば、その眦は一層吊り上がる。

「貴様…!何がおかしい」
「おにーさんが必死なト・コ。
駄目よお、そんな大切なものならちゃーんと手元に置いておかなきゃ。じゃないと私達が全部壊しちゃうからね!…く、ぷふふっ!あははは!ははははははは!!」

 端正な男の顔は般若のように歪んでいく。
 ――そうだ、その顔だ。被害者の皮を被り、喪失に嘆いていたとしても人間の本質はそれなのだ。本能のままの怒りと憎しみ。剥き出しの敵意と悪意と殺意。魂を磨り減らして肥大するそれらの感情こそ、何よりもエネルギッシュな“生”なのだ。故に、今この男は生きている。活きている。私達アカデミアによって生かされている。
 クソつまらない日常。平和だなどと呼ばれて尊ばれ、浪費するだけの人生は終わった。弄ばれる生と死を肌で感じて、君達の生は何よりも輝いている。生きたい。死にたくない。帰りたい。生き延びて、家族の下へ、愛しい人の下へ、仲間の下へ。必死に足掻くその想いを狩る愉しさは運動会で一等賞を獲るよりも、蟻の行列の上で地団駄を踏むよりも、ずっと、ずぅっと大きく勝るものだ。
 子供を庇ったあの親も、眼の前で親を失い、今度こそ護ってくれるものなく迫る私の姿を瞳に映して絶望を宿したあの少年も、寸でのところで伸ばした手が届かなかったあの男女も、物陰で怯えていたあの少女も……最高に輝いていた。
 極上の生。思い出された高揚に堪らず酔いしれる。状況を忘れてうっとりとしていると男に突き放され、今一度濡れた床へ叩きつけられた。後ろ手に縛られているせいでろくな受け身が取れず、強かに打った尾てい骨から激しい痛みが生まれる。
 怒り狂う男は本能のままデュエルディスクをこちらに向けた。エクシーズ次元のデュエルディスクだが、既にカード化の技術は模倣出来ているのだろう。窮地に追い込まれながらも失われない確かな技術力に、「未来都市」たる所以を感じて、関心。

「へえ、カードにするの」
「隼!落ち着け、まだ何も訊けていない!」
「こいつから聞けることなど、何もない!不愉快な事を口にするだけだ!」
「不愉快だからってカードにしちゃうの?
私達だってコレ、一応命令なんだよ?上からの命令で拒否権無し。
なのに、貴方達は感情ひとつで好きなだけカードにできるんだ! 良いなあ、羨ましいや」
「黙れ!それ以上口を開くなら、」
「そうやって何人カードにしてきたの?初めてカード化した時はどうだった?復讐の第一歩を踏み出せてスカッとしたよね?あ、私の仲間の命乞いは聞いた?泣き喚いているのは?無様に逃げようとする輩は?罪悪感はいつから消えた?正当防衛なんて言い訳は要らなくなって、そろそろ人間を狩る楽しさに気付いたころかなあ?
お揃いよねえ、私たち!ふふっ、ふふふふ!!」
「貴、様ぁ……!」

 怒りに囚われた瞳はもはや仲間の静止を聞くことはない。
 この世に未練があるわけではない。むしろ復讐に駆られ、最も嫌悪する存在と同じところまで身を堕とした哀れな男に討たれる終演。愛おしいほど愚かな、人でいるつもりの修羅。今際の際に見るには最高の演目だ。そんな愉快な最期なら悦んで迎え入れよう。
 ああ、彼らの行く先が手に取るように分かる。居なくなった私の代わりに、争奪と殺戮を続けてくれるのでしょう?平和から最も遠い末路のために。
 こちらに向けられた赤い光を喜んで身に浴びる。最後にとびきり可笑しくなって、楽しさに歪んだ顔で彼らに告げてやる。

「おんなじよ。貴方達も私とおんなじなのよ。
辛い?苦しい?心がいたい?大丈夫、すぐにこの戦争は最高のショーだって解る筈だよ」

表情を悲痛に歪ませた、“甘い”方の男と目を合わせ、さらに深く口角を吊り上げる。

「貴方達はもうとっくに“こちら側”だもの。 私は一足先に行っているけれど……私の分まで、楽しんでね!」








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 高笑いが、一枚のカードへ落とし込まれる。がらんどうの部屋から反響が消え、廃ビルの一室は唐突に静寂を取り戻した。

 先ほどまでここに存在していた女。思い出すまでもなく強烈に焼き付いている。悪魔のように裂けた唇、爛々と輝く瞳から形作られる、邪悪を煮詰めたような笑み。同じ人間とは思えない、悪意に満ちた存在だった。
 そんな彼女――アカデミアと俺達が同じなど、有るわけがない。
 だが今回はやりすぎだ。なんの情報も得られないまま捕虜を失ってしまった。
 隼を諫めようと伸ばした、その手は乱暴に振り払われる。瑠璃のことに触れられ、さらに茶化されたからだろう。その横顔は激しい怒りに燃えていた。

「アカデミア……!」

 怒りのみを映した隼の目を見て、不安が巣食う。隼は、俺達は奪われた仲間の仇を討ち、そして取り戻すだろう。平和を、そして瑠璃を。そのために敵から奪い続けて、俺達は何処へ進むのだろうか。何処に帰れるのだろうか。これでは、本当にアカデミアと……。
 本当は、心の奥底で気にかかっていた。俺達のしていることはアカデミアと変わらないのではないかと。

「違う。俺達は…人をカードにして、喜んだりしない!」

 叫んで否定して。なお女の予言めいた妄言が、全てを見透かしたように嘯く出鱈目が振り切れない。
 「待ってるわ」。女の笑いがすぐ耳元でへばりついて、いつまでも障っていた。