オムライス、大鉢サラダ、コーンスープ、手羽先、とんかつ、コロッケ、麻婆豆腐、果ては寿司……大人数でパーティーでも始めるかのような立派な料理のフルコースが、テーブルいっぱいに敷き詰められていた。
遊矢を泊めてくれたお礼にウチでご飯でも、と洋子さんに呼ばれたは良いものの、予想以上のボリュームに顔がひきつる。

「ごめんねーウチの遊矢が迷惑かけちゃって。傘を持たずに飛び出してくもんだから心配してたのよ。
だから好きなもの好きなだけ、じゃんじゃん食べて良いからね」

上機嫌な洋子さんのその言葉と共に、さらに大皿山盛りの唐揚げが置かれ、ついにテーブルの上には醤油さしを置く隙間すらなくなった。
ちなみに今食卓にいるのは遊矢君、私、洋子さんの三人のみ。
どう考えても食べきれない。食べきれないです洋子さん。

「とんでもないです、そんな大したことは……下手をして風邪でも引いちゃったら大変でしたし、何事もなくてよかったです……」
「母さん多すぎ!どれだけ作るんだよ」
「デザートも用意してあるからね」
「うええ!?さらにですか!?」
「遊矢が心配かけたお詫びも兼ねてね」

少し穏やかになったトーンに自分の胸中を見透かされていたことを察する。
ああ、この女性には敵わない。黒咲君といい洋子さんといい、私は周りの人に恵まれている。助けられている。
言葉に困って、感謝と申し訳なさの入り交じった情けない笑みを返す。洋子さんはにっと口角を上げ、「それでいい」と言ってくれているようだった。

……とりあえず、今はこの目の前の大量のディナーをなんとかしなければ。

「い、いただきます」
「いただきます……依月、無理しないでいいからな」
「私のために作ってくれたんだもの。頑張って食べるよ。……もったいない精神、やろうと思えばやれる、心頭滅却すれば火もまた涼し……」
「な、なんかそれ違わない?」

苦笑いしながら、遊矢君は指先についたケチャップをぺろりと舐めとった。





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デザートも満漢全席。どうやら茂古田未知夫とかいうシェフの料理本が発売されたらしく、今回の異常な量のディナーは、洋子さんがそのレシピを試しに片っ端から作っていった結果ではないかというのが遊矢君の見解だ。「母さんミッチーのファンだからなぁ、テンション上がってたのかも」……知りたくなかった。
今日から一ヶ月、何も食べなくても生きていけるんじゃないかと思うほどのカロリーを摂取した遊矢君と私。リビングで長いこと休憩していたが、せっかく来たのだから、と遊矢君の部屋に上がらせてもらうことになった。

二階にある遊矢君の部屋に足を踏み入れると、壁に貼られた男性のポスターが視界に飛び込んできた。
煌めく夜景を背景にモンスターに乗った男性。訊かずとも分かる。

「この人が、遊勝さん」
「ああ、俺の父さん。すっごいデュエリストだった……って、前も話したっけ」
「遊矢君はお父さんが好きなんだね」
「ああ、すっごい尊敬してる。俺、ペンデュラム召喚を手に入れて、みんなを楽しませる本当のエンタメデュエリストになりたいって思ってここまで来た。
でも全然追いつけない。やっぱり父さんはすごいよ」

追いつけないと言いながらもむしろ嬉しそうなのは、自分が人々を楽しませる立場になって初めてその偉大さに気付いたからだろう。

「本当に好きなんだね、お父さんとデュエルが」
「ああ!」

真っ直ぐな返事に、私は今までの愚行を恥じる。
榊遊矢という少年の夢を、私は潰そうとしていた。彼の希望も知ろうとせず、ただただ自分で作り出した恐怖に囚われるがままに行動していた。
黒咲君に言われた言葉がよみがえる。

――榊遊矢も信頼されていないな。お前にここまで心配されるとは。

そう。きっと、私に足りなかったのは遊矢君を信じる気持ち。

「遊矢君」
「なに?」
「応援してる。遊矢君がいつか、遊勝さんみたいな立派なデュエリストになるって、信じてるから。……頑張ってね」

無理のない、自然な笑みが溢れ出る。
私の愚かさを指摘してくれた黒咲君、優しく迎えてくれた洋子さんのおかげで、自分の心に整理をつけることができた。ようやく晴れ晴れとした心持ちで遊矢君と向き合える。

遊矢君はあっけにとられた顔で私を見つめる。

「依月、元気になったんだな」
「え、」
「なんか、明るくなったっていうか…最近いろいろあったから、思い詰めてるなって思ってたんだけど」
「あはは……ごめんね。事故があってから、過敏になっちゃってたみたい。でももう大丈夫だから」
「残念だな、せっかく頑張ったのに」

――ん?

「黒咲との話は楽しかった?悩みを聞いてもらって、あんな笑顔だったもんな。黒咲のこと好きになった?」
「それ、なんで知ってるの」
「見てたから」
「見てた……」

遊矢君が一歩、詰め寄る。自然と足が後退した。遊矢君は構わず、ゆっくりと距離を詰めてくる。

「なあ知ってるか?病室で泣きそうになりながら謝る依月、すっごい可愛かった」
「俺が火傷したときも愕然と俺だけ見てて、絶望って感じの目が印象残ってる」
「雨の日に依月の家に行ったとき、依月俺に触ってくれたよな。あの時の手のひら温かくてさ。あの時俺、やっぱり依月が好きなんだって思ったよ」
「なにを、」

言っている意味がわからない。
病室で私が謝罪したとき、遊矢君は眠っていたはずだ。火傷だって、私を見ている余裕がないくらい痛そうだったのに。雨の日だってあんなに冷えきっていて。

「でも失敗だったな、まさか黒咲が解決するなんて。あいつ、依月のこと好きなのかな」

理解が追い付かないまま遊矢君は喋り続ける。
失敗?私の悩みを解決することが?

「どうして俺が今まで依月の言う通りにしてきたと思う?」
「ちょっと、待って、ねえ」
「依月が好きだからだよ。俺さえ見ててくれるなら、それで良いと思ってた。
でももう言いなりはやめる」

理解できない。脳が考えることを拒絶している。
理解できないながら、上辺だけの理解から導き出されてしまった可能性を唇が零す。
そんな馬鹿なことはありえるはずがない、でも。

「まさか……わざと」
「そうだよ。俺がアクションデュエルで大怪我をすれば、依月は絶対に正気じゃいられないって分かってた。依月は優しいからさ」

全てが引っくり返される、衝撃。

「どういう、こと、いつから」
「最初から。依月のためにデュエルして怪我をしたのも、依月のために紅茶を淹れようとして火傷したのも、雨に降られてから依月の家に行ったのも、全部だよ。
いやー、結構キツかったんだよな、寒くて」

私にアクションデュエルの恐怖を植え付けるために、あえて落下した?
紅茶を淹れようとして火傷をしたのは、わざと自分で熱湯を掛けたから?
私を心配させるために、わざと雨に降られてから私の家に来た?
私の正気を奪って、おかしくさせるために?

自分の考えを心はまるで受け付けない。
全てが最初から彼の仕組んでいた舞台だった。私はそこで踊らされていた。目の前の少年はそうだと嘯く。
でも私の平常心を奪うために自分をわざと傷付けるなんて、そんなのデタラメすぎる。ありえない。理解できない。

「嘘だ……そんなこと、するわけ、理由が」
「あーもー、さっきも言ったけど俺は依月が好きなの!
だから俺だけ見ててくれればどうなっても良いって思ってたんだけど……でもやっぱり、好きな人には笑っていて欲しいんだよな」

遊矢君はへへ、とはにかんで、そうしてゆっくり倒れ込んでくる。咄嗟に抱き留めようとすれば逆に腕が伸ばされ、とん、と軽く私の身体を押した。バランスを崩して背中から倒れると、柔らかいベッドの感触。彼の腕はそのまま私を閉じ込める檻になった。

「だから依月」

猫のようにしなやかな身体が、私に覆い被さる。
つり気味の目を愛おしそうに細め、唇は弧を描く。幼さの残る顔立ちに浮かぶ笑みは、少年と青年の合間の壮絶な色気を纏っていた。

「これからは俺だけの為に、笑ってよ」





机の上に飾られたプリザーブドフラワーが、ただただ此方を見ていた。


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