遊矢君を責任もって家まで送り届け、ついでにスーパーで買い物を済ませたその帰り。
暗い路地裏に消えようとする見知った後ろ姿を見つけた。息を吸い込む。

「黒咲君!」

彼によく似合うその苗字を呼べば、その長い脚を止めて彼は振り向いてくれる。近くまで駆け寄ってみれば、鋭い瞳は幾分か呆れを含んでいる気がした。

「貴さ、…お前か」
「こんにちは。今日はユート君と一緒じゃないんだね」
「ユートとは常に共に行動している訳ではない」
「そうなんだ。休めるときにはちゃんと休んでね」

せっかく会ったのだから、と先ほど買ったペットボトル茶をビニール袋から取り出す。
手渡しても素直に受け取ってもらえなさそうなので優しく投げれば、彼は仏頂面でそれを受け取った。

「必要ない」
「返品不可です」

溜め息をつかれてしまった。けれど、なんだかんだでこうして私に付き合ってくれるのだから、彼もなかなかお人よしなのだろう。

「……休息が必要なのはお前もだろう」
「え?」
「浮かない顔をしている」

驚いた。自分が分かりやすい性格だとは思っていなかった――いや、彼の観察眼が鋭いのだろう。
不意を突かれたせいで、虚勢を張る気も起きない。ばれてしまったのなら、と事の些末を打ち明けようと口を開いた。





――――――――




「くだらん」

ここ数日の悩みをばっさりと斬り捨てられ、思わず顔が引きつる。腕を組んだ体勢で黒咲君はさらに続ける。

「確かに奴からはユートのような真直さも、鋼の意思も感じられない。何かあればおどけて笑い、気に食わん」
「辛口だね……」
「だが、お前から見ればそうでないんだろう」
「え?」
「お前から見た榊遊矢は、どう映る。不安だというなら、お前はなぜ榊遊矢にデュエルすることを止めるよう言わない」
「それは、遊矢君が」

思い浮かべる。遊矢君が両手を広げてスポットライトを浴びている。楽しげにドラゴンに乗り手を振っている。
思い出す。父のような立派なデュエリストになるのだと、客を沸かせるのだと瞳を輝かせていた彼を。

「遊矢君が、デュエルを好きだから…楽しそうに、デュエルをしていたから。やめろなんて言えないよ」
「榊遊矢にデュエルをやめさせたいんだろう」
「怪我をして欲しくないから。デュエルをしてほしくないのも、無茶をしてほしくないのも、また同じような怪我をしたらと思うと、心配で」
「奴もデュエリストだ。その程度の危険は承知の筈だ」
「でもあんなに細くて、子供なのに!それなのに、また何かあったら……」

食い下がる私に、黒咲君は鼻を鳴らす。

「そうか。榊遊矢も信頼されていないな。お前にここまで心配されるとは」

くだらないと言いたげな口調の中に、あわれむような色。

信頼。その言葉が突き刺さる。
私は彼を信頼していないのだろうか。
口をつぐむ私に対して、黒咲君はさらに言葉を重ねる。

「お前のその心配は自己満足に過ぎん。榊遊矢が怪我をすることを恐れているのではない。
榊遊矢が怪我をすることによって、自分が傷つくのを恐れているだけだ」
「っ……」

頬を張られたようだった。

最初の事故が起きた時、私は自分の責だと悔やんだ。死んでしまったのではないかと、動かない遊矢君を見て心底恐怖した。
あの時私の中でアクションデュエルは恐ろしいものだと――誰かを傷つけるものなのだと、心に恐怖を刻み込んだ。だから遊矢君が完治した今も、事故の再発を私「が」恐れ、あらゆる危険から彼を遠ざけようとしている。
そこに遊矢君の意思はない。私が遊矢君にデュエルをしてほしくないのも、危険から護らなければと思う責任感も、身勝手極まりない、私のエゴ、だ。

そこまで自身を省みてから、黒咲君に向き直る。年下に気付かされるとはなさけない。

「…ちょっと、分かった気がする。ありがとう」
「俺は何もしていない」
「ズバッと言ってくれて目が覚めたよ。私が葛藤したってしょうがないのに」

そう、遊矢君がどうするのかを決めるのは遊矢君自身だ。
眼の前が晴れ渡る。いつの間にか褪せていた世界が、彩を取り戻す。
久しぶりに心から晴れやかな笑いを浮かべることができた。

「黒咲君ってば、結構面倒見良いよね」
「ふん。奴らのデュエルなどしょせんは遊びにすぎん。お前が恐れているようなことは到底起こりはしない」

ひねくれた言い回し。それでも、言葉の裏にある優しさは十分に伝わった。

「本当に、ありがとう」
「――誰だ!」

突然鋭い声を張り上げ、黒咲君は私の横をすり抜けて行く。

「え、え?」

訳も解らないまま、何者かを追って駆け出した彼を慌てて追う。細く長い道を抜け、大通りに出たところで黒咲君は足を止めてあたりを見回すが、辺りにそれらしきあやしい人物はいない。

「ちっ、見失ったか」
「はあっ、誰か、居た、の?」

問うと、黒咲君は何者かが消えていった先をじっと見つめ、そこから重苦しく息を吐いた。そして私に向き直る。

「……お前はもう帰れ。それから、裏路地をうろつくような真似はするな」

射殺さんばかりの眼光にこくこくと頷く。とても逆らえない威圧感だった。


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