私立アスク学園高等部/まずはお友達になるところから






「あ、タクミくん!今から部活?」

声を上げ、ぺたぺたと上履きを鳴らして駆け寄ってくる女生徒。またか、とタクミは半ばうんざりしながら振り返った。

二週間前、タクミが登校中に引ったくり犯を捕まえた事があった。被害者は同じ学校に通う生徒。全くの偶然だったが、それだけならばさして気にすることはない。
予想外だったのは、その助けた生徒がタクミを“恩人”と呼び慕い、タクミを見つける度にこうして声を掛けてくる事だった。
おかげで中等部に在籍している妹のサクラ、その幼馴染のカザハナ、アーチェリー部に在籍するゼロ(今まで話した事もない)にまでどう言う関係かと問い詰められる始末。

そもそも彼女は先輩なのか、同級生なのか、はたまた後輩なのか。知っているのは名前だけで詳しいことは何も知らない。
そもそも本当に──世界各地から呼び寄せられた、優秀な生徒の集まるアスク学園の生徒なのかと疑いたくなる。
タクミは大学部へ進んだ長兄や、学年考査上位のルフレ、いち生徒とは思えないほど強い権限を持つ生徒会長のエクラを思い出す。才能に満ち溢れた彼らと今目の前でにこにこと笑う彼女が同列だとは、到底考えづらかった。
いや、実は知らないだけで何か特技があるのか……?

「弓道部だよね?見学に行ってもいい?」

そんなことをされれば周囲の邪推が一層激しくなることは自明の理だった。
だからタクミは言わねばならなかった。自分の穏やかな学園生活のために。

「気安く話しかけるなよ、迷惑だ」

相手はぱちぱちと瞬きを二回。「そっか、そうだよね」。傷つく様子はなくあっけらかんとしている。
タクミを見上げて、笑った。その瞬間タクミの胸に後悔が訪れる。この笑顔がもう自分に向けられない。

「ごめんね、気をつける」

──それから、彼女がタクミに声を掛ける事はぱったりと無くなった。
彼女があっさりと身を引いたことに、喪失感。まるで懐いてくる子犬が居なくなってしまったような。
愚かにも期待していたのだ、彼女が食い下がってくれる可能性を。

調子を狂わせる存在がようやく居なくなった筈なのに、どうしたことだろう。調子は戻るどころかタガが外れて一層崩れる。部活動もままならない。
些細なことに左右される己の未熟な精神を呪いつつ、生徒がごった返す廊下に出る度になんとなく彼女の姿を探してしまうのは好意を邪険にした罪悪感からか、それとも既に懐柔されてしまったからなのか。





──





タクミが久しいその声を聞いたのは、借りていた哲学書を返すために図書室に赴いた時だった。

「ありがとう、ルフレ。おかげで次の小テストなんとかなりそう」

扉に掛けた手が止まる。扉越しのくぐもった声だったが間違いない。李依だ。

「お役に立てて何よりです。でも大変ですね、手違いで入学手続きが行われただなんて」
「学園側の落ち度なんだろう?取り下げることは出来なかったのかい?」
「あー……うん。いろいろ難しいらしくて……でも、こうやってルフレたちに勉強を教えてもらえてるからなんとかなってるよ。本当にありがとう」
「僕もこうして君に教える内容を考えるのはとても楽しいよ」
「はい。李依さんに教えるのはわたしたちも学んだことの復習にもなりますし、気にしないでください」
「二人とも優しいね……」

タクミの知らない情報を、二人のルフレは知っている。敗北感に似た疎外感。
扉の向こうの会話を盗み聞き、片手に哲学書を持ったまま、取っ手に指を掛けたままで、立ち尽くす。

「あっ、タクミ様ー!こんなところでどうしもががが」

不用意に大声を上げて近づいてきたヒナタの口をヘッドロックに似た体勢で押さえる。今彼女に見つかりたくはなかった。

ルフレ。柔らかい声色には親しみが込められていた。反芻して歯噛みする。
──敬称付きで僕を呼んで駆け寄ってくるのは、所詮恩義から来るものでしかなかったということだ。





──







「……」
「あ」

下校時、李依は校門の脇に立つタクミを見て目を丸くする。だが足を止めたのは一瞬。すぐに通り過ぎようとする。

「お疲れさまでーす」
「……待ちなよ」

まさか待っていた対象が自分だとは思わず、李依はタクミの表情を窺う。唇は真一文字だが、不機嫌や怒りは感じられない。

「私、またなにかやらかした?」

放課後の色づいた陽がタクミの頬を染める。慣れない誘いを口にしようとしている彼からしてみれば、これ以上ない照れ隠しだった。

「……午後練、見に来なよ」
「え、いいの?」
「べ、別に嫌ならいい。見学を断ったのがバレたら顧問がうるさいから一応聞いただけだ」
「ううん、嫌じゃない。私、変な時期に編入したから部活見学とか出来なくて……弓道部、一度見てみたいと思ってたから嬉しい」

綻んだ表情に、タクミはどきりとする。
……どきり?いや、まさか。ホッとしたんだ、ホッと。

「よろしくね、タクミくん」
「弓道場ではくれぐれも騒ぐなよ」
「はーい」

タクミを背後から追い掛けてくる軽やかな足音。
妙な緊張と安堵の混ざる感情は、不思議と心地よいものだった。