01

「――審神者を、休む?」
そんな事ができるのかと山姥切国広が言えば、細い肩は震えるように竦んだ。
体を強張らせた審神者に、この女はこんなに小さかっただろうかと国広はまじまじと見詰めてしまった。
もちろん男の体を持った国広と女の審神者を比べてしまえば小さいのだろうが、あの時、初めて審神者と並んで立った時は、もっと気にならないくらいだった。
「……うん…………」
すっかりやつれてしまった審神者は、国広の言葉に弱々しく頷いた。
そのまま重く俯いてしまった審神者に国広はしまったと先程の言葉を取り消そうとしたが、ただ言われた言葉を聞き返しただけなのでどうフォローすればいいのかわからず、二人の間に沈黙が流れた。
(――今は、何を言っても届かない気がする)
辛そうな表情を浮かべる審神者に、国広も似たような表情をして口を噤んだ。
固く閉ざされた心はもう国広の手の届かないところにある気がした。
何度か引き寄せようと手を伸ばしたが、指が触れるたびにどんどん狭く奥まった場所へ行ってしまい、今では指先さえ届かない。
いつか手の届くところに戻って来てくれるかもしれないとじっと待っていたが、それももう姿形さえわからなくなってしまった。
それでもいつか、いつかきっと、と待っていたのが悪かった。
――少し、審神者を休ませてほしい、と。
ひどく思い詰めた表情で審神者が言った。言わせてしまった。
無理矢理にでも引き摺り出せば良かったのか。いや、引き摺り出したとしても心が伴わなければ意味がない。憔悴しきった審神者から目をそらすように睫毛を伏せ、国広は両膝に置いた拳を握った。
主の初期刀だというのに、掛けてやれる言葉が見付からなかった。
(俺はただ……、前のようにアンタと……)
伝わらない悔しさを飲み込みながら、疲弊した彼女を刺激しないよう、頭の中で慎重に言葉を選びながら国広は返した。
「いいんじゃないか、一週間くらい。俺達のことなど忘れて、羽を伸ばす時間も必要だろう」
その言葉に審神者は肩を震わせ、涙ぐんだ。


***


「へえ、審神者って休めるんだ」
全員が集まってもなお余裕のある大広間にて、髭切が意外そうに瞬きを繰り返した。
夕餉を終えた大広間には審神者を除き、本丸の全刀剣男士が揃っており、明日から審神者が一週間の休みを取ることを初期刀の山姥切国広……の次に古株の薬研藤四郎より聞かされた。
薬研は白衣に眼鏡をかけた内番着姿で広間の上座に立ち、伝達を続けた。
「大将が休んでいる間、本丸の機能は停止。と言っても出陣がないだけで、内番は継続。各自、体を休めるなり、鍛錬するなり、好きに過ごして欲しいとのことだ」
「質問、いいか」
ひとり立って伝達を告げる薬研に、ジャージ姿で座した膝丸が小さく挙手をした。
その隣には兄の髭切が座っており、立てた片膝の上に顎を乗せて寛いでいる。
「その休みの間、主は本丸内にいるのか?」
「いや、居ない。政府が用意したアパートで過ごすそうだ」
「……政府が用意したアパート? 実家に戻らないのか?」
「ああ、急に実家に帰っても驚かせるだけだからという理由らしい。まあ、今の大将は実家に帰るより、一人ゆっくり休んだ方がいいだろう」
「一人は流石に危ないんじゃないか。誰か護衛に……」
「一応、政府が用意したアパートだからな。本人も問題ないと言っていたが……、つけたとしても、今の大将の側に俺達が居て休まるかと考えると……、な」
人差し指で頬を掻き、言い難そうにした薬研から言わんとしていることが伝わり、広間に集まった刀剣男士達が気遣わしげに視線を落とした。
いずれこうなることは予測できていたが、いざ迎えると苦々しい気持ちでいっぱいだと周囲の空気が重くなる。
「……俺のせいだ……」
すると、その負のオーラを人一倍背負い込み、部屋の片隅で蹲るものの囁きが聞こえてきた。
そのものは身に着けている薄汚れた布で全身をくるみ、ぼそぼそと何かを呟き続けている。
先程から、というよりも伝達を任せてからずっと部屋の隅でそうしている彼、山姥切国広に薬研は溜息をつき、いい加減にしろと腕を取った。
「山姥切。いつまでそうしているつもりだ?」
しかし引き上げられた国広は薬研に見向きもせず、色の無い目を畳に落としては小さく口を動かしている。先程から何をぶつぶつと言っているのだと耳をすませば……。
「……どうせ俺は写しなんだ主に慰めの言葉を掛けることもできないどうしようもない刀なんだ写しだからな気を遣わせないように言ったはずなのに主にあんな顔をさせてしまうちんちくりんな刀なんだ写しだからな俺は何をやっても駄目なんだ主に満足のいく戦績を与えることもできない駄目刀なんだ写しだからな初期刀なんて名ばかりでどうせ俺は……」
垂れ流れてきた自責の言葉に薬研はげんなりしたが、こういう時だからこそ初期刀にはしっかりしてもらいたい。引き攣った口元を結び直し、薬研は取った腕に力を込めた。
「しっかりしてくれ、山姥切。大将不在の間、この本丸の責任者はアンタになるんだろう」
「責任者……フッ、主を慰めることもできない俺にそんな大役……」
「あのなぁ、今の大将は誰が何を言っても同じ結果になった。だから大将はアンタの言葉に泣いたわけじゃない」
「主が、俺の言葉に、泣い…………ウッ」
「アンタまで泣かないでくれ……!」
卑屈そうに笑ったり、泣きそうに顔を歪めたりと、国広の情緒不安定な様子に薬研は取った腕を放り投げた。それから再度溜息をついては腰に手をあて、国広と、集まった皆を見渡した。
「大将はここ連日の出陣で心身共に疲れている。一週間本丸を離れ、ゆっくり休めば少しは落ち着く。そうしたらまた戦績も持ち直すし、大将も元気になる。だから山姥切も、本丸の皆も、もちろん大将も誰も悪くない」
広間に集まったもの達にそう言い聞かせるが、皆はまだ何か言いたそうにしつつ、飲み込むようにして口を閉じた。
皆、思っていることは一緒なのだ。
――主が一週間審神者を休むことは、自分達のせいなのではないかと。
審神者が休みを必要とする前にもっと自分達にできることがあったのではないのだろうかと。
もちろん薬研が言った通り、この件は誰も悪くない。悪くないのだが、審神者も本丸の皆も、誰もが自分自身を責めてしまう。故に、この状況は互いに互いを思い過ぎたゆえに招いた結果だと薬研は感じていた。
「戦績が落ち込んでいるのは主のせいじゃないのにねぇ」
重たい空気が流れる広間に、髭切のさして問題じゃないと言った声が妙に浮いて聞こえた。
何故皆がここまで重々しくなるのかがわからないとでも言うように聞こえた言葉に、全員とは言わないがひとりでも多く髭切のように受け止めてくれれば、広間の空気もまた違ったかもしれないと薬研は苦笑した。
「大将は真面目なお人だからな」
そして、そんな審神者を心から慕っているからこその空気なのだと、寂しそうに肩を落とした。
審神者が休みを取ることに対し、『連日の出陣で心身共に疲れている』と薬研は言った。しかしそれは半分合っているようで合っていない。正してしまうと、『審神者はここ数日の戦績にすっかり自信を無くしている』だ。
審神者の采配が悪いとは言わない。刀剣男士達の調子が悪かったとも言わない。ただここ数ヶ月の出陣と演練は良い結果が得られず、戦績は伸び悩んでいた。
最初こそは審神者と刀剣男士、次はいい成果や戦績が残せるよう頑張ろうと互いに励ましていた。
しかし、その後も満足のいく結果は得られず、撤退が続く。そして撤退が続けば続くほど、審神者は自分の采配を責め、日に日に笑顔を見せなくなり、代わりに焦りを見せ始めた。
以前の審神者は短刀達と遊んだり、中庭に咲く花を愛でたり、広間で茶菓子を楽しんでいたりしていたのだが、今はそんな穏やかな時間も取らなくなっていた。
こちらから声をかけようとしても「今は手が離せないから」などといって顔色の悪そうな笑みを残して自室にこもり、ひたすら報告書を書き続け、必要な時だけ顔を出すような日々が続いていた。
疲れ切った審神者の笑顔にこちら側も次第に声が掛け辛くなっていき、今だけ、きっと今だけだ、またしばらくしたら笑顔を見せてくれると皆で審神者の心が休まる時を待っていた。
……今思えば、下手に刺激して更に追い詰めてしまったらどうしようと、腫れ物に触るような気持ちだったのだろう。
そして今朝、審神者から初期刀の山姥切国広に「審神者を休ませて欲しい」と要望があった。
いずれそうなるのではないだろうかと誰もが待っていたその言葉に、皆は少しほっとしたような、ほっとしてしまった自分が嫌になった気持ちを抱えた。
「――ねえ、主って『中途審神者』だよね」
沈痛な面持ちを浮かべる皆を余所に、膝に顎を乗せたままの髭切が薬研にそう尋ねた。
薬研が髭切へと体を向ける。
「ああ、大将はサーバー拡張に伴う補充で、適性があって審神者になっている」
それがどうした? と首を傾げると、髭切は「うーん」と小さく唸っては顔を上げた。
「主は審神者になってから、本部以外の現世に出掛けたことはあるかい?」
「いや……、記憶している限りでは……」
ないと思う、と擦り合わせるように視線をずらせば、何か思うことがあったのか蹲っていた国広も顔を上げては首を振った。
どうやら審神者になってからろくに現世に戻っていないらしい。
そう言えば、里帰りをしたという話も、本部に出掛けたあと寄り道をしてきたという話さえ聞いたことがない。
「…………」
なんとなく嫌な予感がして、薬研が髭切へと向き直れば、皆もそれに気付き始めたのか、視線が集中していた。
「今まで本部以外の現世に出ていないというのなら、審神者になってから霊力を所持した主を一人にするのは、すごく危険だと思うのだけど」
髭切の言葉に、広間に集まる皆の息を飲む音が聞こえた。
「だって、霊力を持ってから一度も『外』に出ていないんだろう」
中途審神者である審神者は、就任する前はごく普通の人間だった。神気や霊力とは無縁の、普通の人間。
しかし今は刀剣男士という付喪神を統べる審神者となった。審神者になったことで、元は持っていなかった霊力というものを得たのだ。
霊力というのは、適性があったとしてもそれを開花させなければ『霊感があるもの』または『感じのいいもの』と言い留めることができるが、審神者になることで潜在する霊力が開花されると『霊力を持つもの』になる。
元々体質的に、もしくは家系的に霊力を持っていることを自覚しているものは、生活していく内に『霊力を持って日常を過ごす』ということを身をもって学んでいくが、中途審神者は違う。
審神者になることで適性を開花させ、急速に霊力を付けていく。しかも本丸という強固に結界が張られた神域内で、だ。
おまけに刀剣男士という神に守られ過ごしているせいで外敵に狙われることもなく、整えられた環境ですくすくと育つ。ビニールハウス栽培もいいところだ。
ゆえに『霊力を持って日常を過ごす』ということを知らない。
「――それに、あの子…………」
「……護衛、付けた方がいいな」
言いかけた髭切より先に薬研が眉を寄せた。
そしてその言葉に皆が頷き、国広が声を上げた。
「付けないと駄目だ……! 今の主は『心』が弱っている! そんな状態で本丸の外に出たら、何が襲ってくるかわからない……!」
先程の落ち込みは何処へやら、審神者の身の危険を察知するなり、やっとそれらしい顔を見せた国広に薬研はニヤリと笑った。
「で、どうする、初期刀殿?」
「主には嫌でも護衛を付けてもらう。身の安全が第一だ。しかし休息が目的とならば、護衛は……そうだな、一振り、練度の高いものを。なるべく気心の知れた奴がいい」
そう国広が判断すると、広間に集まった刀剣男士達は各々顔を見合わせる。
そして、――一斉に手をあげるのであった。
「はいはいはいはい! 護衛なら俺、加州清光でしょ! 気分転換のショッピングにも付き合えるよ! 主の服とか選んであげたい!」
「ショッピングなら僕、乱藤四郎もオススメだよ! 主さんとクレープデートしたい! 違う味のやつを二人で食べあいっこするんだぁ」
「おいおい、お前ら下心が見え見えだ。この鶴丸国永ならサプライズ付きで楽しい休暇を過ごせるぜ」
「鶴さん、休暇って言っているだろう? 僕ならどうかな、美味しい光忠キッチン付きだよ。美味しいものをたくさん食べれば、主だってきっと元気が出るよ」
「ふふふ。寝物語なら得意だよ? 怖いものからにっかりできるものまで、幅広く取り揃えているからね」
「…………」
……お前の寝物語は駄目なヤツだろう、と一同にっかり青江を見ては間を置き、再度自分を連れていってくれと声が上がった。
「――ゴホンッ」
我こそは審神者の側に、そして審神者の元気を取り戻すのだと声を張り上げる皆を、大袈裟な咳払いが止める。
群がる皆を、口元に手を添えた国広が見渡した。
「いや、護衛は初期刀の俺がいいだろう。主とは誰よりも長い時間を共に……」
「大将の居ない本丸の責任者はアンタだ。諦めてくれ」
しかし言い切る前に薬研に遮られ、止めを刺すようにちらりと加州に睨まれた。
「……だいたい主のこと泣かせたんでしょ?」
「うっ……」
容赦ない会心の一撃に国広はピシリと固まってしまう。
すると、そんな国広を押しのけ、薬研がきらりと光る眼鏡を得意げに指で押し上げた。
「ま、俺の出番だろうな。山姥切の次にこの本丸の古株であるし、医療の知識もある。大将のメンタルケアはこの俺がしっかりと……」
「薬研は山姥切さんのメンタルケアがあるから駄目ー」
「えっ」
我こそはと張り切った薬研に、乱藤四郎が脇から顔を出した。
その後ろを見れば、こんな情緒不安定な初期刀に責任者をひとりでやられても困る、と一同頷いており、あえなく初期刀の国広と初鍛刀の薬研の残留が決定した。
となると、この二振りを除いた誰かが審神者の護衛となるのだが……。
「はっはっはっ、じじいと散歩も悪くないぞ。俺と手を握って歩けば主も元気が出るだろう」
「下がれ三日月。主のお世話をするのはこの長谷部に決まっているだろう。貴様と散歩など最早介護と同等だ」
その後も絶え間なく続く自己アピールの嵐に、護衛から除名を余儀なくされた国広が虚しさを振り切るように声を荒げ、腕を振り上げた。
「ええい! 埒が明かない!」
その手にはいつの間にかたくさんの紐が握り締めており、国広はそれを皆の前に差し出した。
この流れと紐を察するに、握り締めた拳の中どれか一本の紐に印がついているのであろう。そしてそれを引いたものが、主の護衛となる。
「公正にいく! くじ引きだっ!」
このまま自己アピールを聞いていたら朝になってしまう。
審神者を慕いすぎる刀剣男士達にこれでは一生決まらんと国広は皆にそれを握らせた。
「いいか。せーので引くんだぞ……」
そして未だかつてない緊張した空気に皆は固唾を飲み、己の選んだ紐を今、引いてみせた。
「せーの……っ!」

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