Lesson

「君を食事に誘いたいのだが……」
困っている案件がある、とばかりに切り出された話に、私は書類を片付ける手を止めた。
今日は金曜日ということもあり、終業時刻を過ぎると社内はあっという間にもぬけの殻になり、そこには仕事を切り上げるタイミングを逃した私と何かしらで残っていた膝丸さんしかいなかった。
その膝丸さんから普段と変わらない口調で言われたものだから、てっきり仕事を手伝って欲しいとかなんとか言われるのかと思ったのだが、聞いた言葉がどうやら想像していたものと違う。
「えっ………………?」
思わず聞き返せば、膝丸さんが私の机のパソコン本体に肘を乗せ、微かに首を傾ける。そんな些細な仕草でさえ、まるでドラマのワンシーンのように絵になるのだから美人は羨ましい。そんなことを頭の隅で考えていると、見透かしたかのように膝丸さんの眉間に皺が寄る。
「だから、食事。君を食事に誘いたい」
「……へ、ぁ…………、わたし……っ!?」
「今ここに君以外いるか」
「えっ……、いや、でも、私」
「まだ仕事が残っているのか? なら、手伝おう」
「い、いやっ、もう終わったんだけどっ」
突然、膝丸さんに食事に誘われて狼狽えてしまう。だって膝丸さんは社内の高嶺の花だ。こうして二人きりで会話をするだけでも、私としてはめちゃめちゃ緊張してしまうくらいなのに何故食事に誘った……?
「あ、えっと……、もしかして、既に何処かで集まりがあるの……?」
今月も新規開拓件数ナンバーワン、お取引先様からの信頼も厚ければ、社長からの覚えがめでたい膝丸さんから食事に誘われるなんてありえない。そんな強い気持ちから、もしかして何処かで皆が集まっててそこに誘われているのかと考えると、膝丸さんは柳眉を顰めて小さく肩を竦めた。
「言い方を変えよう。君をデートに誘いたい」
「……でっ…………」
長い間無関係だった単語が急に降り掛かってきた。しかもその単語以上に無関係だと思い込んでいた相手に。
いや、仕事上一日一回くらい声は掛けるし、社内ですれ違えば世間話だってできるが、けどそれは仕事仲間だからだ。その枠を飛び越えた関係など想像する訳がなければ考えたこともない。
見上げるほどのすらりとした長身に、目鼻立ちの整った顔。切れ長の目は精悍な印象を与えつつ、その奥にある深い色の瞳がぞくりとするような色香を漂わせている。
憧れを抱くことがあっても異性としての好意など、向けることすら烏滸がましいと思わせる完璧な美貌を前にどうしてそんなやりとりが発生すると考えられるのか。
(ぜ、絶対に断るべき……! 膝丸さんなんて雲の上の人に一庶民の私が手を出していいわけがない……! きっと毛色の違う女の子に手を出したい時期なんでしょうけど、その相手は絶対に私じゃない……っ!)
彼に対しては誠実な印象を持っていたので、そんな彼から食事に誘われたのはある意味ショックではあったが、だからといって簡単に頷けるわけがない。私は狭い頭の中で、いかに彼の矜持を傷付けずやんわりお断りできるかを必死に考えていた。
「俺と食事は嫌か」
「い、嫌とかじゃないです……! む、むしろこんな私に声をかけてくれるなんて嬉しいしかないのだけどっ」
「……ないのだけど……?」
私の言葉から断りの気配を察した膝丸さんがパソコンに置いていた肘を浮かせた。真正面に立たれると迫力満点の美人に心が挫けそうになるが、なんとか自分を奮い立たせ私は膝丸さんを見上げた。
「わ、私なんかに声をかけるなんて、もったいないと思うの……!」
「もったいない……?」
まるで初めて耳にしたように私の言葉を繰り返した膝丸さんがますます顔を顰めた。その表情から何言ってんだコイツという感情がありありと伝わってきて、やはり人を傷付けずに誘いを断るのは難しいと心が折れそうになった。
「つまり、君は俺に誘われることに関しては嫌ではない……のだな?」
しかし、確かめるようにして聞かれた言葉に私は頷くのを躊躇った。私のやんわりと断った言葉が物凄くポジティブに受け止められている。いや、傷付けない言葉を選んだのだからそれはそれで成功したのだろうけど、なんだか雲行きが怪しくなった気がした。
「アッ……、いや……? 嫌では、ないんですけど……」
「そうか、嫌ではないのだな。……正直ほっとした」
いや、ほっとしないでくれ。
「あ、あの……」
「ならば、何の懸念がある。聞かせてくれ」
そう言って近くの椅子を引いて腰を落ち着かせた膝丸さんに、あっ、こうやって開拓件数を増やしていくんだなあと少しばかり感心してしまった。そんな場合ではないのだけど。
「えっと……、その……、身の丈に、合ってない……というか……」
「俺がか」
「いや私です。膝丸さんなわけないでしょう」
「……そうなのか?」
「そ、そうです……! だって膝丸さんは高嶺の花じゃないですか!」
「高嶺の……?」
これほど綺麗な顔をしといて美形の自覚がない……!?
膝丸さんの反応に慄きながらも、私は懸命にお断りを続けた。
「膝丸さんであれば、もっと綺麗で性格のいい、間違いのないお相手がいるでしょうに……!」
こんな道端に転がっているような石を拾って、これでいいかなどと簡単に済ましてはいけない。しっかりしてくれと前のめりになれば、それを見ていた膝丸さんが私へと手を伸ばし、まるで触れたそうにしてその手を宙に彷徨わせた。
「ここにいるが……」
染み一つもない肌が微かに赤くなった。
いっ…………、いやいやいやいや! そういう反応を求めたわけじゃない! 違う、そうじゃない!
しかし頬を染めた膝丸さんになんだかつられて私まで赤くなってしまった。返す言葉を見失った私が固まっていると、膝丸さんは彷徨わせた手を戻して小さく拳を作って握り締めた。
「……君は少し、いや、かなり自己肯定感が低くないか?」
「え……」
「例え俺が高嶺の花だとしても、『身の丈に合っていないから』という断り方はかなり納得がいかない。君は、本気で俺からの誘いを嫌がっているわけではないのだろう?」
「は…………、はい……」
「なら、君は頷くべきだ。俺と食事に行き、それから合っているか合っていないかを判断するべきだ」
違うか、と真っ直ぐ見詰められ、私は膝丸さんの勢いに圧倒されつつ、知らぬ間にぽかりと開いていた口を慌てて閉じた。
「君の自己肯定感が低くて振られたなど滑稽過ぎる。まずはその卑屈さから直してやる」
「エッ……?」
「来い、話はそれからだ」
「ま……っ、マッ?」
「デートは持ち越しだ。今日は君の自己評価の低さについて話し合おう」
食事の誘いを断るつもりが、断ることも承諾することも通り越してどこかへ連れて行かれそうになっているのは気のせいか。いやでもデートという名目では無くなったから、いい、のか……?
何がどうしてこうなった? 頭にたくさんのハテナマークを浮かべながら私は帰り支度に取り掛かる。
「施錠を確認してくる。それまでに荷物をまとめておいてくれ」
「う、うん……?」
まったく状況が理解できないまま、これから膝丸さんと二人で行くのは何の食事だ……? と大きな謎を鞄に詰め込み、私は膝丸さんの後をついていく。
しかしこの後、膝丸さんによる自己肯定感を高める話し合いは一度だけでなく二度、三度と続けられ、時には場所を変えて土日に二人で映画を見たり、ショッピングを交えながら、私は人並みに自己肯定感を高めることに成功した。
そしてその間に、膝丸さんにキスも体も奪われていたのは、言うまでもない……。

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