審神者だってできるもん

「今日、初めて兄者に名前を呼ばれた」
弟である膝丸が至極嬉しそうに報告してきた。
兄から名前を呼んでもらう。そんな当たり前のことをまるで月下美人に微笑んでもらったように話すのは、その相手が年に一度くらいしか弟の名前を呼ばない髭切だからだ。
あら、まあ、良かったね。
感極まる膝丸に、日頃の苦労を知る審神者も自分のことのように喜んだ。
兄が弟の名前を呼ぶことを同じように喜んでしまうなど、自分も随分慣らされていると苦笑が込み上げてしまう。しかし背景に桜でも散らさんばかりに喜ぶ膝丸を見るとお祝いでもしてあげたくなるものだ。
まあ、宴とまではいかないが、せっかくだからお茶にしようかと審神者は膝丸を誘う。確か貰い物の菓子があったはずだ。それを楽しみながら膝丸の話を聞いてあげようではないかと二人で執務室を出て菓子をもらいに厨へ向かう。
その道すがら、膝丸はすれ違う刀剣男士達から必ず声を掛けられていた。なんせいつもは凛々しい顔の彼が、傍から見ても口許をだらしなく緩めているのだ。何があったのだと気にする方が当然だ。
そこで膝丸がよくぞ聞いてくれたとばかりに兄から名前を呼ばれたことを話す。すると皆も審神者同様手を叩いて、良かったね、おめでとう、などと喜んでくれるから膝丸の喜びも一入だ。
そのやりとりを執務室から広間に到着するまで三度繰り返した。最初は獅子王だったか。膝丸はさぞ聞いてくれとばかりに足を止めるので審神者は微笑ましく思っていた。
しかし本丸は広い。
今度は広間から厨まで行くのにそのやりとりを五度ほど繰り返した。最後は粟田口の短刀達が集まってくれたので換算すると何度目だろうか。
正直、その頃になると流石の審神者も飽きていた。いや、髭切が膝丸の名前を呼ぶなど心から喜ばしいと思っている。思っているのだが、本音を言うと何度同じことを説明したがる膝丸が凄まじい熱量で皆に話すものだから、恋人としての自分が面白くないと拗ねているのだ。
髭切と膝丸が仲のいい兄弟ということは十分にわかっていることで、膝丸が髭切から名前を呼んでもらうことに関して苦心しているのも知っている。
それをなんだか面白くないと感じる自分はなんて心が狭いのだろう。
そう思いもするが、でもここまで私を放って置くのもどうなのよ! と文句を言う審神者が顔を出す。
そうなると隣で大人しく微笑んでいた審神者の唇がだんだんと不貞腐れて尖っていく。最後にはむすっとへの字を描いてしまい黙り込むのだから、隣を歩く膝丸に見付かってしまう。
「君、どうした……」
そのように不満そうにして。と言う膝丸に審神者はカチンときた。
ええ、ええ、どうせ私は膝丸の髭切に対しての愛情に不満を抱える心の狭い女ですよ!
そんな思いで八つ当たりするように審神者はプイッと首をそらす。
「なんでもないわ」
「なんでもなくはないだろう。そんなに頬を膨れさせて」
何があった、と言う膝丸を置いていくように審神者は先を歩く。少々足を踏み鳴らして歩けば膝丸が審神者の手を取ってその足を止める。
「君」
再度名前を呼ばれ、取られた手首も優しく引き掴まれて審神者は俯いてしまう。
何を拗ねてしまっているのだろう。
膝丸が嬉しいとしていることを同じように喜んでやれず、むしろ拗ねてしまう自分がとても幼くて恥ずかしい。
でも、でも、そうなってしまうくらいに、審神者だって膝丸が好きなのだ。髭切がしたように、いや、それ以上に膝丸を喜ばせてあげたい気持ちがあるのだ。それなのに兄者、兄者と膝丸は……。
「……私だって、膝丸の名前を呼ぶくらい、できるわ……」
名前を呼ばれたくらい、何だというのだ。
それなら自分が毎日毎時呼んでいるではないか。
そんな思いを込めて、呆然と立ち竦む膝丸の手を審神者は振り払った。
それからまた足を鳴らして厨に向かい、その場にいた堀川に審神者は泣きついたのだが、その後、廊下で胸を抑えて蹲る膝丸が発見されたことは彼女の耳に入らなかった。

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