03

「ちょっと待って髭切くん!」
先を歩く髭切くんを私は呼び止めた。
時刻は夜の九時過ぎ。辺りは真っ暗で人通りも少ない。
そんな時間に高校生がフラフラと出歩いてはいけない。しかし上着を羽織った姿の髭切くんは追い掛けてきた私に微笑むだけで、出てきた家に戻る気は無さそうだ。
まるで追い掛けてきた恋人を待つように穏やかな表情を向ける髭切くんに、もう! そんな場合じゃないって! と私は駆け寄る。
「髭切くんはお家に戻って! 私なら平気だから、駅まで十分もかからないし……」
慌てて後を追った私とは違い、髭切くんはふんわりと口元に笑みを浮かべており、私の心配など届いていないのがよくわかる。というより、私がしている心配など最初から気にしていないようでもあった。
「駄目だよ、先生は女の子なんだから。何かあったらどうするの?」
「高校生の夜の出歩きの方がよっぽど心配だよ……!」
「平気だよ、まだ十時前だし。それに引き留めたのは僕の方だから、送らせて」
今日は予定通りの時間に家庭教師のバイトを終えて帰る予定だった。しかし、その生徒さんに「先生、夕飯食べて帰ったらどう?」と誘われ、お母様も「是非」と喜んでくれたのもあり、ありがたく夕飯をご馳走になっていた。
あまり長居をしないように……と思っていたのだが、ついつい話が弾んでしまいこんな時間になってしまった。お家の人達が皆さん優しくて、居心地が良くてついつい話し込んでしまった……。
せめて、仕事から戻られるお父様より先に家を出なくては、と長居してしまったことを詫びて玄関に向かえば、生徒の髭切くんが先に玄関を出ていて私を送ると言うから冒頭の流れになる。
「せめて駅まで送らせて、ね?」
私なんかを駅まで送りたいと言ってくれる髭切くんは本当に優しい。なんていい子なんだ! と感動しつつ、しかし夜遅いこともあって髭切くんの申し出に、私は嬉しいような困ったような顔をしてしまう。
「ありがとう……。でも大事な生徒さんを夜遅くに出歩かせるわけにはいかないから」
「どうして? 皆も送ってもらえって言ってたのに」
「皆さんが良くても私が駄目なのっ」
お家を出る際、髭切くんが「先生を送っていくよ」と言って上着を取りに行って、私は送るだなんてとんでもないと断ろうとしたのだが、髭切くんのお母様も弟の膝丸くんも「そうね、女の子の一人歩きは危ないわ」「ああ、それがいいだろう」と玄関までお見送りしてくださり、更に土産のお菓子まで頂いてしまった。
土産袋を片手に家を出た時はさすがに、あれ……? と首を傾げた。やんわりと断るする隙もなく、あれよあれよと髭切くんと共にお家を出たのだが……、薄々感じていたがこの家の人達押しが強いな……?(いや私が弱いのか……?)
「とにかく駄目……! 夜遅いから! 今からお家に帰って!」
「先生は僕と一緒に歩くの、嫌……?」
「そ、そうじゃなくて……」
「うん、ならいいよね」
「うわっ、眩し……っ」
にっこり。真っ暗な夜道など気にならないくらいの髭切くんの眩しい笑みに、思わず目が数字の『3』になるかと思った。イケメンのきらきらに目が眩んでいる内に髭切くんはスタスタと前を歩いては私を振り返る。
「先生、はやく」
「あ、す、すみません……」
穏やかな笑みに促され、私は髭切くんと肩を並べた。
髭切くんと送る送らない話をしつつ歩いていたら、いつの間にかお家と駅の中間くらいまで進んでいた。ここまで来たのなら素直に送ってもらった方がいいのだろう。夜道を生徒さんに歩かせてしまうなんて、駄目な家庭教師だなあと反省しつつ、私は髭切くんを見上げた。
「……あの、髭切くん」
「なぁに、先生」
心なしか、一緒に外へ出てから機嫌がいいように見える髭切くんに、私は鞄の中の財布から千円札を一枚取り出す。
「これ、駅から帰る時に使って。タクシーで帰ってね」
帰る時には下りのバスなどもう出ていないだろう。私を送った後、髭切くんが一人でこの夜道を帰るのかと思うとぞっとして、私は帰りのタクシー代を手渡そうとした。
「ね、髭切くん。危ないから、必ずタクシーで帰ってね」
「…………」
髭切くんは出された千円札を黙って見下ろしていた。そのまま受け取ろうとする気配がないのを見て、私は髭切くんの手を取りその上に千円札を乗せて両手で挟んだ。
優しさの塊である髭切くんはお金など受け取ろうとしないのはわかっている。しかしそんな髭切くんを一人で帰らせるなど私には到底できなくて、ぎゅうっと挟み込んだ手に力を込めたら、たっぷりの間を置いて髭切くんの声が上から降ってきた。
「……先生は意地悪だね」
「え……?」
「わかった。先生の言う通りにするよ」
渋々、と言った声がして私は顔を上げた。もちろん、髭切くんは納得していないといった表情だったけれど、一応お金は受け取ってくれるのか、挟んだ手を握り返された。
「先生は僕にカッコつけさせてくれないね」
「えっ……」
「僕は先生に頼りがいのあるところを見せたかったのに」
「は、はあ……」
「先生からタクシー代をもらうくらいなら、最初から先生をタクシーで帰らせるよ」
見上げれば、少しだけ口を尖らせた髭切くんがいて、その拗ねたような表情に私は思わず可愛い……、だなんて思ってしまう。
(……でも、そうか。そうだよね)
髭切くんは高校生の男の子なんだから、やっぱり女の子(と言っても残念なことにここにいる女は私なのだが)の前では男らしい自分を演出したいというやつなのだろう。普段、穏やかで優しくて、綺麗な顔をしている髭切くんだけど、女の子の前ではカッコつけたいという男の子の気持ちがあるのだ。
……そんな事を思ってしまう髭切くんが既にものすごく可愛いのだが、ここでその言葉は口にしてはいけない。私は髭切くんの手を握ったまま、くすくすと笑った。
「大丈夫。髭切くんはいつもカッコいいし、しっかりしてるなって私は思っているよ」
「……ほんとう?」
「ほんとう」
「ふうん……、あとは?」
「あ、あと……?」
「うん。もっと聞かせて。僕の良いところ。かっこよくて、しっかりしてるだけ?」
……かっこよくて、しっかりしてるだけで良いところとして十分な気がするが、髭切くんはそれだけじゃ全然物足りないとばかりに私の続きを強請った。
「え、えっとね……」
髭切くんの良いところ、たくさんありすぎて何処から話し ていいのやら。ああ、でもあまり言葉に詰まると無いのかと誤解させてしまう。 私は握られたままの手を強く握り返し、先まで拗ねた顔を見せていたはずなのにいつの間にかに こにことしだした髭切くんを見上げて、彼の良いところを話し出す。
「あの、あのね!」
「うん」
そうして、私は髭切くんと駅までの道のりを彼の良いところを話し続けて別れたのだが、バイバイと振られた手で駅に着くまで手を繋ぎっぱなしだったことに気付き、なおかつ髭切くんに渡したはずの千円札が鞄の中に押し込まれていたことに電車の中で気付かされ、己の不甲斐なさに思いきり頭を窓にぶつけるのであった。
『――先生こそ、地元駅に着いたらタクシーでお家まで帰ってね』
というメッセージの追い打ち付きで。

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