独占欲

薬研が重傷で帰ってきた。
彼の兄である一期一振に抱えられて戻ったのを見た時、体の血がさぁっと抜けてその場に崩れ落ちそうになった。実際崩れかけたのを鯰尾と骨喰に支えられたのだけど。


「なあに、怪我するのも仕事の内さ。」


ぽん、と負傷していない方の手で頭を撫でられ、思わず涙ぐみそうになる。というか、既に涙目だ。見た目は他の短刀達と変わらない幼い容姿なのに、薬研はいつも余裕があって、おおらかで、冷静で、とても強くて、だからいつも無意識に彼に頼ってしまう。彼と必死に死地を潜り抜けていたあの頃とは違って、今の本丸は彼以外の刀もたくさんいるというのに。


「ごめんなさい。どうしてもという時、薬研がいるとすごく安心するから…。いつも出陣してもらってて…。」


薬研の傷付いた体を手入れしながら、気を抜くとすぐに泣いてしまいそうな鼻を強くすする。


「大した怪我じゃない、気にすんな。それに、…………大将に頼られんのが何よりの誉れさ。」

「え?」

「いーや、なんでもない。大将、俺の手入れはもういい。ありがとな。」


暗に手入れ部屋から出ていくように促され、私はこくりと小さく頷いた。…馬鹿だ。薬研は医術の知識があるから私より自分で処置した方が上手だ。それにいつまでも横でめそめそされちゃ誰が誰を処置してるのかわからないし、何よりも薬研は戦地から帰ってきてとても疲れてる。私なんかが傍にいたって何もできない。
ごめんね、薬研。と言ったらまた気を遣わせてしまうから、その言葉は飲み込んで手入れ部屋を静かに出た。


「皆を少しでも怪我させないようにするには刀装頑張らなくちゃ。あ、でもその前に薬研の手入れを優先してあげたいし…、うーん素材が足りないなぁ…。」


とぼとぼと縁側を歩き、仕方ないと縁石の草履に足を引っかける。出せるお金は少ないけれど、無くて困るよりはマシだろう。


「万屋に行きますか。」


近侍である薬研が手入れ中なので一人で行く事にはなるが、特に問題はない。というか、今の今まで一人でショッピングとかスーパーに行っていたのだ。今更一人で買い物できない、なんてそんな馬鹿げたことはないが、近侍が居ないとどことなく寂しい気もする。鳴狐にでも声を掛ければ良かっただろうか。いや、万屋に行くくらい一人で大丈夫。そう門を出たところで「主!」と後ろから声がかかった。


「主、おひとりで何処へ…!」


私を追い掛けてきたのは、空色の髪に金糸雀の瞳の美しい青年、一期一振だ。
金色の立て襟に、粟田口揃いの濃藍の軍服に深緋の胸当て。右肩からは桐と葵の紋が描かれた手首まで隠れる長さの黒いマントが靡いている。釦や襟、袖、胸当てなどには金糸や金の飾り房が施され華やかな装いだが、それを纏うのは優しげな笑みを浮かべる品のある青年だ。今は慌てて駆け付けたので優しげな笑みは無かったが、代わりに心配そうな顔が私に向けられていた。


「ちょっと万屋へ。素材が欲しくて。」

「おひとりで?」

「うん。」


言うと、一期一振は目を丸くしたあと、ふるふると首を横に振り、是非、とばかりに胸元に手を当てた。


「お供します。」

「えっ、いい、いいよ。だって戻ってきたばかりでしょう?体を休めて…。」

「主おひとりで外出させといて自分は休むなどできません。」


優しい口調なのに、でも譲らないとばかりに一歩間合いを詰められる。柔らかい笑みを向けられ、思わず「じゃ、じゃぁ、お願いしようかな」なんて頷いてしまいそうになる。


「だ、だめだめ。ちゃんと休める時に休んで。お願い。」


頼もしい刀剣達に頼りきってしまった結果が、今回の薬研だ。薬研達にはくれぐれも無理はしないように、とは言っているがそれが逆に無理をさせてしまったのかもしれない。ぼろぼろで戻ってきた薬研の姿が思い浮かんで、引っこんでいた涙が再びこみ上がってきた。一緒に行くといってくれた一期一振の袖を掴んでぐっとこらえる。大丈夫、笑え、なんでもないように、笑え。笑え。


「ありがとう、でも一人で大丈夫。ありがとう、一期一振。」


無理矢理笑顔を作ったせいか、頬が少しひくひくしてる。けど、笑顔は浮かべられたはずだ。一期一振に精一杯の笑顔を向けて、踵を返す。皆に頼りっぱなしじゃ駄目だ。一人でも何かできることしなくちゃ。審神者なんて呼ばれてても、何もできないようじゃ呼ばれる資格もない。俯きかけた顔を真っ直ぐ上げて、ただの万屋へだけど、でも初めて一人で外に出ようと敷居を跨ごうとした時だ。


「主、」


優しく、でも強く腕を引き寄せられた。供を断った一期一振の声が、何故かすぐ後ろにあって、振り向かずとも横から空色の髪が見えて彼と私の近さに目を瞠る。


「い、いち…、」

「私は、」


穏やかでも、意志の強さをはっきりと感じた。


「審神者である貴女の近侍が私の弟で、とても誇りだと思っている反面、貴女から絶大な信頼を得ている薬研がとても羨ましい。」


一期一振は、粟田口吉光の手による唯一の太刀。吉光は名工とされたが、作り上げたのは短刀ばかりで、太刀はこの一期一振のみ。ゆえに本丸でも賑やかな短刀達のよき兄だ。個性豊かで元気いっぱいの短刀達を優しく、時には厳しく面倒を見てくれている。彼の行動一つひとつは弟達への愛に溢れており、弟達の幸せが自らの幸せだというのがひしと伝わる。そんな彼から思いもよらぬ言葉が聞こえてきて、私は自分の耳を疑った。


「一期、一振…?」


目だけそちらに向けると、金糸雀色の瞳が深く色濃く輝いて私を見詰めていた。いつもの澄んだ色ではない、深い、濃い色。


「主は以前、私の格好を派手だと仰いましたね。」


息がかかるほど、彼の唇が私の耳のすぐそばにあった。
もったいぶったような吐息が耳にかかり、ぞくりと体が震えそうになる。


「それは、前の主の影響だと答えたのを覚えておりますか。」


いつもより、ワントーン低く落とした彼の声は初めて聴く。ひたりと、見えない切っ先を首筋にあてられている気分だ。美しい刀身がひたひたと私に触れてくるような。


「もう一つ。前の主の影響を受けているものがありましてな。」


怖いほど重く、甘く、低く囁かれる声に感覚を奪われ、いつの間にか私の耳は耳としての機能を忘れていた。


「…独占欲。」


もう一期一振が何を言っているのか理解しきれていない。聞こえているけれど、何を言われているのかと考えると頭に靄がかかったみたいにうまく掴みとれない。


「私は、こう見えて案外独占欲の強い男なのですよ。欲しいと思ったものはなんとしてでも手に入れたくなる。」


すう、と金色の瞳が細められる。
色濃い金色は、鈍くても十分に美しい。


「例え、その方のお心が別の場所にあったとしても。」


手触りのいい白手袋をはめた彼の指が、そっと私の輪郭をなぞり、びくんと私の体が跳ねる。一期一振の恐ろしいほど美しい顔がすぐ目の前にあって、私はやっと我に返った。


「っ、一期…!」


彼の胸を突っぱねようと腕を伸ばすよりも先に、ぱっと彼が離れた。
すぐそこにいたはずの一期一振は一歩後ろにいて、まるで何事も無かったかのようにいつもの微笑みを浮かべてそこに立っていた。普段の柔らかい笑みに、あ、あれ…?と、先程の出来事は夢だったのではないかと勘違いしてしまいそうになった。


「そういうことなので、是非お供させてください。」


主、と微笑まれ、あ、あれ、ど、どういうことだっけ…?と私は首を傾げるも、「では参りましょう」と先を行く彼の背中を私は慌てて追いかけた。彼が、そんな私にくすりと笑みを濃くしているのも気付かずに。

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