寒椿

音もなく雪が降り積もる。
今日は昼から綿のような雪が降り始め、空が鉄黒に染まった夜でもそれは続いていた。
陽が暮れる前に簀子に積もった雪を掃きはしたものの、夜になれば簀子の端が雪で薄っすらと白くなっていた。冷え切った床板を踏むたびに氷の上を歩いているようで審神者はぶるりと震えあがる。口から零れた息は雪に負けず劣らず白く、今夜の冷え込みをこれでもかと告げていた。審神者は両手に抱えたものを抱え直し、眺めていた庭に背を向けて足早に回廊を抜けた。
「――髭切、いる?」
長い回廊を辿り、審神者はとある部屋の前で立ち止まって声を掛けた。
すると、審神者が言い切るかしないかのところで戸が開けられる。開かれた妻戸の先には審神者が声を掛けた髭切……、ではなく弟の膝丸が目を開いてこちらを見下ろしていた。
「君……」
「あ、膝丸。髭切はいる? まだお風呂かしら。今晩は冷えるから綿入れを持ってきたのだけど」
両手に抱えた綿入りの衣を膝丸に見せれば、それを見下ろした膝丸が瞬く。
「あ……、いや、兄者の綿入れなら俺が昼に用意して……」
「そうなの? さすが膝丸ね。私のは余計なお世話だったわね」
雪が降った時点で兄の分の防寒着を用意するとは、さすが膝丸である。昼から冷え込みだした本丸に髭切が「寒い、寒い」と猫のように背を丸めては炬燵と同化していたのを見掛けたので、今夜の冷え込みは辛いだろうと気を利かせたつもりだったが、いらない心配だったようだ。
「膝丸が用意してくれているのなら心配ないわね。それじゃあ、私は部屋に戻るから」
「――待ちなさい」
おやすみなさい、と続けようとした審神者の腕が強く引き寄せられる。ふわり、と室内の暖かな空気が審神者を包んだ。背後で妻戸が閉まる音を聞き、引き寄せられた胸の中で審神者を包んだのは暖かな空気ではなく膝丸の腕だと気付く。
「こんな冷えた夜にふらふらと出歩くんじゃない」
抱えた綿入れごと抱き締めた審神者の腕を、腰を、膝丸の大きな手が擦った。どうやら温めてくれているようだが、正直擽ったいその手に身を捩れば更にきつく抱き締められる。
「く、苦しいわ、膝丸……」
「我慢しろ。こんなに体を冷やして風邪でもひいたらどうする」
「そんな簡単に風邪になるほど柔じゃないわ」
「柔であろう。実際、体がこんなに冷えている」
ふと膝丸の腕が緩まり、一息つけると思えば両手を取られて膝丸の息を吹きかけられた。持ってきた綿入れが足元に落ちたが、それよりも膝丸は審神者の手を温めることに意識が集中しているようだった。
「わ、綿入れが落ちたわ」
「ああ、それは俺が使おう。せっかく君が持ってきてくれたものだ」
「………………」
持ってきた綿入れが無駄にならないのはいいが、この状況はどうしたものか。触れる膝丸の息に冷えた指先が溶けてしまうような気がして、審神者は膝丸から取り返すようにして自分の手を引き抜いた。
「も、もう部屋に戻るからいいわ」
「駄目だ。ここで温まってから戻りなさい。その後部屋まで送ってやろう」
「べ、別に知らない場所から帰るわけでもないんだから……」
「いい子だからいうことを聞きなさい」
「……っ」
膝丸の大きな両手が審神者の頬を包む。そっと持ち上げられ、額と額が重なり、膝丸の前髪が審神者の冷えた頬を撫でた。
それから膝丸は部屋に置いてある火鉢の元へと近寄り、その傍らに置いてあった別の綿入れを広げた。膝丸が用意した髭切の綿入れだろうか。髭切が戻った際に温まった綿入れを手渡そうとしていたのだろう。しかし膝丸は広げたそれを審神者の肩へと掛けた。
「これを」
「えっ、いいよ……っ、だってこれ髭切のでしょう?」
「いい。兄者もそうする」
「で、でも……」
「来なさい。少しでも火の近くで体を温めるんだ」
「…………」
そんなつもりではなかったのに。膝丸が髭切へと温めていた綿入れを審神者の肩に掛け、火鉢の前へと座らされてしまった。
本意ではない、といった顔で腰を下ろせば、すぐにその後ろに膝丸が座るものだから驚く。慌ててずれようとするも、後ろから膝丸の腕が審神者の腰へとまわり、抱き締められてしまう。
「ひ、膝丸……っ」
「こんなに冷やして。何をしているんだ、君は」
だから綿入れを渡そうとやってきたのだが……。膝丸は綿入れの隙間から審神者の腰に手を差し込み、その体を自分へと抱き寄せる。膝丸の唇が冷えた耳に触れ、その近さに審神者は腕の中から出ようとするがその腕は緩まる気配がない。
「ひ、膝丸……っ、こ、これじゃ、あ、暑い……っ」
「良い。君の体がはやく温まる」
「う、う〜……っ」
こちらは全然良くない、何を言っているのだ、と抵抗の意志を見せるべく審神者は足をばたつかせる。すると、審神者の冷えた足が膝丸の足に触れる。蹴るつもりなど無かった審神者はしまったとばたつかせた足を止めたが、すぐにその足を膝丸に取られてしまう。
「君……、足がこんなに冷えているじゃないか」
「ふ、普通です……っ、冬場なんてそんなものじゃない……っ!」
膝丸は体をずらし、審神者の足先から足袋を引き抜く。膝丸の手におさまるほどの小さな足は赤く冷え切っていた。膝丸はそれに眉根を寄せ、睨むようにして審神者を見る。
「いくらなんでも冷えすぎだ。一体どこをほつき歩いていた」
「………………」
「君」
痛々しいくらい赤くなった足に、どうやら真っすぐここに来ましたという嘘は通用しないらしい。鋭い膝丸の視線に審神者は口先を尖らせて目をそらした。
「……つ、……椿が……綺麗、だったから……」
「……………………」
突き刺さる視線が痛い。冷えた空気よりも痛い。
「こんな寒い夜に出歩く君の足を止めさせた椿を全て引き抜いてやろうか」
「だ、だめ……!! 絶対駄目!」
「ならこんな夜にふらふらと出歩くんじゃない」
「だ、だから私は綿入れを髭切に……」
髭切に綿入れを渡そうと兄弟の部屋へと赴いたが、その途中で美しい椿が咲いていたのだ。雪に咲く椿の赤が色鮮やかで、つい見惚れてしまった。そう告げようにも全て言えば膝丸が更に怒るのは目に見えている。審神者が大人しく口を噤むと、膝丸が溜息と共に審神者の足先を両手で包んだ。
「椿が見たいのなら、明日手折って君の部屋に持っていく」
「それじゃダメ……折ったら怒る……」
「俺は寒い夜に椿を眺めた君を叱りたいのだが」
「もう叱っているじゃない」
「当たり前だ。こんな寒い中、椿が綺麗だからといって立ち止まる阿呆がいるか」
「あ、あほ……っ!?」
「阿呆だ、こんなに冷やして」
ぐい、と審神者の足が持ち上げられる。
高く掲げられたと思えば、膝丸がその足の甲に頬をあてた。
足が、膝丸の手と頬に挟まれて溶けた。
「……っ!」
いや、実際には溶けていないのだが。しかし冷えた足先がじゅわりと溶けていく感覚はあった。
「ひ、膝丸……!」
何をしているのだ、と止める間もなく、膝丸は審神者の足に唇を寄せる。口付けにも近いそれはすぐにあたたかい吐息が吹きかけられ、冷え切った足先には痛いくらいだった。
「やっ、そ、そんなところ……っ、はなして、き、汚いからっ」
「汚くない。君に汚いところなどない」
「あ、あるよ……っ、あ、足、さっき廊下歩いてた、から……っ」
「君の足なら気にしない」
「私が気にする……っ!」
ふう、とまた息が吹きかけられる。じん、と痺れるような痛みが走り、審神者は唇を噛み締めた。
「う……、は、はなして……髭切が、戻って、くる……から……」
「兄者は風呂上りに三条の者達と囲碁をすると言っていた。しばらく戻らん」
「そ、それを早く言いなさ……っ、ひぁっ」
尖らせた膝丸の舌先が審神者の指の付け根を舐めた。冷えた足に温かい舌がなぞった感覚は強烈で、痛覚など鈍っているのではないかと思ったが、そこだけ熱せられたように溶けていくのを感じた。
足を取った膝丸の目に審神者は息を呑む。まずいと思っているのに、体が溶けていく氷のようにいう事を聞いてくれない。そのままじゅわりじゅわりとだらしなく溶けていくようだ。
「ここで体を温めてから帰りなさい」
そこから審神者が部屋に戻れたのは、さて、いつになったのやら。

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