呪詛

「まったく、」


溜め息混じりの言葉に審神者は肩を窄める。石切丸はしょんぼりと眉を下げた審神者に自分の手を重ねた。
石切丸の手を優に余らせる小さく華奢な手には黒い痣のようなものが、炎のような模様を描いて彼女の肘下まで伸びていた。


「呪詛を受けて放置しているなんて」

「…ごめんなさい、一人でなんとかできると思って…」

「ふぅん、一人、ねぇ?」


その結果がこれかい?と彼女の手を少し持ち上げ、咎めるように目を細めてみせると審神者は益々体を小さくさせた。
最近、審神者である彼女の元気がないのを心配していた石切丸は彼女の元へと訪れた。
本人は何でもないように振る舞ってはいるが、付喪は持ち主である主の感情に敏感だ。何か無理をしている気がする、と感じた石切丸は他の刀剣男士達に気付かれぬ内にと主の元へと足を運んだ。何かと一人で頑張ろうとするきらいがある彼女が、他の者に「元気がない」と指摘される前に近侍である自分が早い内に声をかけた方がいいと思ったのだ。皆の主でありたいと背を伸ばす彼女を好ましいと思いつつも、いつも一人で問題解決しようとする姿に寂しさと少しの苛立ちを感じている。今回はその苛立ちも込めて、あえて声をかけた。
主、と彼女を呼び止めるため何気なく彼女の腕を取ってみると、触れた瞬間に胃をひっくり返したかのような不快感が石切丸の全身に走り、視界が鈍く黒く歪んだ。すぐに彼女が石切丸に取られた腕を振り払ったが、それだけでもう十分だった。誤魔化すように笑っては袖を伸ばし手を隠す審神者に石切丸は目をつり上げた。


「さっきも言ったけれど、私が祓わなかったら本当に死んでいたかもしれない」


白い腕に痛々しく広がる呪詛の痣を見た時、石切丸は珍しく声を荒げた。いや、声を荒げずにはいられなかった。
彼女が受けた呪詛は受けた箇所から対象者の心臓を目がけて痣を広げ、その痣が心臓まで辿り着くとその心臓を止めてしまうものであった。彼女が呪詛を受けた部位は手からだという。最初はそれが呪いの類だとは気付けずに、向かってくるそれを手で振り払おうとしたらその手に憑いてしまったという。何か良くないものを受けてしまったという事はわかってはいたが、日に日に痣の範囲を広げるそれに怖くなってしまいどうすることもできなかったという。


「君の何事にも頑張ろうとするところは長所であるとは思っているけど、もう少し私達…、せめて私だけでも頼って欲しい」


何か良くないものを受けてしまったという不安を聞かせて欲しい。
よくわからない痣が広がっていく恐怖を打ち明けて欲しい。
まだ自分は彼女の信頼するに足らない存在なのだろうか。
彼女を蝕んだ呪詛はすぐに石切丸が祓ったが、彼女の細腕には痛々しい痣が残っていた。時間をおけばその痣もその内消えてなくなるだろうが、それでも白い腕に残る痣は石切丸の心を苦しくさせた。こうして彼女を叱ってはいるものの、自分がもっと気付いてやれば良かった話だ。もっと早く彼女の変化に声をかけるべきだった。彼女が呪詛を受けた場にいるべきだった。呪詛をしようとする者に目を光らせていれば良かった。


「…手遅れになる前に祓えて良かった」


安堵の息を漏らし、石切丸は審神者の体を抱き締めた。呪詛から守れなかった申し訳なさと、呪詛を受けたことを教えてくれなかった苛立ちを込めて少しだけいつもよりきつく抱き締めると、彼女はおずおずとだが甘えるように石切丸の肩口に頭を預けた。


「…ごめんなさい…、心配、かけたくなかったの…」

「それがもう、心配をかけているのだけど?」

「えっ…?」


頼ってくれと言ったすぐそばで、心配をかけたくなかった、と言う彼女に石切丸は苦笑する。自分の言葉の何が駄目だったのかわからない彼女は困ったように眉を下げ、石切丸はその小さな額に自分の額を合わせた。


「もういいよ。今度からは君がそんな事を思う前に私が守ればいいのだから」


額を擦り合わせるようにしてそう言えば、彼女の小さな口からほう、と息が漏れた。
呪詛によってかなりの量の霊力を奪われた審神者に、石切丸の存在は心地が良いように見えた。


「少し、霊力を君に戻そうか」

「大丈夫…、もう少し、このままで…」

「そう…。では、もう少し」


着物の裾を少しだけ握ってきた審神者に石切丸は柔らかく微笑み、自分の唇を彼女の唇に優しく押し付けた。


「っ…!」


大丈夫と言ったはずなのに重なった柔らかな唇の感触に腕の中の彼女がぴくりと震えた。驚いたような大きな目を見詰めつつ、石切丸は再度唇を押し付ける。何度か唇を重ねるのを続けると、根負けしたかのように審神者の目蓋が閉じ、二人だけの室内にちゅ、ちゅ、と甘えたような音が響き始める。


「ん、ん…〜っ」

「まだ駄目だよ。もう少し霊力を蓄えなきゃ」


ぺろ、と石切丸の舌がきつく閉じた彼女の唇の合間を舐める。それを拒もうと体を固くさせる審神者を気にせず、石切丸はぬるぬるとその小さな唇を舐め続ける。


「さぁ、口をあけてごらん」

「ん、ま、待って…、い、いしきりまる…、あの、…、お、おこってる…?」


なんだかいつもとは違う口吸いに戸惑いを隠せない審神者が石切丸の胸を押すが、その胸はびくともしなかった。なんだか嫌な予感がする、と彼女は顔を引き攣らせる。石切丸は彼女の腰を抱きながら、にっこりと微笑んだ。


「…私が怒ってないとでも思ってたのかい?」

「ひっ…、あ、ん、んんぅ」


霊力を分けてもらっているのか、それともただの口吸いなのか、はまたま全然違うものなのかはわからないが、この日を境に石切丸にびくびくと相談を持ち掛ける審神者の姿をよく見掛けるようになった。


呪詛



「一体どこの誰があの子を呪おうとしたのだか…」


彼女が休む部屋の外で石切丸はそれを顔の前まで持ち上げては握り締めていた。それは石切丸の手の中でもがく様に体をうねらせていた。まるで蚯蚓のようなそれは小さく細長い。しかし体は黒く、炎のように揺らめいていた。確かに、言われなければ虫か何かのように思えて手で振り払うようにしてしまうかもしれない。
しかしそれは立派な呪詛であった。そう、彼女が受けて石切丸が祓ったものだ。


「私は祓うのが専門なのだけどね」


握り潰すように手に力を込めると、呪詛は引き裂かれるような鳴き声を上げる。そして石切丸の手が呪詛の炎に包まれたかと思えば、黒い炎は蒼く燃えては黒い姿を萌黄色に変えた。庭の草木に放り投げるようにして放てば、彼の霊力を纏ったそれは草色に紛れては姿を消した。その姿を見送った石切丸は静かに目を細めた。


「でも、できない訳じゃないんだよ。…呪詛返し」

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