せんせい。
※現パロ
「や、薬研君…。」
彼を下の名前で呼ぶには理由がある。
本来(一応)教職員としての立場なら彼のことを「粟田君」と呼ぶのが正しいのだが、私が養護教諭として勤める学校には粟田君は二人いて、しかも双子だというから彼らを呼ぶときは必然と下の名前を呼ぶことになる。私が今呼んだのはその片割れ。粟田薬研君。しっとりとした艶やかな黒髪に紫の瞳、すっと通った鼻筋に薄い唇の線の細い青年だ。ほっそりとした体つきなのに白いシャツから伸びる腕は筋張っていて、細く見えるのは雰囲気や真っ直ぐに伸びた背から得る印象で、実際はそうでもないことがわかる。多分、体ができるまで細い子だったんじゃないだろうか。
「どうした、先生。」
私が名前を呼ぶと彼は紫の瞳を僅かに細めて柔らかく微笑んだ。どちらかと言えば女性的な顔立ちの彼は口を開くと随分と低い声を出す。少し伸びた横髪を耳にかけてこちらに向かれると、私の声をよく聞こうとしているのかと勘違いしてしまいそうになる。しかしその耳にはチカリと光る小さな粒がついている。彼の黒髪によく似合う、黒い石。
「ピ、ピアスは校則で禁止されているはずだけど……っ」
他の先生は彼をあまり叱らない。叱ったとしても注意するだけで、あまり強く怒ったりはしないそうだ。それは彼が成績優秀で普段の生活態度も他の生徒も見習って欲しいほど良いからだという。というか、既に彼に憧れというか尊敬の意を抱く子達もいるそうで、それがいい影響を与えているらしい。しかしだからといって校則違反は校則違反だし、そもそもこうして校則違反してる時点で普段の生活態度も何もないじゃないか!と思って私はこうして注意しているのだけど、目の前の薬研君は私の注意に「ああ、」と自分のピアスに触れてニッと笑って見せた。
「似合うだろ?」
「に、似合うとか、そういうのじゃなくて、校則違反だから…!駄目だから!」
彼が高校生じゃなくて私の学校の生徒でなければ「似合うよ!」と言ってあげられただろう。しかし私は一応先生だし、彼は生徒なのだから、順守すべきものがある。それが学校であり先生、なのだ!
「でもなぁ…、開けちまったし。」
「放っておけば閉じます。ピアス、没収します。はい、取って。」
「しかしなぁ……。」
渋る薬研君は自分の耳に触れ、黒いピアスを指先で弄った。少し口先を尖らせて不満な色をみせる薬研君だが、私はそんな可愛いらしい一面に決して、決っして流されない。心の中で(かっ…!)と悶えるだけだ。
「せっかくお揃いとやらにしたんだがな。」
「お揃い……?」
ピアスを指先でいじいじする薬研君が私の顔を覗き込むようにして少し身を屈めた。紫色の瞳がじっと私を見詰めては嬉しそうに細まる。
「お揃い、先生と。」
一瞬、何を言われているのかわからなくて首を傾げたのだけど、薬研君が傾けた方の耳に向かってそっと指先を伸ばしてきて私は慌てて一歩引いてその手をかわした。薬研君が触れそうになった耳を手で覆う。覆った耳には、白い粒がついている。華美なものでなければいい、と許された、パールのピアス。
「先生が白い玉だからな。俺は黒にした。」
楽しそうに言った薬研君に、た、玉じゃないし、パールだし、せめて真珠と言って。と言いたかったけど、あまりの謎な発言に言葉を失う。だって、俺は黒にしたって、お、お揃いって、なに、わ、私のこと…?私がピアスしてるから、薬研君も穴を開けたっていうの…?
「い……、いやいやいやいや。流されないからね。先生流されないからね。ちょっと、いやかなり顔が整ってるからって何言っても許されるとか思わないでね薬研君、先生は騙されませんピアス外してください没収です。ボッシュートです。」
「先生息よく続くなぁ。」
気付けば一息でまくし立てていた私に薬研君は感心していたけど、そんな事はどうでもいいから早くピアス外しなさいと手を差し出すと、薬研君は少しだけ肩を竦めるようにして小さな溜め息をこぼした。
「何か一つ揃いのモンが欲しかったんだがなぁ。」
「だから何言って……、」
「俺はアンタのものだって、印が欲しいんだがな。」
「……は……?」
「ま、これで我慢しとくか。」
「えっ、ちょ、な、」
薬研君が自分の耳に手をかけて諦めてやっとピアスを外したかと思えば、もう一度私の耳へと手を伸ばした。私はまた身を引こうとするも、それよりも大きく一歩踏み込まれて呆気なく私は薬研君に間合いを取られてしまう。ぐいっと詰められた距離よりも、ぐっと私を見詰める紫色の瞳に深く、不覚、吸い込まれそうになって両足が動かなかった。
「今はこれで我慢しとくさ、せんせい。」
耳たぶに寄せられた唇から、やけに勿体ぶった低い声が私の耳を擽った。いや、擽るというよりも染み渡らせるような、声。そして薬研君の指が私の耳の中に入るか入らないかのところで形をなぞっていく。撫でるような擽るようなその指先にぞくぞくと体が震えてしまいそうになり強く両目を瞑った。
「……ッ、」
指先がそっと離れていく気配がしておずおずと瞼を持ち上げると、薬研君が私の顔の前でくすりと笑っていた。
「代わりにもらってくぜ?」
「…………へ…?」
言い終わるや否や踵を返した薬研君に、一体自分は彼に何をされていたのかと状況を飲み込めず、やけに熱をもつ耳に触れると、何やら見知らぬ感触が指に当たる。これは、と考えるよりも先に、廊下の先を歩く薬研君の指先に白く光る粒が見えて「あ!」と大きな声が出る。
私の耳には、黒い石がチカリと光っていた。