ハニーフレンチトースト(2/3)

はぁ、と大きな鏡面の前で私は溜息をついた。
あの後すぐエリア長に確認を取り、光忠を現世に呼ぶ話を聞いた。『燭台切光忠』のデータが欲しいというのはあながち嘘ではなく、ステータスデータの更新という話だった。各本丸から一定以上育てられた刀の、とりわけ近侍としてのデータを比較したいそうだ。その後に呼び出した刀剣達を労う意味も込めて軽い食事を振る舞う話らしいのだが、どうやらエリア長の管轄で太刀以上を近侍にしているのは私だけらしく、他は短刀もしくは打刀だという。だから食事会が終わった後は解散で本来ならば構わないのだが、そこで大人しくしてくれないのが団塊世代の上司というもので、うちの光忠にエスプレッソマシンがぶら下げられたのであった。


(まさかそんなに欲しがってたとは…、もっとちゃんと話を聞いてあげれば良かった…。)


上司の接待に行ってしまう程欲しかったのか、と溜息と一緒に項垂れようとした頭を私ははっとなって持ち上げた。


(危ない、髪のセットが崩れる。)


慌てて大きな鏡を覗いて化粧崩れや髪の乱れがないか確認する。
際までばっちり引いたラインに重ね付けしたマスカラ、普段はつけないグロスに濡れた唇に頬を添うようにふんわりと巻いた髪。
鏡に映ったのは若い時を思い出して頑張った目の強い化粧をした自分だ。服装も両肩を出した膝の見えるドレス。座ると太腿まで短くなるから座り方とバッグの置き方に注意しないと危ない。なんとか見慣れてきた自分の姿に少し疲れが見えるのはもう若くないからだろうか。いいやそんな事はないと言い張りたい。


(ここ連日シフトだったもんなぁ。毎日飲み続けるのは正直しんどい…。)


と、肩を落とす自分が座るのは待機室と呼ばれる小さな部屋。何をする部屋かと問われれば、その名の通り、呼ばれるまで待機する部屋だ。では一体何に呼ばれるのかというと、


「ヘルプ、お願いします。」

「あ、はいっ。」


待機室の扉がノックされ、黒いスーツを着たボーイが顔を出し私を呼んだ。待機室を出れば暗めの照明に華やかな女の子達と男性客が各々楽しそうにしているフロアが広がる。何十本も並べられているボトルに、先程と同じ黒服を着たボーイ達が数名待機しているそこは、言わずもがな、現世の『夜のお店』という奴だ。


「あれ?新人?」

「そうなんです!初めまして。」


本丸では絶対に見せることはないだろう営業スマイル六割増の笑顔を貼り付けて私はボーイに案内された席に着いた。
時刻は真夜中。本丸の短刀達ならばぐっすり寝ている時間であろうこの時刻に、私はキャバ嬢として働いていた。


「よくいらっしゃるんですか?」

「自分でいうのもなんだけどここのお得意様だよ。」

「そうなんですね!いつもご来店ありがとうございます。まだまだ駆け出しですが、どうぞお見知りおきを。」

「あっはは〜、いいねぇ〜、硬派な子嫌いじゃないよ。」


仕込みは上々…。なんてやってるけれど、内心一秒でも早く抜け出したいのが本音である。だがしかしここではそれが仕事なのだから嫌だのなんだの言ってられない。ヘルプだろうがなんだろうが、仕事は仕事!である。

ここ最近、近侍の光忠にも政府にも秘密にしていることが私にはある。それは何かだなんて、ここで働いていること以外の何モノでもないのだけれども、何も意味もなくここで働いているわけではない。ちゃんとした理由があって、お金が欲しいからここで働いているのだ。
ただ帰りは遅くなっちゃうし、起きるのはお昼頃になってしまうから光忠にはすっごい怪しまれているし、寝起きの声はガラガラだしたまに二日酔いしてる時もあるから皆には心配かけっぱなしだけど、それでも手っ取り早く女が金を稼ぐ方法ときたらこれしか無かったのだ。


(これバレたら絶対光忠に殺されるわ。)


今日は偉そうに光忠に審神者っぽいとこというか上司っぽいとこ見せてしまったけど、連日の昼起きの原因が夜お酒飲むお仕事してるからだなんて知られたら形無しだ。それに、今夜光忠はエリア長につられて(もといエスプレッソマシンに釣られて)こういうお店に連れて行かれるのかと思うと更にバレたら殺されてしまいそうだ。真っ当な理由があって働いてはいるが、知らない男性と夜お酒を飲む仕事というのは、どの時代どこのお国でも聞こえが悪くなってしまうのが現実だ。
しかし。


(もう洗面所は限界だよなぁ〜…。刀剣40人…振り…?本…?まぁ、40超えしといて洗面所一つは流石に辛いよぁ…。御手杵なんかこの間庭のホースで顔洗ってたし…、犬かよ…。そう考えると洗面所二つ設けるより三つの方がいいのかな…。するといくらだ…リフォーム代いくらだ…。私は何本酒を空ければいいんだ…?)


お客様の話に適当な相槌と少しオーバーなリアクションをして会話を続けながら、頭の中で何度したかわからないリフォームの予算を組み立てる。本丸の改装改築なんて本来なら政府の仕事だと思うのだが、如何せんリフォーム申請を出してもエリア長以降全然承認がおりてこないのだ。早く通してくれるよう掛け合ってくれとエリア長に言っていたのにそのエリア長は私用で自分の近侍と飲みに行く始末。


(日々戦場に出させているのだから、福利厚生くらいはしっかりしてあげないとなぁ…。)


かといってリフォーム代が無い!なんて大声で喚いて皆を心配させたくない。特に光忠。あの子は近侍以上に色々サポートを任せてしまっているから、これ以上追い込ませたくはない。(といっても奴は炊事洗濯何をやらせてもそつなくこなしてしまうスパダリである)
ゆえに、自分は今『夜のお店』で働いているのであった。


「…今はこの仕事だけど、当時は嫌でねぇ〜。」

「そうなんですね。でも、今はそれを続けていらっしゃって、すごいです。」

「そう?」


得意気に話す常連客の話を聞きながら、店内の入口からふと賑わう声が聞こえてきた。
お客様の話をやんわりと流しながら、新しいお客様が来たのかと目だけをそちらに向けた。すると、滅多に姿を出さない黒服が入ってきたお客様の対応をしていて、なんとなく太客なのかと察した。と言っても入ったばかりの自分には関係ないだろうと目の前のお客様に視線を戻した瞬間。


「…っ!!」


視界の端に、黒服スーツだけどウチの黒服でもボーイでもない誰かを見付けた気がした。


(あ、あ、あ、あれーーーーーーー!?)


べりっと私の営業スマイル六割増しが一瞬だけ剥がれ落ちた気がした。いやいや嘘だろう。何かの見間違いだろう。きっとホストだ。あれは遊びにきたホストに違いない。と慌てて入口に背を向けるような座り方をした。
おかしい。今私、燭台切光忠にすっごいそっくりなホストを見たがした。ものすっごいそっくりな人。すらりと長い足に細い腰と広い肩。一ミリの乱れも許さない整った濡羽色の髪に蜂蜜色の瞳。


(いやあれ絶対光忠だよ!私の近侍の燭台切光忠だよ!)


背後で黒服に案内されてついてくる足音が近付いてくる。


「光忠くん!付き合ってくれるお礼にどんどん飲んでいいからね!」

「あ、…はい。」


苦笑交じりの聞き覚えのある声に出来るのならば今掛けているソファに突っ伏したかった。顔を埋める勢いで突っ伏したかった。おまけに随分陽気ではあるがエリア長の存在も確認できたのでもう否定する要素が何処にもない。政府がこんなところで酒を飲んでいいのだろうか。いや別に飲んでくれても構わないし個人の自由なのだが何故この時この瞬間この店を選んだのかと首を絞めてやりたい。


「新しい子入った?ドンドン回して!」

(エリア長ーーーーーーっ!!)


光忠をここに連れてくる以上に何をしでかそうと言うのだろうか、常連面したエリア長が黒服にそう告げている声が聞こえてたまらず顔を覆った。


「光忠くんも気に入った子がいれば!」

「……………はい…。」

(………………ん…?)


近付いた黒服とエリア長と光忠の足音がちょうど背後を通りかかった時、ふと、光忠の声の気配がこちらを向いた気がした。
そんな訳がないと思いながらも、その声の向きに私の背中からどっと汗が噴き出た。顔を覆っていた両手をそっと外す。なんだか光忠がこちらを向いている気がして、見てはいけないとわかっていても、顔がおそるおそるそちらへと向いてしまう。まさか、だって、本丸で過ごしているいつもの私とは想像がつかないくらいの格好をしているのだ。わかるわけがないし、こんなところに私がいると思うわけもない。そうだ、ただの勘違いに違いない。
油の足らないブリキおもちゃのように、ぎこちなくそちらへと目を向けると。


蜂蜜色の目が、迷いなく、真っ直ぐ、私を射抜いていた。


「……あっ…!すみません!お化粧直しに!」


もう失礼を承知で席を立ってしまった。お客様の顔色を窺いもせず席を離れ、ボーイに体調が悪いだの何だの一言いって自分を下げてもらおうとした。光忠がまだこちらをじっと見ている気配は感じていたが逃げずにはいられない。というかこれ以上奴の目にとまりたくない。


(まずいまずい今完全に目合った…!)


バッグを引っ掴んで先程出たばかりの待機室へ向かおうとした瞬間、ぐっと手首を捕まれて心臓が大きく鳴った。まさか、と思って振り返ると目の前には黒服スーツを着た男性が居たが、それは頭に浮かべた奴の姿ではなく店の黒服だった。


(び、びっくりした…。光忠かと思った。)

「何処いくの?」

「あ、えっと、すみません、ちょっとお化粧を直しに……。」

「…そう。なるべく早く戻ってね。指名入ったから。あっちの席に着いてもらえる?」

「え…?」


指名?入りたての私を指名してくれるお客様などまだそんなに居ないはずだが…、と黒服の目で指された席へと目を向けた。
そしてそこには、案の定、さも店に行き慣れた風に長い足を組み、にこりと微笑んだ光忠の姿があった。


「……………チェンジ!」

「できるのはお客様だから、キミじゃないから。」


若い男じゃない方は太客だから失礼のないようにね、と念を押され私は立ち尽くしてしまった。


(いやいやいやいやおかしいでしょう。なんで私指名してんのアイツ。いや逆の立場だったら私もするかもだけど。っていうか完全にバレてんじゃん!)


化粧室にも行けず、黒服に「行け」と背中をポンと叩かれてしまう。足が重石をつけたように動かくなってしまい顔も営業スマイル六割増など忘れてしまったかのように固まっている。それなのに私を待ち構えるように目を細める光忠は悠然としていて、それが逆にもっと足を重たくさせる。一方、その光忠を連れてきたエリア長の方は本指名の子を隣に座らせ「いい男が知り合いにいる」というステータスを見せつけていた。(どういう自慢がしたいのかサッパリだが)


「し……失礼、します…。」


背中にちくちくと刺さる黒服とボーイの視線に背中を押され、たっぷりと時間をかけてなんとか光忠の隣へと向かう。エリア長は指名のお姉さんに釘付けになっているのがなんとか幸いで、おそるおそる光忠の顔色を窺いながら(といってもひたすら笑顔なのだが)(怖い)腰を下ろそうとすると、自分の長い足に肘をついた光忠が口を開いた。


「遠くない?」

「ヒッ…」


無意識に人一人分ほど空けて座ろうとしたら光忠に手を取られた。


(ちょ、このお客様触ってくるんですけどっ!)


という心の叫びも空しく、優しく、しかし有無を言わさず手を引かれ光忠の真隣に腰を下ろすハメとなった。隣に座ればすぐに離れた手にほっとしたのもつかの間、「何してるの?ねぇ何しての?」という視線が黒服達の比じゃないレベルで私の体を突き刺してくる。さすが長船派の祖である。青銅の燭台だって切れるんだよ。


「で、何してるの?主。」

「…ど、どなたかと勘違い、してません、か…。」


野生動物が自分より強い相手を目の前にして視線を合わせないようにするそれと同じく光忠から顔をそらしまくっている私を奴は笑顔で追い掛けてくる。目だけを一瞬そちらへと向ければ蜂蜜色の瞳がぎらぎらと光っては私を見詰めていて、一見優しそうな笑顔を浮かべているものの心中はまったく穏やかではない光忠が見て取れる。


「ふぅん…、そういう事言うんだ。」

(怖いんですけど怖いんですけど怖いんですけど!!)


いつもは私が馬鹿しても呆れながらも最後はなんだかんだ優しく笑って許してくれる光忠が優しく笑っているのに絶対許さないというオーラを全開にしながら私の方にだけ向いている。いっそひと思いに怒鳴ってくれた方がすぐにすみませんでしたと謝れるのに変な抵抗と光忠の動向により何もかも切り出せない状況になってしまった。


「…ねぇ、お酒、作ってくれる?」

「…は…?あ、いや……はい…?」


光忠からの強い視線がふと柔らかくなった気配がしたと思えば、そんな事を言われた。思わず光忠の方へ振り返ってしまえばまたにこりと微笑まれて一瞬緩んだ背筋がまた針金を通したかのように伸びる。爆弾でも取るかのごとく光忠の前のグラスを手に取る。びくびく取ったわりには何も言ってこない光忠を警戒しながら、空のグラスにアイスを入れていく。アイスがいっぱいになったグラスをマドラーでかき混ぜ、グラスを冷やしたところでもう少しアイスを投入。酒を入れるところで私の手はふと止まった。


「……………………。」


光忠の目が何やら真剣に私の手元を見ていたからだ。私はボトルを胸の前で抱えながら、真顔の光忠におそるおそる尋ねる。


「えっと…、濃いめ…?」

「……ああ、おすすめで。」


声を掛ければハッとした表情をするも、すぐに笑みを浮かべ直した光忠だが、グラスにお酒を入れる短い間もまた真剣な目で一挙一動を見られていた。最後に水を入れ、マドラーで少し掻き混ぜた後、光忠の前へとお酒を置く。


「ど、どうぞ…?」


普段なら私が「どうぞ」と茶なりコーヒーをいれてもらっているのに、今はまったく逆の立場だ。こんなにも光忠の機嫌を窺ったのは初めてだ。そう光忠を見上げた時だ。彼の手袋をはめた手が私の注いだ酒のグラス、ではなく、私の手首を取った。


「手慣れてるね。どれくらいここでお酒注いだの?知らないオトコノヒトに。」

(このお客様触ってくるんですけど!超触ってくるんですけど!?)


二度目の心の叫びはもっと空しく、光忠は私の手首の筋をなぞるように指を動かす。ドレスに合わせた華奢なブレスレットに指が入る。


「いや、あ、あの…っ」

「素敵なブレスレットだね。キミの?…それとも、貰い物?」

「い、いいえ、み、店から、かり、借りて…!」

「……ふぅん、そう。…そのドレスも?」


ひゅう、と細まった瞳に啄木鳥のごとく首を振った。光忠の目が私の足元から頭のてっぺんまで絡み付く様に眺めているのがわかって、慌ててバッグで短い裾から出た太腿を隠した。


「そう。お店の借り物ね。随分、足の出るものを選んだね。」

「みっ…、」


自分のガタイをいいことに同席の人やボーイに見えないよう体をずらして、奴の手は手首と膝頭に触れてきた。するりと手を滑らす光忠に名前を叫びそうになったが、三日月を描くように細まった目が「いいの?」とばかりに問うてきて私は唇を噛んだ。こんな事をする彼を怒って赤面していいやら、普段触れてこない場所に触れられて赤面していいやら、睨むように光忠を見上げると彼はその目に満足そうに深い溜息をついた。


「何の理由があってこんな事をしているか今は聞かないけど、」


彼は確かに怒っているのに、それと同時にこの状況を楽しんでいた。店の賑わいに紛れて、奴の唇がそっと耳に寄せられた。


「…僕はキミの近侍なんだろう?キミこそ、僕を置いて一人で判断するな。」

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