Keep it down

最初は外で猫が鳴いているのかと思った。
しかしここはホテルの十七階だ。例え猫が縄張り争いで唸っていたとしても、ここまで届くわけがない。そもそもここは遅くまで研修に参加した審神者へ、政府が手配した都内のビジネスホテル。猫が入り込む隙間などないはずだ。
審神者は一体何の音だろうと、本日配布された研修資料から顔を上げ、ベッドの上から辺りを見渡す。しかしそれらしい音は見当たらず、やがてガタガタと物を揺らす音も混じって審神者はますます何の音だと眉根を寄せる。
音は隣の部屋からだと気付き、猫か、赤ん坊が鳴いているのかと思ったが、確か隣も同じ研修を受けた審神者と近侍の誰かだったはずだ。
研修内容の確認よりも音の正体が気になり、審神者は耳を澄ましたが、次の瞬間、音は叩きつけるような激しい音と共に女性の声が入り混じり、やっと音の正体に気付いた審神者は息を呑んだ。
(まさか…………)
気付くまでが遅かったのか、そもそも行程の終盤だったのか、音は審神者が正体に気付いたと同時に緩やかになり、やがて止んだ。
「………………」
室内は静けさを取り戻したが、それまでその音を聞かされた審神者の心臓はばくばくと胸を叩いていた。まさか隣の部屋から男女の行為を聞くとは思わなかった驚きと、暴れているような激しく大きな物音に恐怖が混じり、純粋に怖さで胸がどきどきする。
(び、びっくりした…………、え……、あ、あの音って、あんなに響くものなの……?)
審神者とて覚えがないわけではない音だったが、はたしてあれはあんなに激しい物音をさせるものだろうなのか。確かに、時に嵐に会ったような激しさを覚えたが、自分の相手はもっと……。
「主……?」
「ひ、髭切…………」
大きな物音にすっかり怯えてしまった審神者がベッドの上で縮こまっていると、シャワーを浴び終えた髭切が審神者と同じホテルのルームウェア姿で出てきた。研修の護衛に連れてきた髭切は、眉を八の字に下げて今にも泣きそうな審神者の顔を見るなり側に歩み寄り、その隣に腰掛けた。ベッドが髭切の重みで沈み、審神者の肩が髭切に触れる。
「何かあったのかい」
「……う、ううん……、な、何も無い、んだけど……」
とても隣の部屋から聞こえた情事の音に驚いて怖くなってしまったとは言えない。
「だけど……?」
「う……、あ、あの、どっかから大きな音が聞こえて……、びっくりして……」
何の音だとは言えなかったが、審神者がそう言えば、髭切は瞬きを一つしたあと、隣の部屋に目を向けた。
「ああ……。隣、すごい音だったね」
「えっ、ひ、髭切も、聞こえた……!?」
「そりゃ、あれだけ激しければ」
何となしに答える髭切に審神者は目を丸くさせる。音の最中、髭切はシャワーを浴びていたから気付いていないと思っていたが、流石刀剣男士といえばいいのか、髭切も同じ音をちゃんと聞いていたようだった。となれば、変に隠す必要もなく、審神者は大きく溜息をつき、髭切の肩に寄りかかった。
「あ……も、もう、最初何の音かわからなくて……、外で猫が鳴いてるのかと……」
「ははっ、確かに猫に聞こえなくもないね」
「ガタガタ音がしてやっと気付いたよ……。こ、怖かったぁ……」
「そう……」
行為中の音とはあんなに響くものなのか。夜中に起きた幼子が両親のその音を聞いてトラウマになった、なんて聞いたことがあるが、今ならその気持ちが痛いほどわかった。未だどきどきと鳴る胸を抑えて息をつくと、反対側の手を髭切がそっと握った。男の大きな手が、審神者の手を優しく包み込む。
「……怖くなっちゃった?」
濡れた象牙色の髪から、柔らかく細められた梔子色の瞳がこちらを覗き込んできた。優しく見詰められているというのに、その瞳の奥に危うい光が帯びているのを審神者は見逃さなかった。
「こ、怖くなった、というか……、あ、あんな激しい音がするなんて……」
固く握った審神者の手を髭切の指が優しく解していく。やがて長い指が審神者の指の隙間に絡み、きゅっと握り込められてしまった。大きな物音に怯えた心が、その手に縋り付きたそうに震えた。その先にあるのは、怯えた音と同じものなのに。
「わ、私達も、あんな音、させてるのかな…………」
「うーん、僕としてはそんなつもりはないんだけど……。どう思う?」
「えぇ……? わ、わかんない……、だって、そ、そんな気にしてる余裕なんて……」
髭切に触れられると前後も定かではない。何を言わせられているのやら、頬を赤くさせて言えば、素直な返答がおかしかったのか、髭切はふふっと小さく笑っては額を擦り合わせるようにして顔を近付けた。
「……そっか。でも大丈夫だよ。君はいつも可愛いから」
睫毛がぶつかりそうなほど近くに髭切の顔がある。恥ずかしくなって視線を下げれば、柔らかく笑みを浮かべる唇があって、もうどこに目を向ければいいのかわからなくなってしまった。
「か、かわいいって……なにそれ……」
何が大丈夫なのかさっぱりわからない。答えにもなってないじゃないか。口付けしたそうに近付く唇から、お気持ち程度の抵抗を示すために逃げるよう顎を引けば、髭切が傍らに手を付き、距離を詰めてきた。迫りくる形の良い唇が、自分の唇を狙って追い掛けてくる。それだけで頭が沸騰しそうだった。視界が髭切で埋め尽くされ、周りが見えなくなる。
「じゃぁ、確かめてみるかい」
でも、ああ、そういうものなのかもしれない。
なりふり構っていられないからこそ、周りも気にならなくなる。それは誰もが止められることではなくて、止めるのも無粋な話で。
でも、でも髭切は……。
「気になるならこうして抑えてつけて、口を塞いであげる」
気が付けば、体はゆっくりと押し倒され、柔らかいベッドに包まれた。いや、それ以上に髭切が気を付けて審神者の体を押し倒してくれるのがわかった。審神者の細い手首を慎重に取ってベッドに沈める手つきは優しくて、まるで自分が壊れやすい砂糖菓子か何かになった気分にさせられる。とても、これからあんな激しい物音を立てる行為をするとは思えない。
「まぁ、君の声なんて僕以外に聞かせてやるつもりは毛ほどもないから、ずっと塞ぐことになるけど。いいよね」
乱暴な言葉とは裏腹に、審神者に触れる手と唇は、うんざりするほど穏やかで優しくて、心地良い。
蕩けるように重なった唇に、審神者はそっと目を閉じて、身を任せた。

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