春霞

雪が、降っているのかと思った。柔らかな風に目を覚ませば、視界を覆い尽くすほどの白い花びらが吹いていたから。
(ここ……、どこ……?)
しかし凍えるほど寒いわけではなく、踏み締める茶色い土もあたたかな日差しを浴びてふっくらと柔らかい。見上げた空は青く澄んでいたが、雪と見間違えるほど満開に咲く梅の木が視界を覆う。はて、とても美しいところだが、ここは一体どこだと見渡す。が、また風が吹き、白く丸い花びらが審神者の目の前を遮ってしまう。
確か、さっきまでここではないどこかにいたはず。本丸の広間か、執務室か、どこか。詳しくは思い出せないが、本丸の山を散策していたわけではないのは間違いない。それなのに、どうしてこんな梅の木だらけの場所にいるのか。疑問は尽きないが、ふわりと吹く風が梅の優しい香りを運んで心を和ませてしまう。いつかはここを出なくてはいけないのだろうが、もうしばらくこの美しい景色を楽しんでからでもいい。そんな気にさせるような、見事な場所だった。
「――やや、こんなところにいた」
服が汚れるのも厭わず、ふかふかの土に腰を下ろして梅の空を見上げていると、どこからか髭切が姿を現した。うららかな春の日差しで染めたような髪に、微笑みを湛えた穏やかな表情、白練の軽装に羽織を合わせたその姿で満開の梅の中から出てくると、一瞬梅の精かと勘違いしてしまいそうになる。
「探したよ。一体どこに飛んで行ってしまったのかと思えば、こんなところにいたなんて」
髭切は見付けた審神者の元に歩み寄り、その横に腰を下ろした。
「もっと上のほうへ行けば櫓があって、景色を一望できるよ。行く?」
てっきり、本丸を離れたことをちくりと言われるのかと思ったが、髭切はここより見晴らしのいい場所に審神者を誘った。怒られないことを不思議に思いつつも、まあ、これだけ景色のいいところなのだから髭切も咎めないのだろう、なんてぼんやり思った。
「でも、ここも十分見事だよ」
「そう。気に入ってくれて嬉しいよ」
「……? ここ、髭切の知ってる場所? 髭切が連れてきてくれたの?」
ここにくるまでの記憶があやふやだ。知っているような、知らないような。でも何か知ったふうな口の髭切に首を傾げると、優しく目を細められた。
「さあ? 君がそう思うのなら、そうなんじゃないかな」
「…………」
答えてくれたような、くれていないような。悪戯な春風に吹かれたような口振りに少しだけ不満げにすれば、髭切が羽織を脱ぎ、審神者の肩に掛けた。
「寒くはないかい」
「大丈夫、ちょうどいいくらい」
「そう。でもこれは羽織っておいで。体を冷やすと『覚めて』しまうからね」
「……?」
体を冷やすと、『冷めて』しまうのは当たり前だろう。変な言い回しをする髭切に、審神者は羽織を返しそびれてしまう。寒くないのに、と思いつつ、髭切の気遣いが嬉しい。ぎゅっと前を合わせるように羽織を引っ張ると、それだけで審神者の擽ったい気持ちを察した髭切が顔を覗き込んできた。
「可愛い。照れている顔だ」
「やだ、見ないで。照れてないし」
「嘘、嬉しくて照れてる。可愛いからもっと見せて」
「やだ……、ん…………」
目を合わせようとしてくる髭切から顔を隠すように腕を交差させたが、やんわりと解かれ、恐ろしく綺麗な顔が近付いた。思わず目を瞑れば、優しく唇が触れる。震える睫毛を持ち上げて髭切を見れば、審神者が可愛くて仕方ないと語る凛々しくも甘い梔子色の目に見詰められ、再度唇が重なり合った。ちゅ、ちゅ、と音を立て、優しく小突くような口付けが繰り返され、腰を抱かれる。無理やりではないのに、力強い腕。ぐっと引き寄せられた体に、男の手が意味ありげに這い、審神者は小さく震えた。
「髭切……駄目だよ……」
「うん? 何が駄目?」
「こ、こんなところで……」
「いいじゃないか。こんなところ、だからだよ」
趣がある、とばかりに髭切の唇が審神者の細い首筋を擽る。同時に髭切のふわふわとした髪の毛も触れ、髭切の全身で遊ばれているようで悔しい。悔しいのに、嬉しい。口では駄目といいつつ、構わず触れてくる手に体は喜んでいて、どうかそんな恥ずかしい気持ちに気付かないでくれと願うのに、見詰める双眸は全て見透かしているようで。
「大丈夫。ここには君と僕しかいない。恥ずかしがらないで、こんなところくらい、僕に全部任せてごらん」
「あっ…………」
柔らかな膨らみを、髭切の大きな手が覆った。


(――…………なんつー夢を)
目を開けたら見慣れた本丸の中庭が見えて、審神者は私室の畳の上で恥じるように再度目を瞑った。
(……夢で良かった。なんか……、すごい乱れてしまった気が…………結局最後までしちゃったし…………)
枕代わりに使っていた座布団に顔を埋め、審神者は溜息を吐く。執務中に少しだけ一休みしようと横になったのが駄目だったのか、良かったのか、変な夢を見てしまった。
(いやいや、良かないよ。怠惰よ、怠惰)
なんて破廉恥な夢を見てしまったのか。こんな恥ずかしい夢を見てしまうのならしばらく昼寝は控えるかと審神者が体を起こすと、肩からぬくもりが滑り落ちた。心地よい重みが腰にある。なんだろうかと見下ろせば、男物の羽織が審神者に掛けられていた。
(これは、髭切の…………)
夢でも見た、髭切の羽織だ。
でも確か、寝入ったときには掛けていなかった。もしや、昼寝している審神者を見付けて掛けてくれたのだろうか。
(お、起こしてくれれば良かったのに……)
執務中に昼寝をしている姿を見られてしまった気まずさと恥ずかしさ、そして羽織をかけてくれた優しさに頬が赤くなる。もしやあんな夢を見てしまったのは、この羽織のせいだろうか。手に取れば髭切の香りがして、品のいい香りに引き寄せられた審神者は羽織を抱き寄せる。
「おや、もう目を覚ましてしまったのかい」
「ひっ、ひげきり……っ」
羽織に埋めかけた顔を引き離し、審神者は背を正す。
「あ、あの、こ、これは……っ、その、決してサボってたわけでは……!」
「うん。珍しくお昼寝してたね。もう少し寝てても良かったんだよ」
「い、いや…………、もう、十分です……すみません……」
「そう?」
「う、うん……。なんか…………、贅沢な夢見ちゃったし…………」
夢の中でもそうであったが、髭切は審神者が昼寝していても咎めない。その優しさのせいか、随分と大胆で贅沢な夢を見てしまった。そう、贅沢。破廉恥で淫らでとても口には出せないが、美しい景色の中で髭切と一緒で、髭切の優しさに触れ、独り占めできたと思うと、贅沢な夢だった気がする。口には出せないが。
「贅沢……………………」
思わずぽろりとついた単語を髭切が繰り返した。
ぱちりと瞬いた梔子色の目は審神者の言葉に不思議そうにしていて、審神者は何を言っているのだとハッとして立ち上がる。
「やっ、やっぱり、よく覚えてないや! お水飲んでくる!」
これありがとね! と髭切の羽織を返し、審神者は赤い頬を両手で抑えて私室を飛び出す。ぱたぱたと音をさせ、足早に去っていく小さな背中を見送りながら髭切がひとり零す。
「贅沢な夢、か……」
そして受け取った羽織を見下ろし、小さくくすりと笑った。
「あれで贅沢なのかぁ」
羽織には、審神者の香りが微かに移っていた。その甘やかな温もりに髭切は目を細め、確かに贅沢かもしれないと、羽織に頬ずりをした。

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