身支度のお手伝い

髭切と膝丸の部屋に繋がる廊下を審神者は歩いていた。
政府本部から数十分後に控えた出陣先の追加資料が届いたので、部隊長である髭切に渡しに行こうとしていたのだ。見送り時に資料を手渡しても良かったが、こういうのはなるべく早めに渡したほうがいいだろうと向かえば、髭切達の部屋の戸は左右に開かれていた。
「髭切、いる? 本部から追加資料が……」
良かった、運良く髭切か膝丸がいるかもしれないと審神者は開けっ放しの部屋を覗いたが、そこにいた髭切の姿にはっと息を飲み、ぐるりと踵を返した。
「ご、ごめん……っ」
「おや、主だ」
何がおや、だ。足音で誰かが通るくらいわかっただろうに、照れも隠しもせず、上半身裸のまま着替え続ける髭切に審神者は背を向け、手にした資料で口元を覆い、飲んだ息をゆるゆると吐いた。
「……き、着替えてる時くらい部屋の戸、閉めなよ……」
「うん……? ああ、ごめんごめん。誰も来ないと思って」
するすると衣擦れの音がやけに耳につく。
次いでカチャカチャとベルトを通す音がして、髭切がスラックスを履いたのがわかった。内番着から戦闘服へ、審神者が部屋を覗いた先に見てしまったのは、髭切が着替えている姿だった。
「も、もう平気?」
「うん。大丈夫」
慌てて背を向けたものの、ばっちり見てしまった髭切の着替え姿が瞼裏にちらつく。ズボン履き替えてるとこ見ちゃった……と申し訳なく思いつつ、咳払いを一つして振り返れば、髭切はシャツを羽織ろうとしていた。
「う、上、着てないじゃん……」
「今から着るよ」
全然平気じゃなかった、と思いつつ、まあ下着一枚の姿よりはいいかと審神者は溜息をついて髭切を見詰める。すると、視線に気付いた髭切が面白そうに眉を上げた。
「なぁに、熱心に見て」
エッチ、なんて軽口を叩きつつシャツに腕を通した髭切に審神者が「あのね……」と肩を落とす。すると、前を開いたままの髭切が目を細めながら歩み寄った。
「そんな照れなくても。初めて見るわけじゃあるまいし」
「照れてません、呆れてるの」
「ありゃ」
「ほら、前留めて。あと追加資料もらったから目を通して」
「はぁい」
審神者のはきはきとした声に、髭切が間延びした返事で応える。追加資料を受け取った髭切はその場で目を通し始めたが、釦を留めるのを待ってから渡せば良かったと、開きっ放しの胸に審神者は顔を顰める。すると、梔子色の両目がちらりと審神者を見下ろした。
「主。前、留めてくれる?」
「は……」
「ほら、片手じゃボタン留められないし」
「資料持ちますけど」
「読んでる途中だからダメ」
「………………」
そんな事を言うのなら資料を返せと手を伸ばせば、ひょいと腕を持ち上げられた。意地悪そうに、楽しそうに見下ろす髭切を冷めた目で見詰めれば、資料を取り返そうとした手を取られ、審神者の手が胸に押し付けられた。
「ボタン、留めて?」
「……っ」
中性的な、どちらかと言えば甘い顔立ちをしているくせに、審神者の手を握る長い指や、耳元で聞く低い声、押し付けられる厚い胸板は鍛えられた男性のそれだった。妙に甘ったるく、艶っぽく向けられたそれを受け、審神者は否応なしに頬が赤くなるのを感じた。
「あ、頬が赤くなった」
髭切の悪戯にまんまと引っ掛かり、これまた髭切が喜ぶような反応を見せてしまったのが悔しくて咄嗟に押し返そうとしたが、資料を持った腕が審神者の肩を抱いた。
「髭切……っ」
「主、早くボタン留めないと弟が迎えに来ちゃうよ」
知らんがな! そう声を上げたくても、細められた梔子色の両目は離さない、逃がさない、と語っており、審神者は髭切の腕の中で「う、うう……」と、か細く唸ることしかできなかった。釦を留めるには近過ぎる、むしろやりにくいくらいの近さだったが、審神者は恥ずかしさと悔しさにぷるぷると手を震わせながら、釦を留めていった。
「くぅ……っ」
「……へえ、敵部隊が最初の報告より増えているね。この資料を見るとまだまだ数は増えそうだし、念のために強化したメンバーで編成を組んだのは正解だったね。さすが――僕の主だ」
「耳元で! 囁かない……ッ!」
「ふふ、耳が真っ赤だ」
「笑わないッ!」
くすくすと笑う吐息が耳を掠める。
今すぐにでも振り払って逃げたいのに、肩に回った手ががっしりと審神者を掴んでいる。最早釦を留め終わるまで逃げる術はないと審神者はせっせと手を動かし、最後まで留め終わった頃だ。
「兄者、そろそろ集合場所に来てくれ。皆が揃っている」
「遅い! 遅いよ膝丸!」
部屋の外から膝丸の声がし、登場するにはやや遅いタイミングに審神者は一鳴きした。助けてくれるならもっと早く来てくれ! とやや八つ当たりに近い気持ちで声を上げれば、審神者に気付いた膝丸がやれやれと腰に手を当てた。
「……なんだ、兄者はまた主をからかっていたのか。あまり過ぎると、また口をきいてくれなくなるぞ」
「ふふ、だって可愛いだもん」
「可愛くない! はやく、離れてよぉ!」
可愛い反応などした覚えはない。釦は留め終えたのだから離れてくれと胸を押し返せば、髭切はやっと審神者から腕を離し、シャツをスラックスの中に入れてベルトを締めた。
そして最後に、壁にかけた白いジャケットを手に取り、翻す。
「さ、主。最後だよ」
「はい……?」
やっと開放されたと項垂れる審神者の前に再度髭切が立つ。そして肩に羽織ったジャケットの両胸に下がる紐を持ち、首を傾げる。ここまでくると、何が最後なのかと問わずとも察せられる。審神者は我儘を重ねる髭切に口を尖らせつつも、細い指で紐をきゅっと結ぶ。
先程顔を出したばかりの膝丸は、用は済んだとばかりにすたすたとその場を去っていた。皆が揃う集合場所へと向かう膝丸の後ろ姿を確認すれば、髭切はにこにこと審神者を待っていた。
ジャケットの紐を結ぶのが最後じゃなかったのか、という不満を飲み込み、審神者は嬉しそうに睫毛を伏せた髭切へと背伸びをした。



出立時刻ぎりぎりになって部隊長の髭切が顔を出した。
その後ろにはやや疲れた顔の審神者がいたが、膝丸は気付かないふりをして隣に立つ髭切に小声で話した。
「いつまで経っても内番着から着替えないと思ったら」
そう横目で見れば、髭切も目だけをこちらに向けて小さく笑った。
「だって身支度のお手伝い、してもらいたかったから」
「もっと自然に強請ったらどうだ」
「それじゃあ……、つまらないだろう?」
「………………」
わざとらしく考えた素振りを見せたあと、楽しそうに目を細めた髭切に膝丸はきゅっと口を閉じる。そして、任務が終わったあと、主に詫びの土産を買って帰ろうと、こっそり決めたのであった。

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