いってらっしゃいのチュウ

甘い綿菓子のような表情を浮かべる顔が、今日は不満を絵に描いたようにむっつりしている。審神者は出陣する刀剣男士達を見送るために庭先まで出ていたが、その部隊長のご機嫌がすこぶる悪いのをひしひしと感じていた。
「なんだ、兄者はやけに機嫌が悪いな」
ふたりのぎこちない空気を察した膝丸が、審神者を肘で小突く。むっと口端を下げた兄と居心地悪そうにする審神者を見比べれば、どちらに声をかけたほうがいいのかは一目瞭然で、膝丸は何があったと審神者へ小首を傾げた。
「いやあ……その……」
審神者はぷいっと顔をそらす髭切を見ながら、耳打ちしやすいよう体を傾けてくれた膝丸にこっそりと話した。
「髭切が、いってらっしゃいのチュウが欲しいって…………」
言えば、それを聞いた膝丸がやや眉根を寄せてから、なんだそんなことかと溜息をついた。
「いってらっしゃいのチュウくらい、してやればいいだろう。減るものでもあるまいし」
「減るよ!」
「何が」
「何かが!」
「今更俺達は気にしない。チュウの一つや二つ、さっさと済ませてこい」
「一つや、二つ!?」
「ほら、背を向けているから、一思いにしてきなさい」
「ちょ、いや……っ!」
呆れたように肩を落とした膝丸が、審神者の背中をぐいと強く押し出す。振り返ると、その後ろに並ぶ部隊の皆もうんうんと頷いており、どうやらこの場に審神者の味方はいないようだった。
「っ!」
チュウを済ますまで戻ってくるなと皆から送り出された審神者は、よろけつつ髭切の前に立った。
審神者はつんと顎をそらした髭切にたじろぐが、第一部隊の皆は、不安要素はさっさと拭いたいとばかりにそれを見守っていた。というのも、あの状態の髭切は戦闘になると「僕は今とても機嫌が悪いです、主のせいで」としっかり太刀筋に表れる……いや『表す』のを知っているので、見ていてとても不安にさせられるのだ。
おそらく部隊の皆を信頼しての荒れようなのかもしれないが、正直信頼は別の形で表して欲しいと思うほどの暴れっぷりで、ゆえにチュウ一つでそれが無くなると思えば、何を躊躇うことがあるのかと最早事務的に生贄……いや、審神者を差し出してしまうのであった。
「ひ、髭切…………」
「…………なに」
審神者が名前を呼べば、髭切はちらと見て返事をした。低く短い返事に審神者の心は早速めげそうで、助けを求めるように振り返るが、膝丸を筆頭に皆から「気持ちで負けるな!攻めろ!」と拳を突き出され、くるりと背を向けられてしまった。
見捨てられた!と審神者はショックを受けるが、確かにこちらからなんとかしないと髭切の機嫌は直りそうにもない。
「いってらっしゃいのチュウなんだけど……」
まさか昨夜見た海外ドラマのワンシーンがこんなにも髭切に刺さるとは思わなかった。「僕もあれやって欲しい」と言われた時は冗談かと思って軽く笑って流したので、今朝「あれやって」と迫られ、何の話だと思ったくらいだ。最初はいつも通りからかわれているだけかと拒んでいたのだが、何度
かしつこく言われてつい「やらない!」と強く返してしまえばこれだ。声を上げた時にしまったと思ったが、時すでに遅し。髭切の口端はぐっと真一文字に引き結ばれてしまった。
「してくれないんでしょ。別にいいよ。嫌々やってもらっても意味ないし」
「…………」
ツンツンとした言い方が審神者に突き刺さる。これでは部隊長どころか部隊の士気に関わる。審神者が士気を下げてしまうなんて以ての外だ。
ぷくりと頬を膨らませる髭切に普段は頼りになる部隊長なのに、どうしてここまで拗れてしまったのかと頭を悩ませつつ、審神者は「ええい、ままよ!」と覚悟を決めて髭切の腕を取った。
「!」
髭切の驚いたような声を唇で塞ぐ。
ぷちゅ、とぶつけた唇に髭切は目を丸くさせ、審神者はそっと顔を離してからその目を小さく睨んだ。
「……はい、いってらっしゃいのチュウ」
したよ。これで満足か。
と、見上げると、髭切は瞬きを数回繰り返したあと……。
「ひ……、んっ!」
審神者の腰を抱き寄せ、攫うようにして唇を重ねた。
「は……っ、ん、んぅ……」
しかも一度や飽き足らず、二度、三度と唇を食むようにして、ぎゅうぎゅうときつく審神者を抱き締める。
「んーっ!」
いい加減にしろ!と髭切の胸を叩いてやっと唇が離れたが、腰はまだ抱かれたままだった。どういうつもりだ、と見上げれば、憎たらしいくらいにっこりと笑う髭切がいて、その笑顔は実に満足げなものだった。
「ふふ、いいね。君からのチュウ。今ならなんでもできそうだ」
「…………さようですか…………」
こちらは口付けで気力が奪われたか、逆にしばらく何もしたくない。髭切の腕の中でぐったりと凭れると、額にちゅっと唇があてられた。
「チュウは終わったか」
「うん、終わったよ」
すると、背後からやれやれといった顔で膝丸達が待っていた。先程のやりとりを全て把握されていたのかと思うと顔が上げられないが、髭切はそんな審神者の反応も嬉しそうにしていた。
「いやいや、皆助かったよ。おかげでいいものが見れた。主、帰ったら続きをしようね」
「…………うん?」
「おかえりのチュウ、楽しみだなあ」
「待って、今皆のおかげでって……」
「兄者、おかえりのチュウは誉れを取ればいいのでは」
「なるほど、それはいい考えだ」
「しかし、誉れの判断は主だ。そこまで手助けはできないぞ」
「手助け……」
「もちろん!お膳立てされた誉れを頂いても意味が無いからね。誉れの一つや二つ、自分で取りにいくさ」
「お膳……、ちょ、ちょちょ、髭切……!」
何だか不正を聞いた気がした。ご機嫌な足取りで部隊へ戻っていく髭切を審神者は引き止める。よくよく見ればこちらを見る部隊の皆から、何やら同情的な視線を送られているようにも思えなくない。つまり審神者が覚悟を決めて行った、いってらっしゃいのチュウは……。
「それじゃあ、行ってくるよ」
髭切! と審神者の上げた声は、髭切のいってきますのチュウで塞がれるのであった。

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