壁外での約束
女型の巨人の残骸とそれに群がりむしゃぶりつく巨人の蒸気で視界は悪かった。
しかしエルヴィンより撤退命令が出た今、その蒸気は巨人からの眼隠しとなってちょうど良かった。…といっても、目の前の巨人達は女型の残骸に夢中のようだが。
なまえは自分の馬とエルヴィンの馬を呼び寄せ、その光景を注視しながらも鞍に手を置くと、自分の背後からワイヤの伸びる音がした。その重心移動からによる、歪みのない綺麗な伸びの音に振り返ると、思った通り、上から降りてきたリヴァイがなまえの名前を呼んでいた。
「兵長、如何なさいました?」
「刃とガスの補充をしたい。」
駆け寄ると、女型の巨人を死守するために何体もの巨人を倒したはずなのに平素と変わらぬリヴァイが短く言った。この後は撤退では、と考えるより先にリヴァイの目がそれを口にするのを制した。なまえは開きかけた口を結んで頷き、兵に予備のガスと刃の準備を命じた。
「エレン達のところに戻るのでは?」
「ああ、戻る。」
だから、刃とガスの補充をする。というリヴァイになまえは声を潜めた。
「…私も一緒ですか?」
「いや、お前は引き続きエルヴィンの元にいろ。」
「しかし、」
「エルヴィンの『命令』だ。」
「……了解。」
言いたいのを呑み込んだ、というところだろうか。リヴァイを見詰めるなまえの顔には、不満、不安、心配、そして懇願の感情がみて取れる。いや、ここは何も言わない、言えないからこそ、それで伝えようとしているのだろう。
「エルヴィンを頼む。」
「…はい。」
伸ばした指先に心配するな、の意を込めなまえの頬を擽るように撫でる。その手になまえは静かに目を閉じ、白い手を重ねて擦り寄せた。触れ合ったそこから、自分の身を案じる彼女の感情が流れてくるようでリヴァイは長くそこに触れようとはしなかった。
すぐに離れたリヴァイの指先をなまえは引き止めはしなかった。その代わり、離れる間際に心の内を晒すように、名残惜しげに指先を絡めた。細い指先がリヴァイの固い指先に絡んで離れ、リヴァイの指先に妙な甘さが残る。
「御武運を。」
「必ず戻る。」
ありふれた言葉も口付けも、今の二人には必要なかった。二人には交わすべく言葉も、重ねるべき口付けも壁内に置いてきている。―全てはまた、壁の中で。
という、1年や2年の短い付き合いではないからこそ入りにくい二人の空気に、予備のガスと刃を持ってきた兵が馬の影で溜息をついているのを、ハンジは苦笑して見ていた。
壁外での約束