軍師殿にご注意を(1/2)



最近、陸遜が帽子を被らない。
栗色の細い前髪をかき上げ、それを帽子で抑え、額を出し、そこから若い双眸を輝かせていた陸遜に、帽子は彼のトレードマークだとなまえは思っていた。毎度衣装に合わせたデザインで装飾や形を変え、髪から清々しく耳が出ている姿は老若男女問わず好ましいといえるだろう。
かと言って、今の陸遜が帽子を被ってないから清々しくなく好ましくないと言っているわけではなく。むしろ彼の優しい顔立ちから溢れんばかりの爽やかさはちっとも損なわれていない。帽子を被らなくなった陸遜は額に前髪を流し、抑えるものがないせいか耳も少し隠れてしまい、見上げる角度ではたまにどちらかの瞳も見えなくなってしまうというのに関わらず、彼の第一印象、『好青年』は揺ぎ無いものだった。
栗色の髪は陽にあたるときらきらと輝くし、前髪から覗く優しい眼差しは笑うと少し幼く見えて愛らしい。陸遜が自分に微笑んでくれるたび、なまえは帽子などなくとも陸遜は陸遜だと、再認識する。だから帽子を被っている陸遜が変とか似合わないとかそういうことをいいたいのではなく。


(む、むしろかっこよぎるくらい…。)


陸遜邸の庭に面する廂の欄干に手をつくなまえは、脳裏に浮かぶ最近の陸遜に溜息とまではいかない息を吐いた。


(ただでさえかっこいいのに、前髪なんて垂らしたら更にかっこよくなるに決まってる…。)


もちろん、帽子を被った陸遜だってその整った、いや整いすぎてた顔立ちに城の女官や姫達に人気だったのだ。最近の陸遜はその人気に更に拍車を加えたような気がする。
そもそも、何故陸遜は今まで毎日被っていた帽子を止めたのだろう。冒頭で記した通り、帽子がないことにより悪い気などまったくないのだが、やはり少し気になる。真面目な彼からすれば、結構思い切った髪型だとは思うのだが。


「何を一人でぶつぶつ言ってるのですか?」

「へ…、あっ、わ、りくそん…!」


耳の後ろから柔らかい声が全身に透き通り、その低くはないが決して高すぎでもない優しい声の持ち主がいきなり現れたことになまえは大きく肩を揺らした。


「すみません、驚かせてしまいましたか?声は何度かかけたのですが…」

「う、ううん、大丈夫。というか…気付かなくてごめんなさい…。」

「いいえ、何か考え事をしていたみたいですから…、邪魔してしまいましたか?」

「そ、そんなこと…!」


むしろ考え事は目の前の彼、陸遜だとは流石に言えず、なまえはさした髪飾りが頭にあたる程に首を横に振り、その姿に陸遜は微笑んだ。その笑みについ見惚れてしまいそうになるなまえだが、今の今まで聞き流してしまった彼の言葉遣いに、完全に流されてしまわぬ前にむっと頬を膨らます。


「陸遜。」

「はい?」

「敬語。」

「あ…。」

「もう、前から普通に話してって言ってるのに…。」


彼にこうして敬語で話すなと拗ねるのは何度目だろうか。敬語で話すな、とはまた変な感じだが、なまえと陸遜の歳はそう変わらない。孫家の姫、尚香や、孫策、周瑜の嫁、大喬小喬にはくだけた言葉で話すことが許されている、むしろ求められているのに陸遜とは敬語だなんておかしな話だ。それに他人ならともかく、こうして陸家にお世話になっている以上、なまえが陸遜に敬語を使うのはわかるが陸遜がなまえに敬語を使うのは何だか居心地が悪い。


「…ごめん、どうもクセが抜けきらなくて…。」


そう微苦笑する陸遜に、怒っているわけでもないなまえはすぐに頬をしぼませる。
陸遜の境遇を思えば、敬語が抜けきらないというのもわからなくもないのだ。呉の四姓と呼ばれる豪族、陸家の若き当主、陸遜。歳も経験も浅い彼は乱世に飲まれ陸家の当主にならざらるを得なかった。城には歳若い彼を認めぬ声が絶えない、それでも彼は立派に陸家を守っていた。それはひとえに彼の努力と非の打ちどころのない性格ゆえだろう。周瑜に認められた才は寝ずに勉学と仕事に勤しんだため、非の打ちどころがない性格は陸家を守るため。
左右見渡しても自分より歳の低いものなどおらず、大人に囲まれている陸遜に敬語が染みついてしまうのも無理はない。しかも陸家当主として育てられたゆえ礼儀作法も幼い頃から教育されているし、彼の元の性格が思慮深いから尚更だ。


(だから…、)


だからこそ、なまえはせめて自分の前だけでも陸遜が敬語を使わない事を望んでいた。自分が陸遜を癒せる存在でありたいと大それたことは言わない、せめて、肩の力を抜いてもいいと思える存在でありたい。張り詰めた肩を、少しでもいいから解せる相手でありたい。


「では、改めて。」

「うん?」

「私の声が聞こえなくなるほど、何を考えていたの?」


微苦笑を湛えていた陸遜がふわりと笑ったのを仰ぐと、彼はぐいっとなまえの顔にその綺麗な顔を寄せた。いきなり寄ってきた陸遜になまえはただでさえ陸遜が微笑んだことに心臓を静かに高鳴らせていたのに、それが口から出そうになった。しかも逃がさないとばかりに欄干に両手を置かれてしまって、抱き締められてはいないものの、閉じ込められている。これが戦場ならば、陸遜の口から「隙だらけですよ」とでも聞えてきそうだ。


「り、りり、りくそん…!」

「何を考えていたの?私には言えないこと?」

「い、言えないことでは、ない、けどっ」


考えていた過程を、似合うかっこいい諸々全て言ってしまうのは恥ずかしい。そこで何故帽子を脱いだの?とだけ聞ければいいものの、この陸伯言からそれだけ取り上げて言うことは難しい。聞きだすのが上手なのか、それともなまえが陸遜に弱いのが悪いのか、いつも恥ずかしくて秘めていたこともいつの間にか陸遜にままよと発言している。だから陸遜に聞かれてはマズイ話は最初から話さぬように心がけているのだが、どうも彼には隠し事などできたためしがない。


「では、言って?」

「あ…え、えっと…」

「うん。」

「あ、ぼ、帽子…!」

「帽子?」

「そ、そう!帽子!陸遜、最近帽子しないの、なんでかなって…!」

「ああ…」


栗色の髪と同色の瞳が迫って、もう隙間など無くなってしまうところでなまえは我慢しきれずに口を割ってしまった。ここでなまえが言わずに黙っても、そして言ったとしても、陸遜にとって美味しい状況だったということに残念ながらなまえは気付けなかった。


「やっぱり、だらしない…かな。」


なまえから聞き出したことに陸遜は欄干から手を離し、以前帽子でそうしていたように前髪をかき上げた。きっと城の女官達が見たらその仕草に黄色い悲鳴が上がっていただろう、なまえもすんでのところで飲み込むことができた。


「だ、だらしくないよ!むしろかっこいいと、おも…っ!」


そして言わずにしようとしていたことを吐いてしまう。
慌てて両手で口を抑えるも、そこまで言ってしまったら意味はない。なまえはまたやってしまった、と自責と羞恥に俯く。顔から湯気でも出てしまいそうだ、と俯くなまえに陸遜はきょとりと目を丸くした後、やんわりと嬉しそうに、でも照れくさそうに目を細めたのをなまえは知らない。


「なまえ、顔を上げて。」

「む、無理…!むり!」

「どうして?私は嬉しかったよ、なまえの言葉。」

「嬉しいのは、その、一向に構わないんだけどっ、わ、私は、なんと申していいのか…!」


陸遜にとっては嬉しい言葉でも、言ってしまったなまえからすれば顔から火が出そうな気分だ。両手で顔を覆い、「違うの、あ、いや、違くないんだけどっ、でも違くて、」と軽くパニック状態になってしまっているなまえに陸遜は覆われた両手を外そうと腕を掴むも、その壁は簡単に崩せそうもない。しかし後ろは欄干、前は陸遜、と既に逃げ場などないなまえのささやかな抵抗は、ふわりと上がった自分の踵により、いとも簡単に、やはり陸遜によって崩壊されてしまうのであった。


「わっ、り、陸遜っ!?」

「取りあえず、私の室に行こうか。陽も落ちてきているし、なまえの体が冷えて風邪にでもなったら大変だよ。」


そう陸遜の腕がなまえを抱え、まるで小さい子供を抱き抱えるようにして持ち上げられたなまえは、こんなことをされて体が冷えるどころか熱くなるだけだと思うのだが、抱え上げられた腕から強い拒否権の無さを感じ取り、大人しく黙って彼の首に腕を回すことにした。そして陸遜は、最初の抵抗だけで、あとはまだ何か言いたそうな口を結んで自分に掴まるなまえに、また一人満足げな笑みを浮かべているのであった。

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