先輩の特別
「ちょっとなにしてんの。」
部活が終わって、ユニフォームから制服に着替え部室を出ると、外では変な集まりができていた。その集まりの中心にいるのは、なまえ先輩だった。
「お、越前。先に頂いちゃってるぜ。」
何を頂いちゃってるんだ何を、と詳しいことを言わないまま桃先輩が口に何かを放り込んで、もぐもぐと租借している。俺には何となくそれに思い当たるフシがあって…は、え、ちょっとまさか。
「にしてもちょっと焦げくさくねーか?」
「文句言うなら桃にはもうあげない。」
「あ、嘘!ゴメンナサイ!」
なまえ先輩の肩を掴む桃先輩。ちょっとモモ先輩、俺の先輩に触んないでください。と言いたい。言いたいがその前に、なまえ先輩が大きめのタッパーを群がる(俺には群がってるように見える)部員達にふるまっているのに一言いいたい。
「ちょっと先輩。」
「なに?リョーマ。」
「なにそれ。」
「なにって……、バレンタイン。」
先輩が抱える、ノートより一まわり程大きいタッパーの中には、お世辞にも綺麗な形…とは言いにくい、あきらかに量産された、形がばらばらのクッキーが入っていた。でも茶色いのとか白い色のとかあって、少し手は加えたよ感があるのがなんとも先輩らしい。って、そうじゃなくてさ。
「俺のは?バレンタイン。」
遠慮なく先輩の手作りであろうクッキー(っていうかこんな部員数に市販なわけがない。しかも先輩に限って市販のを買い集めるわけがない。)に手を伸ばす桃先輩はじめ部員達を睨んで追い払う。桃先輩が「まぁーた越前の病気がはじまった」とか言われたけど、違うから、病気じゃないから。自分で言うのもあれだけど、末期症状だから。これはもう治らないの、治らないから最後まで先輩に責任を取ってもらうの。
「…食べる?」
「そうじゃなくてさ。」
ちらほらと先輩のクッキーを諦めたメンバーを視界の端に入れながら(くそ、俺より先に先輩の食べやがって…)先輩を見下ろすと、先輩は開いたタッパーを俺に向けた。いや、先輩そうじゃなくてさ。なんで俺もそこから先輩のバレンタインを受け取らなくちゃいけないの。
「なんか、特別枠的な…。」
「食べないなら、他の一年生にあげてきちゃうけど。」
「え、マジで。」
ぱたん、とタッパーの蓋を閉じた先輩に俺はがっかりというよりも驚きの方が勝った。先輩、まじでその大量生産されたクッキーに俺の分が入ってるわけ。
「リョーマ、今日私部長とミーティングあるけど、待ってるの?」
「………待つ。一緒に帰る。」
「わかった。」
「俺、教室に携帯忘れたから適当に戻ってくる。」
うん、と頷いた先輩は踵を返して他の一年生がいる方へと歩いてった。
…先輩と帰るのは、恒例行事でもなんでもない。俺が勝手に先輩について帰ってるだけ。中学の時もそうだったから、高校でもそうする。最初はウザがられたけど、その内慣れたのか何も言わなくなって、自然とその日いつぐらいに帰るかさっきみたいに教えてくれるようになった。俺は今も昔も先輩に勝手に付きまとっているだけだ。高校に入って、中学ん時とは違う先輩色々見れて、距離は縮まったとか思ってたけど、俺だけだったのか。
はぁ、と嘆息して校舎に向う。女子一人に声を掛けられた。無視した。
結構ショックかもしれない。あの大量生産されたクッキーの一つだったのか、俺は。しかもそうだとしても一番乗りでもない、何番乗りかもわからない順番だ。少なくとも桃先輩にも負けてる。いや、桃先輩は食べ物ならなんでも良くて食い付いただけだと思うけど。……それもなんか嫌だ。せっかく食べるなら味わってよ。先輩が手作りしてくれたんだから。
下駄箱に箱が何個か入ってた。隣の下駄箱に入れといた。
日本のバレンタインの習慣っていうのはつくづく変。そして厄介。1年の中で男がこんなにどきどきする一日はないよね。堀尾とかは毎年何個もらったとか気にしてたみたいだけど、俺は何個とかそんなのいらない。一個だけ欲しい。先輩からもらう、特別なバレンタインが欲しい。先輩の特別が欲しい。
教室までの廊下で数人の女子に声を掛けられた、聞こえないフリした。
先輩の中の俺って何。俺は先輩の中のどこに位置付けられてんの。部員?後輩?桃先輩より下?違う、そんな誰でもいいポジションに行きたいんじゃないんだって。俺は先輩のすごく特別なものになりたいんだって。
教室に入る前に女子に腕取られた、睨んだ。
なまえ先輩はほんと、思い通りならない。そこがいい。そこがいいんだけど、それがたまに苦しいし悔しい。テニスやってる時と一緒。楽しいけど、悔しい。思い通りにならなくて。だからウザがられても食い付いた。振り向いてくれた時がすごく嬉しいから。だから付きまとう。ずっと楽しくいたいから。
「越前くん!あの…!」教室で携帯を回収。女子に声掛けられる。次の言葉を待たずに「ごめん、好きな人いるから。」泣きながら出ていった。
…先輩も、あれぐらいわかりやすければいいんだけど。
机の奥底に仕舞こんだ携帯を回収してメールとかチェックした。先輩、ミーティングもう終わったかな。まだ早いか。いや、もういいや。部長急かして早く帰ろう。……あとクッキー残ってたらもらおう、やっぱり。教室から部室に戻るまでに、また何人かの女子に声を掛けられた。けどやっぱりもらわない。欲しいの、先輩のだけだし。そうポケットに手を突っ込みながら戻ると、ちょうど部長が部室から出てきた。最後に部室を締めるのはなまえ先輩の役目、着替えとかあるから。部長が制服で出てきたってことは、ミーティング終わったんだ。じゃ、部室の外で待つか、とこちらに向ってくる部長と目が合った。
(……は……?)
そこで俺は、見たくないものを見た。
「越前か…どうした。」
「いや、部長こそ。なんすか。」
「何が。」
「その、手にあるの。」
帰り路につく手塚部長の手には、部長の雰囲気に合った落ち着いた色のリボンが結ばれた袋。おかしい。部長はもらったチョコは紙袋、または段ボールに入れて帰る。特別手に取ることはない。でも今部長の手には小さな袋があって。それはつまり、今、もらった、ということ…。
「なまえ先輩からっすか。」
「ああ。世話になってるから、と。ここ数年でバレンタインという行事のあり方が変わってきたな。以前はもっと……―」
なんて部長が高校生らしくないこと(いつもの事だけど)言ってたけど、俺の頭ん中はそれどころじゃなかった。
なにそれ。
部長には特別あげて、俺はみんなと一緒…?意味、わかんない。ほんと、先輩って意味わかんない。
どうせ特別もらえないなら、みんな一緒にしてよ。
先輩からの特別は、俺だけにして。俺に特別くれないなら他の誰かを特別になんかすんなよ。先輩の特別は、俺がいい。他の誰にも、やらないで。
「…アイツも素直じゃないな。」
「部長、夜道には気をつけてくださいね。」
「何だと…?」
なまえ先輩からもらったバレンタインの袋を手に少し目を細めた部長を尻目に、俺はなまえ先輩がいる部室へと向かった。
先輩、あんま俺を怒らせるようなこと、しないでよ。
「なまえ先輩、」
「!?ちょっ、なっ、」
思いっきりあけた部室の扉の向こうには、ジャージから制服に着替えてる先輩がいて、スカートははいてるけど上はまだ着替え途中みたい。後ろ手でドアを締めれば先輩は着替えの上着を胸の前に掻き集め口をぱくぱくさせていた。
「ば、ばか!まだ着替えて…!」
「先輩、」
ねぇ、先輩。
着替え途中の先輩にも関わらず、俺は先輩を見下ろし、後ろ後ろへと逃げていく先輩を追い詰めた。逃がさない。そんな格好じゃ逃げれないってわかっていても、逃がす隙なんて1ミリもあげてやんない。
先輩の背中が背後のロッカーに触れた。
「な、なにリョーマ…!き、着替えてるんだけど…!」
「先輩、どうして。」
「……え?」
「どうして部長にはバレンタインあげて、俺はみんなと同じなワケ?」
先輩の横に手をついて、覗きこむように先輩を睨む。少し怯えてるような目。
「俺が先輩を好きだって知ってて、どうしてそんなことすんの?楽しい?俺の反応見て楽しんでるの?」
「リョー、マ、待って、ん、んん」
待たない。
噛み付くように先輩の唇を塞いだ。キスすると硬直する先輩のクセをいいことに、冷たいロッカーに先輩を押しつけ、唇を舌でわる。先輩の全部を奪うような、キス。先輩の特別が欲しい、先輩が、欲しい。
「……っ、」
舌先で先輩の唇を撫でて、最後に口端にキスをした。胸を制服で隠しながら、先輩はずるずるとその場に座り込んでしまった。俺も一緒に、座りこむ。すると、先輩が胸を隠しながら、片方の腕を振り上げる。
「っで!」
「ばか!ばかリョーマ!」
「ちょっと、先輩っ、イテッ!」
ぼかっ、と先輩の腕が俺の肩に思いっきり降ってきて、夏は部員全員の飲み物を用意するための筋肉が備わってる先輩の拳はそこら辺の攻撃より、痛い。
「なに、先輩、痛いって!」
ぼかぼかと殴り続ける先輩の手を取れば、腕を振り上げた先輩の瞳はうっすらと潤んでいた。あ、可愛い。とか思ったのはもちろんオフレコで。思わずぽかん、としてしまったら、先輩は上半身が少し無防備なまま、自分の鞄のところまで四つん這いにずるずると進み、もう面倒になったのか、抑えていた制服をぺいっと放り投げて鞄を漁った。
そして。
「馬鹿リョーマ。…用意してないなんて、一言もいってないじゃない……。」
下着姿とか、なんて大胆な。
と思いつつも、差し出されたソレに、俺は目を丸くする。
「なに……、それ…。」
「リョーマが言ったんじゃない……。」
バレンタイン。
先輩の小さな声は、俺と先輩の間だけで小さく響いた。
タッパーに入っているわけでもなく、部長と同じ袋でもなく、青いリボンがちょんとついた箱を、俺は受け取った。
「俺の…?」
「いらないなら、返して。」
「や、無理。」
ばっと伸びてきた腕から箱を死守しようと、箱を手にした腕を高く上げた。すると、バランスを崩した先輩の体が俺の胸に、とても美味しいことになだれ込んできて、俺は先輩を優しく抱きとめ、抱き締めた。下着はしてるけど、服を着てない分、先輩の柔らかさが直に伝わって気持ちいい。
抱き締められた先輩は、案外大人しい。きっと自分の姿とこれをくれたことが、恥ずかしいのだろう。
やばい、どうしよう、先輩が可愛すぎて。
「これ、俺だけ?箱バージョン俺だけ?」
「箱、高いんだから。一個しか買わない。」
「ほんと?袋は?袋は部長だけ?」
「袋は三年生。二年生、一年生は…タッパー。」
「中身は?」
「……リョーマだけ、ブラウニー。あとは皆クッキー。特別なんだから感謝してよね。」
ぎゅ、と控えめに背中、というより脇の下を握られて、眩暈がしそうになった。馬鹿か、俺、現金すぎる。箱、特別とか。俺だけ、特別、とか。どうしよう、先輩、可愛い。可愛すぎる。
「先輩、キスしていいですか。」
「さっき、した。された。」
「さっきのはノーカンで。」
「………。」
「今度は、優しくするから。」
なかなか剥がれようとしない先輩をなんとか剥がして、額を擦り合わせて先輩の様子を窺う。最初は睨まれたけど、躊躇いがちに、でも静かに伏せられた睫毛を合図に、唇を重ねた。
「…先輩ごめんね。背中、冷たかった?」
「くっそ冷たかった。」
「ごめん。」
先輩の眉がぴくりとしたのは、多分俺がニヤニヤしたまま謝ったから。だって、ニヤニヤしない方がおかしい。先輩からバレンタインもらった。俺だけ、特別なもので。
「こら、リョーマだめ…、っ」
「わかってる。」
先輩の腕を引き寄せ、再度抱き締める。ロッカーに押しつけ冷えた背中を撫でるように指を這わせ、首筋に顔を埋める。先輩の体が熱くなった。背中を撫でるついでブラの紐に指を引っ掛けるも、先輩が可愛い声で「駄目、だめ、ばかリョーマ」言うから、逆効果なんだけど…とは思いつつも、ここは可愛い先輩に免じて。
「先輩、帰り俺の家寄って、ね。」
「何が、ね、よ!」