10時半すぎの「いってきます。」
仕事前、僕はスーツのネクタイをしめながら通りかかったドアの向こうにいるはずのないキミを見つけて立ち止まった。
「何してるの?」
僕は腕を組んで、ソファでクッションを抱きながらこちらを向いたキミに言った。その目は眠そうで、今にも閉じてしまいそうだった。
「ソファに座ってるのです。」
だけど声は割とはっきりしていて意識はあるんだなって思った。
「大学は?」
そう。今日のこの時間、彼女は大学へと行って勉強しているはず。
「目が覚めたら10時だった…。二限目に間にあいそうもなかったのであきらめマシタ。」
言えば送ってあげたのに、と言ったけどキミは「恭弥さんの送迎は目立つから嫌」と言った。別に、ただバイクに二人乗りじゃないか。まぁ、スピードはそれなりに出すけど。
「今日は休む…。」
「何言ってんの、三限あるでしょ。」
「あと三限だけなんだもん。三限のために行きたくない…。」
「そう言ってこの間単位とれなかったのは誰だっけ。」
「…あれは難しいテストを作った先生のせいです……。私のせいじゃありますん。」
…ありますん、ってどっち。僕はソファに腰掛けてヒヨコのような頭をしたキミの頭を手櫛で整える。
「授業料馬鹿高いとこ行ってるんだから行きなよ。」
寝起きの眠気眼とスッピンなキミはいつものキミとは何か足りないような顔をしてたけど、これが100%純キミの顔だと思えばなんだか愛おしくて笑ってしまった。
「何ですか。」
「ううん、何でもないよ。ほら、早く支度しな。」
「いや。」
「送ってあげるから。」
「ますますいや。」
「また単位落とすよ。」
「それはもっといや。」
寝癖を一通り直して未だパジャマを着ているキミのボタンを外すとペチリと手を叩かれた。「何してんすか」「着替え手伝ってあげようかなって」「結構です」キミはやっと立ち上がって裾のあってないぶかぶかの、僕が中学校の頃着てたパジャマを引きずってクローゼットを開けた。彼女のクローゼットは僕からしたらビックリクローゼットだ。あの中には彼女が彼女へと変わるモノがたくさん入ってる。洋服、化粧品、香水、バック。僕からちょうど見えない所でキミは着替えて次は顔を洗って大きな鏡を出して化粧品を出す。
「三限行くの?」
「行けって言ったの恭弥さんでしょ。」
「うん。そうだね。」
「学校終わったら遊んでね。」
「うん。いっぱい遊んであげる。」
「…恭弥さんが言うと危険な感じするね。」
褒め言葉として受け取っておくよ。テキパキと支度していくキミはいつの間にか、いつものキミになっていて教科書や筆箱財布ポーチをカバンに詰め込んでいた。全部入れ終わったのか次は髪の毛の手入れを始めた。鏡を見てセットしている鏡のキミを見つめるとキミはくるりとこちらを向いて結び途中だった僕のネクタイをキュ、としめてくれた。
「お仕事頑張って。」
そう言って抱きしめるように後ろ襟まで直してくれて僕はその細腰を抱きしめた。
「キミもね。」
今日は、渋々ながら三限のために学校へと行くキミへ夜をご馳走してあげようと思った。この間キミが連れてってくれた隠れ家的な居酒屋。あそこにしよう。『ここなら恭弥さん人ごみ気にしなくていいでしょう?』そう言って甘いお酒で乾杯したあそこ。
「寝ないようにね。」
「無理な注文ね。」
それからその後は家でゆっくりしよう。そして、いつも(なぜか知らないけど)3時か4時頃に寝るキミを早く寝かして、明日は遅刻させないようにしよう。その後は一緒に朝ご飯を食べて食後のコーヒーなんかも飲んでゆっくりできればいいな。
もっと欲を言えば、
それが毎日続くといいな。
「いってきます。」
ま、近いうちにそんな話をしよう。
その前にちゃんと単位とって無事卒業してほしいかな。