※彼は最初から寝たフリをしています。

心地よい温かみを感じながらなまえは目を覚ました。長い睫毛を静かに持ち上げると、見慣れない景色にぼんやりとしつつも首を傾げる。いや、景色というよりも色だ。いつもは白いシーツが一番最初に目に入るのに、今日は肌色だ。というか、傾げた頭の感触も何だかいつもの枕より固い。なんだこれは…、とそっと頭をあげようとしたところでなまえは全身を固まらせた。


(お、にいっ……さ、ま………。)


その場で声を上げなかった事を褒めて欲しい。なまえは少しだけ持ち上げた頭をゆっくりと元の位置に戻す。窓の外からは小鳥が気持ちの良い朝を迎えたことをその鳴き声で告げていたが、彼女の心と脳内は朝から大嵐だ。
朝起きたら、目の前で兄の深夜が寝ていた。
そして起きて目に飛び込んできた肌色とやらは深夜の胸板に間違いなかった。固いと感じた枕は、その彼の腕枕であった。起き抜けにぎょっとしたなまえを余所に深夜はすよすよと寝ていて、穏やかな寝顔をなまえに晒していた。
柔らかな銀色の髪が細い輪郭にかかる。同色の睫毛はまだ持ち上がる気配はなく、形の良い薄い唇は小さく寝息をたてている。いつもは綺麗と言った方が相応しい顔立ちの彼だが、寝顔はなんだかあどけなくて可愛い。


(ええっと…、昨日は…。)


彼の寝顔を眺めつつ、何故彼がここで寝ている事になったのかと昨夜の記憶を辿る。
昨夜はそうだ、彼が部屋に訪ねてきてくれて、「明日は午後からだから」と言われて二人っきりで夜更かしを楽しんでいたのだ。紅茶を飲んだり、内緒のお菓子を少しだけ食べたり、お喋りをしたり、そして、一夜をともにした。「明日は遅いから、思いっきり時間をかけられるね」なんて耳元で囁かれてあっという間に深夜によって蕩けさせられた。昨夜の出来事なのかそれとも夜明け前の出来事と言えばいいのかわからない程散々溺れさせられた。そんな夜を思い出させる深夜の(妙に色っぽい)胸板が目の前にあり、なまえは堪らずぎゅうっと目を瞑った。寝ている深夜を前に(恥ずかしさで)発狂するわけにもいかず、数秒ほど縮こまってはゆるゆると息をそっと吐いた。昨夜の興奮をあまり思い出さないよう、彼の胸元から視線を外し、改めて寝顔を見詰める。


(そう言えば、お兄様の寝顔は、珍しい…。)


あまり見た事のない彼の寝顔に無意識に触れたくなり、そっと指先を持ち上げるなまえだが、気持ちよさそうな寝顔に起きてしまうかもと持ち上げた指先をきゅっと握った。
深夜の寝顔をあまり見たことが無い。強いて言えばうたた寝している時にちらりと見るくらいだろうか。こうして何度か夜をともにするようになったが、軍人として朝の早い彼はなまえに寝顔を見せることもなく部屋を出ていってしまう事が多い。もしかして夜の事は自分のはしたない妄想なのではないかと思ってしまうくらいだ(おまけに事が終わった後の処理もなまえの知らない間完璧に済まされてる事が多い)(着替えとか着替えとか着替えとか!)。それが何だか悔しくも寂しくもあるなまえは彼が部屋を出る前になんとか起きていようと頑張った時もあった。その時の深夜はもう既に自分の着替えを済ましていて、起き上がったなまえに気付くとベッドに優しく寝かしつけたのだ。「疲れてるでしょ?まだ寝てて大丈夫だよ。」なんてまるで子守唄のような優しい声音に情事後の気だるい体を優しく労われ、なまえはあっけなく寝かされてしまった(思い出すだけでも恥ずかしい)。
しかし今日はいつもと違うらしい。


(いつもは寝かされてる私だけど、今日は、お兄様を寝かせてあげられるんだ…。)


自分の目の前でぐっすりと寝ている深夜の姿になまえは感動しつつ、「仕事は午後から」という昨夜の言葉になまえは僅かに、しかし、しっかりと頷いた。


(起きよう!いつもお仕事を頑張られているお兄様を寝かしつつ、私はお兄様の着替えとか朝の支度の準備をしよう!)


起きたらシャワーを浴びるだろうか。それならタオルの準備をしておかねば。それでその間に着替えの準備をして、朝食の手配もして、食後の飲み物も用意して。
起きて全部支度が整っている光景が広がっていたら、彼はどんな反応をしてくれるだろうか。本当なら彼が部屋に訪ねてきてくれた後はいつもそうしてあげたいのだが、何せその前に彼は部屋を去ってしまう。彼がここで寝ている今がチャンスだ、となまえはそっと身じろぎ、ベッドから出ようと彼に背を向けた。


「……何処行こうとしてるのかな。僕のお姫様は。」

「ひゃぁ…っ」


その時、なまえのお腹を撫でるように深夜の長い腕が回り、出ようとした体を抱き寄せられた。なまえの項に、彼の声が触れた。


「お、にい、さま…!」

「…おはよう。いきなりベッドから出ようとするなんて、冷たいね、なまえは。」


寝起きだからだろうか、なんだかまったりと喋る深夜の口調と少し擦れた声が、唇が触れている項に熱を送ってくる。「いや、あの、」とお腹にまわった深夜の腕から抜けようとするなまえだが、鍛えられた男の腕から抜けられるわけもなく、ぴったりと背中が深夜の体と触れてしまう。深夜と違ってなまえは夜着を一枚着ているが(寝ている間体を冷やさないようにと深夜が着せている)、それでも深夜の熱い体温と固い体を感じてしまう。


「あ、朝の、支度、を、」

「ん〜…?そんなの、後でいいよ…。もうちょっと寝てよ…?」

「お、お兄様、は、寝てて、いいので、あの、わたしは…、」

「だーめ。」

「っ、」


なまえの細い項に触れていた深夜の唇が線を辿るように滑ってゆき、肩の付け根あたりに、ちゅ、と音をたてて吸い付いた。少し舌で舐められたような気もして、頬が赤くなる。


「せっかくゆっくりできるのに、もうちょっと、僕とだらだらしてよう?」

「だ、だから、お兄様は、だらだらしてて、いいです…っ。わたしは、準備とか、しちゃい、ますからっ。」

「えぇ〜、」


不満そうな声をあげているのに顔は絶対笑っているのが後ろ向きでもわかる。現に深夜の手はお腹からするすると動き、なまえの胸の膨らみを朝だというのに悪戯に触れている。戯れに触れるそこをやわやわと揉まれてなまえは否応なしに体がぴくぴくと反応してしまい、呼吸が震えてしまう。


「やっ、ぁ、」

「仮に僕が二度寝したとしても、起きたらなまえはもうベッドには居ないんでしょう?寂しいなぁ。」

「そ、そんなの、ん、お兄様だって…、」


柔らかい胸の頂きを探すような親指の動きに翻弄されつつもなまえがそう言うと、深夜の手は動きを止めた。


「…ん?」

「お、お兄様だって、私が起きた時には、居ない、じゃないですか…。」


―目を覚ました時、確かに居たはずの温もりが居なくてあれは夢だったのではないかと思う朝を何度も体験した。そして彼に求められたという事も夢だったような気がして、冷えだしたシーツを強く握り締める。深夜を見送ろうと頑張って体を起こしたあの時、彼がこの部屋に居たという事実に自分がどんなに安堵したか、彼は知らないのだ。


「朝起きて、一緒に居た人が居なかった寂しさを、深夜お兄様も味わうといい、…です。」


朝からこんな事をされた恥ずかしさか、それとも深夜に対しての今までの悔しさからか、なんだかよくわからない涙が目を熱くさせた。少し体を深夜の方へ向けて、勢いでキッと彼を睨めば、きょとんとした顔の深夜がなまえを見詰めていた。まるで最初から起きていたかのように大きく目を見開いてぱちぱちと瞬きを繰り返す深夜になまえは子供のようにつんと顔をそらした。あまりにも子供染みた仕草に自分でも恥ずかしくなってシーツを顔を埋めたなまえだが、後ろからゆるゆると深い溜息を吐かれた。もう、体の中の酸素を抜くくらいの長い溜息だった。呆れられただろうか、と唇を噛んだなまえだが、なまえの体に巻きつく腕がきつくなった。


「はぁ…、もう、どうしよっか。」

「…へ…、え?」


深夜に、強く抱き寄せられている。
正直、苦しい、くらいだ。
項に深夜の前髪と額がぐりぐりと押し付けられて擽ったい。


「ねぇなまえ、今日一日立てなくさせてもいい?」


拗ねたなまえの唇を追い掛けるように深夜が荒々しく口付けてきた。お尻に当たる深夜の熱に、なまえはもう何も言えなくなってしまうのであった。

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