キミの瞳に巣くうお星さま(2/3)

時刻は日付をこえてそろそろ一時間経つというところだった。


「おかえり」


シネライを心行くまで堪能してきたらしいなまえを出迎えると、なまえは俺の顔を見るなり「は……はわわ……」と怯えた表情を浮かべた。
そんな表情をするならもっと早く帰ってくればいいのに。ねえ、なまえ。今、何時かな?


「映画、楽しかった?」

「と、とても……」

「そう。何時に終わったの?」

「え、ええっと……」

「確か十時前だよね。そこから送ってもらっても、こんな時間にはならないんじゃない?」

「な、なんで時間……っ」

「シネライ、行ってきたんでしょう?」

「……!」


そりゃあ、なまえの上げてた写真見てたからね。始まる前もペンライト持って友人と楽しそうな写真あげてたもんね。可愛かったよ。
なんて、自分のやっている最低なことについては開き直り、なんで観に行ったことがバレているんだろう! と驚くなまえを叱るように睨むとなまえはしゅんと肩を落とした。


「……そうです……シネライ行って来ました……」

「うん」

「それから楽しくなっちゃって、お茶も、してきました……」

「うん」


それも携帯で見た。
なまえ、夜遅いのにはしゃいでドーナッツ食べてたね。いつもカロリー気にして夜のおやつなんて食べないのに食べちゃうなんて、よほどテンションが上がっていたと思われる。こっちはそんな事しないで早く帰っておいでよ! ってなっていました。夜のドーナッツなんて俺だって付き合うし! 美味しいカフェオレだって作るのに!
まるで玄関先で飼い主を待つ仔犬のような気分だったよ。
俺の視線にしょんぼりと項垂れるなまえ。その背中にはシネライ黙って行ってごめんなさい、遅くに戻ってきてごめんなさい、と書かれているような落ち込みようだった。
目の前で悲しそうにしているなまえがなんだか可哀想に思えて、本当はちゃんと怒りたいのだけど、シネライが楽しそうだったなまえを知っているがために小さく溜め息を肩をすくめた。


「……シネライ、楽しかった?」


少しだけ声音を柔らかくしてそう聞けば、なまえはぱっと顔を上げて、瞳を大きくさせた。


「うん……! うん! すっごく楽しかった!」

「そう……。俺は、どうだった?」

「かっこよかった! 瑛二、すっごくかっこよかった! きらきらしてた!」

(っ……!)


きらきらしてるのはなまえの方だ……!
華奢な腕を掴んでぐっと抱き寄せたくなる腕をもう片方の腕で抑え、俺はにやけそうになる口をなんとか堪え、バスルームの方向を指差した。


「は、はやくお風呂入りなよ……。もう遅いんだから」

「あっ、うん!」


俺がもう怒ってないとわかるとなまえはすぐに靴を脱いであがり、ぱたぱたと足音をたてて鞄をリビングに置き、パジャマとともにバスルームへと向かった。
バスルームの扉が閉められた音が聞こえたと同時に俺はすぐそこの壁に自分の頭を強打する。


「……辛い…………」


可愛いすぎじゃない……?
大丈夫なのかな、あんなに可愛くて。
一方俺は、なまえのアカウントをこっそりフォローしては黙ってなまえの行動を見ているというのに。今、なまえがかっこいいと言ってくれた男はこんなにも卑怯で下衆なことをしているというのに(かといって今更止められる自信はあんまりない)(だってなまえがあげてくれる写真を見るのは俺の趣味というか、癒しというか)(俺がなまえに黙りきっていたら別に構わないのでは、と開き直るくらいにはもう罪悪感が薄れている)。
リビングに戻るとなまえの鞄が壁際に置いてあって、ふと目に入ったその鞄の中に俺のリングライトとバングルが入っていると愛しさしかなくて、もっと仕事を頑張ろうと思えた。もちろん自分のため、なまえ以外のエンジェル達のためにも頑張ろうと思うけど、今だけは少しだけ許してほしい。


「……ん?」


なまえの鞄をじっと見下ろしていると、いつもより少し大きめの鞄の口から黒い棒のようなものが伸びているのに気付く。
なんだろうこれ? と近寄ると、それは黒くて細く、平たい棒なのがわかる。ますますわからなくなってその平たい黒い棒に触れて俺は気付く。


(ま、まさかこれは……うちわ!?)


思わずスッと抜き出してしまいそうになったのを、俺は理性で引き止める。


「あ、危ない……!」


人の鞄をその持ち主が居ない内に物色は流石にいけない! 絶対に良くない!
いやでもこれ絶対うちわだ! みんなが思い思いに作る推しのうちわってやつだ! なまえも作っていただなんて!
思わずなまえが入ったバスルームの扉を見詰め、まだ上がってこない気配を探る。いけない、絶対にいけない事だと頭の中で叫びながらも、俺はごくりと喉を鳴らし、その黒い棒を手に取る。
鞄の中の多少の引っ掛かりを感じつつも、そっとそれを抜くと、黒地のうちわに蛍光色の紙で『瑛二』と切り取り、貼られてあった。


「俺の名前だ……」


もしかしてそうなんじゃないか、いや絶対に俺だよね、と意気込み半分、不安半分で引き抜いたなまえのうちわには俺の名前があった。
俺の名前だ、なんて思わず声に出してしまったけれど、でもやっぱり感動してしまった。HE★VENSが好きだと応援してくれるなまえの推しは俺であるのだ。
つまりなまえは『HE★VENSの瑛二』も好きだし、ここにいる『ただの瑛二』も好いてくれているということだ。
動かぬ物的証拠をおさえてしまい、俺の心は跳ね上がる。
そして何気なくそのうちわをくるりと回すと、俺は再び壁に頭を強打するのであった。


『こっち向いて!』


そう書かれてあったうちわに俺は一人強く咳払いをした。
向 い て る よ !!
むしろそっちしか向いてないよ!
咳払いでもして誤魔化さないとなまえへの想いを叫んでしまいそうだ。それはさすがにご近所問題だし(ボイストレーニングしてる人の声量舐めないで欲しい)バスルームにいるなまえもびっくりしてしまうから駄目だ。堪えるんだ俺。
壁に額を押し付けながら深呼吸を何度か繰り返し、なんとか落ち着いた心を取り戻そうとした。しかし、バスルームの方でなまえがお風呂から上がった音がした。
俺はなまえが作った自分の推しうちわを両手に持ちながら唇をキュッと噛む。


(……今、なまえの顔を見たら色々まずい気がする)


色々は、色々だ。
今日一日、今の今で積もりに積もったなまえへのフラストレーションを本人へとぶつけてしまいそうだ。いかにぶつけるかの手段は、今の俺の息の荒さで察して欲しい。ゆえに、まずい。一度、外まで走りにいった方がいい気がする。外で頭と体を冷まして、冷静になって、この部屋に戻った方がいい。
とりあえずなまえがこの部屋に戻って俺がいないのを心配しないように、『ちょっと走りに行ってきます』とメモに残し、なまえの作った推しうちわを何事もなかったかのように元の場所にしまい(でもその前に写真を撮っておいた)、俺はなまえが戻ってくる前に玄関へ向かい、スニーカーに足を入れた。


「……瑛二、どこに行くの?」


玄関ドアに手をかけた俺の背中に、なまえの声が掛かる。
なまえが戻る前に出たかったのだが間に合わず、つい振り向いてしまいそうになったけれど、それは罠だ、そこで向いてしまったらいけない。


「ちょっと、走りに行ってくるよ」

「え……? 待って! こんな時間に走りにいくなんて危ないよ!」


止められるのはわかっていたので言いながらドアを押し掛けると、なまえが俺の服の裾を握って止めた。服の裾をはしっと握る小さな両手が見えて思わず「うっ」と言葉に詰まる。おまけにお風呂上りの柔らかくて温かい香りがふわりとかおって尚更俺の理性が今、試されていた。


「大丈夫、すぐ戻るから。なまえは先に寝てて」

「だ、駄目っ! 体冷やしちゃう!」


ぎゅっとなまえが俺の腰に抱き着いてきた。
なまえの香りが濃くなるだけではなく、体温のあがった温かいなまえの体、俺を必死に引き留めようとする柔らかな体に、俺は限界を超えたと思う。
もう、知らないからね。と半分苛立ちながら(無防備ななまえに怒っているのか、我慢できない自分に怒っているのか。多分半々)俺は振り返り、なまえの小さな顔を両手で包んで唇を押し付けた。


「んっ……!」


突然のキスになまえの驚いた声が上がったが、それごと唇で塞いだ。一度大きく息を吸い込んで唇を離し、なまえの僅かに開いた唇の隙間に自分の舌を捻じ込む。なまえは俺の手の中で状況が掴めず(それはそうだ、だって風呂上りに俺が走りに行くって言うから引き留めたのに急にキスされているのだから)くぐもった声を上げていたが、押し付けるような俺のキスに遅れながらも受け止めてくれていた。可愛い、優しい。そんななまえの優しさに、俺はいつも付け込む。物腰柔らかな大人しい『HE★VENSの瑛二』なんて、ここには居なかった。
居るのは、なまえにだけ特別獰猛な動物。


「……はぁ……、はぁ……」


なまえが欲しくて垂れてしまった俺の涎が、なまえの唇から一筋零れて、俺は自分のとなまえのが混じったそれを舌先で拭う。なまえは突然のキスに短く呼吸を繰り返し、俺の両手に小さな手を添えていた。俺の体になまえの体がくったりと寄りかかってきて、その柔らかな体の感触に俺の呼吸は荒くなっていく一方だ。


「瑛二……?」

「ごめん、なまえが欲しい。だめ……?」


ここまできて駄目だなんて言われても治まる気はしないけど(いやでもなまえが泣いて「駄目」って言ったら、なんとか、我慢する。それこそ走る)、なまえを強請るように頬やこめかみ辺りにキスを落とし、耳元でそう囁く。俺にはもう余裕なんてものはなくて、随分掠れた声になってしまった。けれどなまえは俺の言葉にびくりと体を固くさせては、そろそろと俺を見上げてきた。
その、目、やめてよ……もう、もたないんだって、俺。


「瑛二、怒ってるの……? 私が遅く帰ってきたから?」

「俺になまえを叱る権利なんてないよ」


不安そうに俺を見上げるなまえの目がまともに見れず、俯いて前髪で目元を隠す。早口に答えた声が怖くならないように口元に笑みを浮かべようとしたけど、随分不格好な形になったかもしれない。ああまずい。温かい体も、柔らかい体も、少し湿った髪も匂いも全部が全部を俺を煽るものにしかならない。
なまえを監視するようなことをしといて、更になまえも欲しいっていうんだから本当の俺はすごく貪欲だ(いや、なまえが欲しくて監視するのかな、いやもうどちらでもいい)。
とにかくなまえが欲しい。触りたい、ふれたい、キスしたい、舐めたい、食べたい、声が聞きたい、めちゃくちゃにしたい、愛したい。一つに、なりたい。喉がカラカラなんだ。


「なまえが欲しい、ちょうだい」

「あぅ……」


耳の中に舌を突っ込み、早くちょうだいとばかりに耳の中をべろりと舐める。
荒い息も吹き込んで、もう余裕なんてないんだと伝えるとなまえが俺の胸に倒れるように頬を寄せた。
俺の腕の中でこくりと小さく頷いたなまえに「ありがとう」と囁いて額にキスをする。裸足で俺を追ってきたなまえの膝裏に腕を通し、横抱きにしてベッドがある部屋へと向かう。腕の中で体を小さくしているなまえがたまらなく可愛い。はやく食べてしまいたい。
短いはずなのにやけに長く感じたベッドまでなまえを下ろし、覆いかぶさるようになまえへと跨る。これでもかというほどにキスをし、なまえの柔らかい唇を舐めては噛んで、吸い付いた。


「……瑛二、いつもより、熱い」

「うん、そうかも」


なまえ抱いているときは本当に熱くて、いつも汗が止まらないのだけど、今日はそのペースがはやい。既に色々汗ばんでて、こんな余裕のないところ恰好悪くて見せたくないのだけど(しかもなまえはかっこいい俺の……正確にはHE★VENSの、シネライを観てきた後だというのに)、もうなりふり構ってられなくて、ひたすらなまえが欲しくて、上着に手をかけて一気に脱ぎ捨てた。
それでもまだ暑いのだけど、幾分マシになったかな。ふう、と息をつくと、その様子を見ていたのだろうなまえと目があった。汗でじっとりしだした髪の毛を手で梳き上げ、どうしたの? と首を傾げるとなまえは口元に両手をあてて目をぎゅっと瞑りだした。


「……どうしたの?」

「〜〜〜っ」


小さな両手の向こうから声にならない声を叫んでいるなまえが首を左右に振っていた。
何がどうしたのかわからないけれど、可愛い、と額にキスすると、なまえは瞑っている目を更に力強くしていた。
可愛いけど、なまえの目が見れないのはつまらない。


「なまえ……」

「っ〜…!」

「ねぇ、こっちみて」


とうとう顔を覆いだそうとしたなまえの手を取って、「なまえ」と再度名前を呼ぶけれど、なまえは嫌々と首を振るだけだった。
なまえが俺を見ていなきゃ意味がないのに。
俺はなまえをずっと見ていたいのに。
ずっとずっとなまえの視線を俺が独り占めしたいのに。


「『こっち向いて!』って言ったのは、なまえの方じゃないか」


だから俺はなまえの白い指先に口付けながら、時折歯をたてて、なまえの皮膚を味わった。甘い味のするなまえの皮膚に口付けると、俺の言葉になまえが「えっ」と目を丸くさせた。やっと俺を見てくれたなまえに待ってましたとばかりに微笑んで、俺はなまえに口付ける。


「大丈夫、俺は今も昔も、なまえしか見てないし、なまえだけを見ているよ」


どういう意味? と言いかけたなまえの唇を塞ぎ、俺はなまえのパジャマの下に手を忍び入れた。


(ああ……柔らかい)


なまえの肌は俺の手に吸い付くようで、どこもかしこも触れるだけで気持ちがいい。
恥ずかしがるなまえも可愛くて、喘ぐなまえも可愛くて、快感に惑うなまえも可愛くて、俺は片時もなまえから目を放さなかった。だって、そう望んだのはなまえだし、俺もそれを望んでいるから。
今も昔も、そう、俺はなまえしか見ていない。

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