◎ 忘れたなんてただの口実(不二)
「あれ、名前ちゃん?」
「……不二先輩」
不意に後ろから声を掛けられて振り向けばいつもと同じ優しげな微笑みを浮かべている不二先輩と目が合って胸がきゅうっと苦しくなった。
だけどそれに気付かない振りをして、私は先輩にゆっくりと微笑み返した。
「久しぶりだね、どうしたの?」
「あ…友達を待ってて…」
「ふふっ…そうなんだ」
不二先輩はニッコリと笑って私の隣に立つ。
それだけで私の心臓はドキドキと脈打つ。
隣に立つ不二の横顔を見上げれば相変わらず綺麗な顔立ちをしていた。
「そういえば二人で話すの久しぶりだね」
「はい、そうですね」
「最近どうだい?」
「うーんと…あんまり変わりませんね、授業とかめんどくさくって…」
「ふふっ…そっか」
おかしそうにクスクスと笑う不二先輩に私もつられて笑った。
不二先輩と話すと胸がふんわりとあったかくなる。
「僕もそう思う時があったな…懐かしいや」
「ええっ不二先輩がですか?」
「クスッ…僕だって思うことあるよ?」
「想像つかないです…」
「そうかい?」
優雅に微笑みを浮かべる不二先輩の言葉に驚きながらも彼と同じことを考えてたんだと思えば嬉しくなる。
こんなにも手を伸ばせば届く距離にいるのに不二先輩が遠く感じる。
それが無性に悲しいけれど仕方がないことだとわかっている。
「もしかして名前ちゃん…海堂待ってるの?」
「……はい」
「最近一緒にいるけど…彼氏じゃないのかい?僕、てっきりそうかと思ってたけど…」
「……いいえ、私、彼氏いませんから…」
「そうなの?名前ちゃんこんなに可愛いのに」
「ふふっ…不二先輩はお世辞が上手いですね」
ちゃんと笑えているか分からないけれど私は精一杯笑ってみせる。
先輩は狡い
好きでもないくせに優しくして私の心を掻き乱す。
それなのに私が傷付いているなんて知らずに笑って残酷な言葉を放つ。
私が好きなのは貴方なのに、貴方だけなのに貴方が見つめているのは私なんかじゃない。
不意にこちらに向かって来る女性が見えてチクリと胸が痛んだ。
それに気付かない振りをして私は出来るだけ明るい声を出した。
「不二先輩、彼女さん来たみたいですよ」
「本当だ…相変わらず慌てちゃって…」
彼女さんを見つめる不二先輩の顔は優しく穏やかで私は一度も向けられたことのない表情で彼女さんを見つめている。
わかっていたけれど苦しくて私はごまかすように不二先輩の背中を強く押した。
「さっこんなところで油売ってないで早く彼女のところに行ってあげてください!!」
「クスッ…それじゃお言葉に甘えようかな」
「はいっ!!」
精一杯笑って不二先輩を見送ろうとすれば不意に不二先輩が振り向いた。
珍しく開眼されて覗く青い瞳が綺麗で思わず息を呑んだ。
「ねぇ…名前ちゃん…」
「は、い…」
「…あの日のこと、覚えてる…?」
先輩の言葉に微かに肩が震えたけれど気の性だと自分に言い聞かせて、私は不二先輩に笑ってみせた。
「……なんのことですか?」
「いや…分からないならいいんだ…」
「……そうですか」
悲しそうな顔で笑う不二先輩に心が鈍く軋んだ。
お願いだから気付かないで、と微笑み返せば不二先輩はいつも通りふんわりと笑って私の頭を優しく撫でた。
「またね、名前ちゃん」
「……はい」
不二先輩の背中を見つめながら私は痛む胸をギュッと握り締めた。
あの日のことを忘れることなんて出来ない。
私はあの日、抑え切れなくなった気持ちを不二先輩にぶつけてしまった。
例え不二先輩の名前を出さなかったとしてもあれは私にとって告白で叫びだった。
苦しくて悔しかったけれどあの日をなかったことにはできなかった。
けれどきっと気付かれてしまったらもう戻れなくなってしまう。
それに優しい不二先輩を困らせたくなどないから
そのためならこの想いに蓋をしていけると思ったのに
不二先輩と彼女さんが笑い合う姿が見える。
見ていたくなくて私は俯いてその場から逃げ出した。
苦しくて悔しくて勝手に頬から涙が流れた。
私はあの人にはなれないし不二先輩からあんなに愛されることもない。
わかっていたけれどその事実に耐えられなくて
私は涙と一緒に醜い感情を吐き出したのだった。
忘れたなんてただの口実(好きなんです、不二先輩)
初不二です
シリアスが書きたくて書いたら予想外に暗い話になったという←
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