誰かのことを好きになればなるほど、自分のことが嫌いになっていく。

「彼女ができたんだ」

 はにかみながら照れくさそうに頬をかくわたしの好きな人は、幸福そうな笑みを浮かべている。その一言で目の前の女を地獄の底へと突き落としたことなど知らずに。

「そうなんだ!おめでとう」

 その時のわたしの動揺を隠して浮かべた笑顔の完成度は満点に近いだろう。わたしは幼馴染に初めての彼女ができたことを心から祝福していますという表情を浮かべて微笑む。

「それで…その…いやこんなことを頼むのは漢らしくねえけど……」
「どうしたの?」

 鋭児郎は言い淀む。わたしの言葉に、覚悟を決めたように彼は呟いた。

「女子が喜ぶデートプランを教えてくれ!クリスマス、どう過ごせばいいのかわかんねーんだ!!」

 それは、聊か、業が深すぎるお願いじゃないだろうか。わたしは真顔になりたい気持ちを抑える。泣き出したい気持ちを抑えて、努めて明るい声色で呟いた。

「鋭児郎らしいなあ」

 何が、鋭児郎らしいなあ、だ。彼のことなんてほとんど知らないくせに。ただ幼馴染というだけで一番近くにいるつもりでいた自分が恥ずかしい。胡坐をかいていた自分が恥ずかしい。

「彼女はどんな子なの?」

 わたしの言葉に、彼は照れたように彼女のスペックを呟く。わたしは何気ない会話の中から彼女のフルネームを聞き出し、何気ない動作でSNSでその名前を調べる。すぐに出てきた。普通の女の子だった。

「すっげえ可愛いんだ」
「そうなんだ」

 返事は思ったよりも塩気を含んでしまったが、鋭児郎は気付いていない。わたしは彼女の投稿を見た後、負け惜しみを含めた所感を抱いた。普通だ。可愛くはない。いたって普通の女だ。ただ、「男子ってこういう女のこと好きだよね」と思ってしまうような隙がある子だった。言い方が悪いが、清楚そうな顔をして男を百人くらい食っているような女だと思った。負け惜しみも勿論含んでいる。

 もうすぐ付き合って四か月を迎える、初めてできた彼女との初めてのクリスマス。浮かれるだろう。楽しいだろう。可愛いだろう。わたしは心の中で歯ぎしりをする。どうして。わたしはずっと好きだったのに。もたもたしていたらぽっと出の女に好きな男の子を奪われた。特別可愛いわけじゃない、普通の子に。

 そこまで考えて、わたしは酷く自分が醜い生き物に成り下がったのだと気づく。醜い。好きな人の好きな人を好きになれない。好きな人の幸せを願えない。どうせこの女の子は鋭児郎が雄英のヒーロー科で最近インターンなどで活躍しだしたヒーローの卵だから気に入ったのだろう。どうせクリスマス前に寂しくなって彼氏を作ったのだろう。最低な憶測ばかりが心に浮かぶ。

 わたしは誰にも見せられない醜い感情を吟味しながら、雰囲気のいいカフェを鋭児郎に提案する。醜い。醜いにも程がある。こんな状況になろうとも、鋭児郎にいい顔をしたい自分が嫌で嫌で仕方がない。

「イルミネーションとか見に行ったら?寒いけど楽しいと思う」
「いいなそれ!」

 何がイルミネーションだ。心の中ではそう思っているくせに、浅ましくも好きな人にいい顔をする。馬鹿馬鹿しい。醜い。神様なんていないのだとすら思った。

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「なんか今日はテンション高いね?」
「クリスマスだからね。プレゼント交換も楽しみー」

 事細かにデート当日のスケジュールを決めたのは失敗だと思った。今頃鋭児郎は彼女と、気が抜くとそんなことばかり考えてしまう。彼氏がいない友人たちとのクリスマスパーティーは楽しいはずなのに、そのことを思うとどうしてももやもやした感情が生じてしまう。

「ピザまだかな。ケーキも早く食べたいなあ」

 だけど一人きりのクリスマスよりはずっとずっと楽しいし幸せだ。泣きたいくらいに。

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「別れた」
「………え」

 クリスマスが終り年が明けた頃に、鋭児郎から連絡があった。また彼女のことか。誕生日でもあるのか?と思っていたらこれである。わたしは何気ない動作でSNSを見る。わたしの好きな男の子を振った女は、どうやらもうすでに別の男がいるようであった。匂わせるような投稿が連なっている。それは、目の前の彼では、ない。

「………俺が悪かったんだと思う……」

 その声は弱弱しくその場に響いた。冬の公園は人も疎らだ。確かに相談したいことがあると人を呼び出しておいて、真冬に公園を指定するあたり女子への配慮はかけているかもしれない。だけれどそれでも、好きな男の子に呼び出されたら喜んで会いに行ってしまうのは仕方がないだろう。

 鋭児郎は弱り切った表情を浮かべている。本当に彼女が好きだったのだろう。わたしは唇を開く。

 鋭児郎は悪くないよ。その彼女が悪いんだよ。インスタ見た?もう他に彼氏がいるんだよ。クリスマス前に寂しいから適当に彼氏を作っただけなんだよ。悪口は死ぬほど思い浮かぶ。だけれど、傷ついている彼に言えるはずがなかった。

「鋭児郎は、」

 悪くないよ。いいところがたくさんあるよ。だからわたしにしなよ。そう言ってしまいたい。優しくして、寄り添って、失恋の弱みにつけこんでしまいたい。わずかに残った良心の呵責が、それを拒む。誰よりも真直ぐなことを望む鋭児郎に、そんな姑息な手を使ってはいけないと。だけど。

「わるくないよ。いいところ、たくさんあるよ」

 声が震える。言ってしまった。はっとしたように彼はわたしの方を向く。確かな手ごたえを感じた。失恋の痛みにつけこめると。彼の心に入り込めると。

「鋭児郎」

 彼の硬い身体に身を寄せ、縋る。わたしもあの子と同じだ。わたしだって、鋭児郎がヒーローになる為に努力をしている姿を見て好きになった。それまでは彼の良さに気付いていなかった。同じだ。活躍しだしてから好きになった。ただのミーハーな女だ。自分が嫌で仕方ない。いちばん近くにいるんだと胡座をかいて、誰かに取られた途端に被害者ぶる。何も行動を起こさなかった自分が一番悪いくせに。

 熱い、硬い彼の身体に縋る。もう二度と離したくないと思ってしまった。誰にも渡したくない。離れたくない。もう二度と。

 醜い。酷く醜い。わたしはあなたが失恋したことを喜んでいる。チャンスだと思っている。あなたはこんなにも傷ついているのに。好きな人の好きな人すら好きになれない。幸せすら願えない。あなたを好きになればなるほど、自分のことを嫌いになっていく。だけれど、どうしても、離したくない。あなたをわたしのものにしたい。

「ずっと好きだったの」

 彼の身体が驚いたように跳ねる。喉が渇く。心臓が痛い。彼の心臓が、わたしのそれと同じように波打っていることに、わたしは酷く歓喜している。鋭児郎の瞳に、わたしが映っている。わたしだけが、映っている。

「わたしなら、そんな思いさせないよ」

 わたしの好きなひとは真直ぐで、馬鹿がつくくらいお人よしだ。困っている人を見つけたら放っておけない。真直ぐで嘘が吐けないひと。そこがたまらなく好きだった。だからわたしもできる限り真直ぐで誠実でありたいと思っていた。だけれどいまのわたしはどうだろう。酷く打算的で、あなたの隣に立てるような女ではない。わたしは自分が一番なりたくなかった女に成り下がった。あなたの一番になるために。

 だけれどその事実に酷く歓喜しているわたしは、もうどうしたって醜いままだ。一生。だからもしも生まれ変わるとしたら、石になりたい。あなたの瞳の色のような赤い石だといい。そしてあなたの個性で粉々に砕かれたい。その時にやっと、わたしはわたしのことを好きになれるような気がする。

(191225/ガーネット)