高校は家から電車でさほど遠くないところ。制服が可愛いところ。偏差値もそこそこ。そんな理由で選んだ高校生活は、楽しくもつまらなくもない、ただ毎日が何事もなく平凡に過ぎていくだけだ。
高校に入って彼氏が出来た。サッカー部で、顔もなかなかのイケメンだと女子の間では人気があるらしい。でも私はその人のことは、友達との会話でたまに名前が出てくる程度にしか知らなかった。そんな人に告白をされた。好きでも嫌いでもない、むしろ何も知らない。つまりは断る理由もないからオッケーをしたのだ。
「家まで送ってくれてありがとう。逆方向なのに毎回ごめんね」
「部活休みのときしか一緒に帰れないし、このくらいさせてよ。本当はもっと一緒にいたいんだけどね」
「……うん、ありがとう。じゃあ、また明日」
せっかくの彼の優しい言葉にさほど嬉しさを感じることも出来ず、ただ送ってくれた申し訳なさだけが残る。付き合うって、結構面倒くさい。舞台の台本を頭のなかで読み、それをただ口に出しているだけのような自分に嫌気がさす。
「……なまえちゃん!」
玄関のドアへ足を進めると、急に腕を強く引かれ体がよろける。その一瞬で起こったのは、自分の唇と彼のそれが重なったということ。目を閉じる余裕なんてなくて、唇が離れるまで目を開けたままだった。
「…………………」
「その、急にごめん。でも俺たち付き合ってるんだし、そろそろ良いかなって…」
「……あ、うん、そうだね」
「じゃあ、また明日学校で!」
「うん、またね……」
表から見たら普段通りの表情をしているだろうが、頭は混乱しているのが正直なところ。彼は少し頬を染めながら笑顔で来た道を戻っていった。彼が角を曲がり姿が見えなくなると、混乱していた頭はようやく冷静になってきた。ふぅっとため息を吐いて目線をずらすと、今度は心臓に衝撃が走った。
「うわっ!!」
「わっ!な、何だよ、急に大声出すなって!」
「ま、真緒………?びっ、くりした。い、いつからいたの?」
「いつって……その、今だよ」
今って何だ、今って。真緒にとっての今はどのくらいからが「今」になるんだ。先程自分がしていた行為を思いだし、恥ずかしさと何かもやっとした黒い感情が湧いて出てきた。
「……見た?」
「見たって…何をだ?」
「見てないならいいよ」
見てない訳がない、真緒の赤い顔がそれを物語っている。真緒には見られたくなかった、違和感のある黒い感情はそれだとすぐに気が付いた。久しぶりに会えた向かいの家に住む幼馴染みは、何だか少し大人びたように見える。
「久しぶりだね、真緒」
「そうだな、高校に入ってからは登校時間もずれてるし…なかなか会わないまま、あっという間にお互い2年になっちまったな」
「真緒は毎日遅く帰ってきてるみたいだけど、やっぱりアイドル科って忙しいの?それとも彼女と夜遊びしてるとか?」
悪戯に笑いながら聞くと、微かに顔を歪めた真緒がふぃっと視線を逸らした。でもすぐにいつもの少し困ったような笑顔をして「いないって、そんなの」と苦笑した。真緒に彼女がいないなんて、そんなわけない。真緒は昔から女の子に人気があって、幼馴染みの私はよく真緒のこと教えてって友達から相談されたりしていたし、告白だって私の知らないところで沢山されていたであろう。それに………
「ウソ。彼女がいないなんて嘘でしょ」
「何で嘘なんだよ?本当にいないから言ってるんだろ」
「じゃあ別れたの?」
「…?何言ってるんだ?だから彼女なんていないって」
「嘘、絶対嘘だよ、だって……」
だって、私は見たから。真緒が同じ高校の制服を着た女の子と一緒に歩いているところ。とても仲良さそうだった。それに一度じゃない、何度か見かけたのだ。真緒と私が昔からよく一緒に通っていたCDショップで、楽しそうに話していた。昔は私がああやって真緒の隣で笑っていたのに……、それは幼馴染みとしてだけれど。先程の黒い感情に何かが加わって、ますます心が重くなった。
「…そう言うなまえだって、ちゃっかり高校で彼氏作ってるじゃんか。俺なんかよりなまえのほうがよっぽど幸せそうだぞ〜?」
「……そんなこと、ないよ」
「照れんなって。…彼氏、格好良かったな!なまえも垢抜けたっていうか、美人になったし、お似合いだぞ」
「……………っ、」
真緒の言葉に、どんどん重くなっていく心が限界に達して潰れてしまったようだ。その証拠に、私の視界はみるみるぼやけて真緒の顔が滲んで見える。
「え、ちょ、なまえ?どうしたんだよ!?」
「………っく、ひっく」
「どっか具合悪いのか?痛いとこあるか?」
鞄を地面に放り投げ、私の元に駆け寄り背中を擦ってくれる真緒の手は制服越しなのにとても暖かい。泣き止まない私に、「なまえ、大丈夫か?」何度も聞きながら抱き締めて背中を擦り続けてくれている。私の涙の原因も、黒い感情も、自分ではとっくに気付いていた。でもそれを誤魔化し続けていたのだ。
「……………の、せい」
「なまえ?」
「…真緒の、せい!全部真緒のせい!毎日がからっぽなのも、彼氏作ったのも、こんなに涙が出てくるのも、全部全部真緒のせい!!」
「えっ………」
そう、真緒に会う回数が減って、日々の色を失ったみたいだった。真緒は忙しいのか、高校に入ってからはなかなか連絡も取れなくなった。彼氏を作ったのだって真緒への当て付けだ。悲しかった、真緒の隣を取られて悔しかった。だからそれを埋める為だけに告白をオッケーしたのだ。自分で気付かないうちに、彼と会うたびに真緒を重ねていた。これが真緒だったら…と。
伝えたい気持ちは自分勝手な言葉となって、抑えられないまま真緒のせいだと口から吐き出された。真緒は抱き締めていた体を少し離し、困惑した表情をしている。
「俺のせいって、どういう意味だ?俺、気付かないうちになまえが嫌がることしてたのか?ごめんな、全然心当たりがなくて…」
「……ちがうの、ごめん、真緒……」
「泣くなよ、俺、なまえの泣いてる姿見るのが一番辛いんだよ」
「………私、私ね、真緒のこと…」
「あれ、真緒くん?」
私とは違う女の子の声が真緒の名前を呼ぶ。嫌な予感がしながらゆっくりと顔を向けると、真緒と同じ制服を着た、あのCDショップにいた可愛らしい女の子が立っていた。なんで、あの子がいるの?醜い感情がお腹の奥をぐるぐると動き回っている。
「あんず?どうしたんだよ、こんなところで…」
「真緒くんに、忘れ物届けにきたの。明日レッスンで必要になるでしょう?」
私の泣き顔を見たせいか、真緒くんに「あんず」と呼ばれたその子は少し遠慮がちに手に持った紙袋を掲げて見せた。真緒は私を抱き締めたまま、手を伸ばしてそれを受け取った。
「あぁ、悪いな、助かったよ。わざわざこんなところまで来てもらってごめんな」
「ううん、私の方こそお取り込み中にごめんね。……えっと、お邪魔しちゃってごめんなさい」
真緒への謝罪のあとに、私へ向けてごめんなさいと言ってきた。自分の彼氏が女の子を抱き締めてたのに平気なの?それともそんなに余裕があるの?私の醜い感情が溢れて、真緒のブレザーを強く握る。
「……私の方こそ、ごめんなさい。真緒、もう大丈夫だから。彼女さんのとこ行ってあげて」
「…なまえ?何言ってんだ?」
「彼女の前でこんな風にしてたら勘違いされちゃうよ。私は何ともないから、だから…」
「っ!なまえ、お前……」
「あ〜〜っ、いたいた!おーいっ!サリー、あんず〜!」
真緒が何かに気付いたように私の名前を呼ぶのと同時に、こちらに向かって大きな声が真緒と彼女の名前を叫んだ。オレンジ色の髪をした明るい男の子と、その後ろから眼鏡をかけた男の子が追いかけるようにして走ってきた。
「はぁ…はぁ…、明星くん…速すぎるよ…」
「ウッキーはもっと体力つけなきゃダメだよ〜?テニス部辞めてバスケ部に入りなよ!ちーちゃん先輩の無自覚なスパルタメニューでムキムキになれるよ☆」
「スバル、真、お前たちも来てたのか?」
「三人で来たんだけど、二人ともいつの間にかいなくなってて…。探すのも大変だから私だけ先に来ちゃったの」
女の子が呆れたようにため息を吐いて、息切れをしている眼鏡の男の子に大丈夫?と声をかけた。
「へっへ〜ん!美味しそうな焼き芋屋さん見つけたから皆の分も買ってたんだよ!」
「なのに明星くん、お会計で『財布忘れた!』なんて言うから僕が払ったんだよ……酷いよね…」
「ホッケーは用事があって帰っちゃったから、焼き芋は4つね!はい、サリーの分!…あれ?」
真緒の腕の中にいる私の存在にたった今気付いたのか、彼は大きな目をさらに見開いて私を見つめた。こんなに沢山の人に泣き顔を見られるなんて恥ずかしい。スバルと呼ばれていた彼は、私をじっと見たあとに「しまった!」という表情をして自分のおでこをぺちんと叩いた。
「5人だったか〜!ウッキー、一つ足りなかったよ!やっぱり予備で5個買えば良かったね!」
「明星くんお金払ってないでしょ!?」
「いえ、あの……私は大丈夫なので…」
「じゃあ、サリーと彼女さんで半分こにしてよ!はい、彼女さんどうぞ〜☆」
彼女さんとは「あんず」という子を意味しているのかと思いきや、焼き芋を手渡されたのが自分だったことに驚いた。どうすれば良いのか分からず、焼き芋を受け取ることが出来ない。彼は、真緒の彼女が「あんず」だということを知らないのだろうか。
「あの、私…真緒の彼女じゃありません…」
呟くように口にすると、抱き締めていた真緒の腕がピクッと動いた。焼き芋の彼は少し驚いたような顔をして真緒に視線をやる。
「あれ、でもこの子でしょ?サリーが言ってた、昔から好きな幼馴染みの女の子って」
「あっ、おい!スバル…!」
「えっ……」
耳を疑うとはまさにこの事なのか、彼は今何と言った?真緒が、私を好き?昔からってどういうこと?状況が理解できずに顔を上げて真緒を見ると、片手で顔を覆っている。掌の隙間からは赤い顔が見えた。まさか、そんな。だって真緒の彼女は……
「明星くん違うよ!衣更くんはまだ告白出来てないって言ってたから、彼女にはなってないんだよ!だから衣更くんが告白する前に、本人の前でそんなこと言っちゃダメだよ!」
「えぇ、ウッキー言うの遅いよ〜!ごめんね彼女さん、サリーがまだ告白してないみたいだから、今の忘れて!」
「お前ら、ちょっと黙ってくれ……」
彼等の言葉に混乱していると、「あんず」が二人の頭をぺしっと叩いた。まったく、これだから男子って……とブツブツ呟きながら、右と左にそれぞれ二人の腕を引いた。
「じゃあ、私たちはこれで。真緒くんまた明日ね。なまえさんも、また会えるといいな。それじゃあ」
「あんず、痛い痛い!あ、サリーと彼女さんまたね〜!」
あの子は何故私の名前を知っていたのだろう。いや、そんな細かいことは今はどうでも良い。3人の姿が見えなくなると、沈黙の真緒に恐る恐る視線をやる。先程と変わらずに赤い顔をしたまま、はぁっと深いため息を吐いた。
「真緒………?」
「…あいつらの言う通りだよ。俺はなまえのこと、昔から好きだった。タイミングをみて、ちゃんと告白だってしようと思ってたんだよ。…あいつらに先に言われちゃったけどな」
「う、うそ……、だって高校入ってから全然連絡くれなかったじゃない」
「アイドル科って思ってた以上に忙しくてさ、加えて生徒会の仕事もあって、自分の時間がなかなか作れなかったんだ。だから、なまえからの連絡に返信も出来ないことが多くなった。……そしたらいつの間にか他のやつに取られちゃってて、今日はあんなところ見ちゃうし。さすがにショックでかかったな〜」
昔からずっと見ていた、真緒の困ったような笑顔は少し悲しみを含んでいるように見えた。私は色々なことを勘違いして勝手に怒って、何て自分勝手なことをしていたのだろう。
「私、あんず…さんと真緒が付き合ってるのかと思ってたの。何回かCDショップで一緒にいるところ見かけてたから…」
「あぁ、あんずはプロデューサーの卵なんだよ。俺たちのユニットのイメージに合う曲とか選んでもらってたんだ。見かけたなら声かけてくれれば良かったのに」
「そんなこと出来るわけないよ…」
そうか?なんて不思議そうにする真緒は、案外鈍いのかもしれない。きっと、私もずっと真緒のことが好きだなんてまだ気付いてもいないであろう。
「俺がアイドルとして、なまえに見られても恥ずかしくないくらい成長できたら言おうと思ってたんだ。…今更遅いかもしれないけど、俺は昔からなまえが好きだよ」
「…私も、真緒のことが好き。ずっとずっと好きだったよ。今の彼と付き合ったのだって、真緒に彼女ができたと思ったからだもん…」
「そっか…、こんなことならもっと早く言えば良かったな」
「ふふっ。そうだね、私も」
真緒の困った笑顔からは、先程の悲しみの色は消えていた。その優しい眼差しに、あんなに黒く醜く渦巻いていた自分の心がすっと軽くなった気がした。ほんのり頬を染めた真緒の顔が近付いてきて、優しく唇が触れた。私は触れる直前にそっと目を閉じた。好きな人とのキスはこんなにも暖かい。
「……明日、彼に謝ろうと思う。好きな人がいるって。何となくで付き合って、申し訳ないことしちゃったな」
「そうだな…よし、俺が言いに行くよ」
「え!?い、いいよ自分で言えるから」
「いや、人の彼女を獲ることになるんだ。ちゃんと男同士で話した方がいいだろ。それになまえははっきり言えなそうだし、向こうも違う意味に解釈する可能性もあるからな。とにかく、なまえが一人で行くのはダメだ」
「真緒のお世話好きは昔から変わらないね…こんなところで発揮しなくても良いのに…」
まずはその彼に挨拶をしてから…とか何とかブツブツ言っている真緒を横目に自然と頬が緩む。私も近いうち、今日会った3人にお礼を伝えたい。そして、今度は「真緒の彼女です」って胸を張って言いたい。明日からは、からっぽだった毎日に色が付いて、そこにはいつも真緒がいる。
「……真緒、焼き芋たべよ!」
半分に割った焼き芋を手渡すと、「夕飯入らなくなるぞ?」と笑いながら焼き芋を持った私の手をそっと握った。
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